京都御所 後編(秋の一般公開)

さて、昨日の続きだ。
紫宸殿と言えば・・・



左近の桜

左近の桜
さこんのさくら


右近の橘

右近の橘
うこんのたちばな


もちろん左右は御座に座って庭を見た時の方向である。
観光客の中にいた、俺とさほど変わらない年代の夫婦。

「みかんみたいな葉っぱね」
「実はならないだろ」


・・・おいおい、大丈夫か?50代。w
そう言えばの字は常用漢字じゃなかったっけ。蜜柑のも常用漢字じゃない。

だから、シトラスの日本語訳はかんきつ類ってことになる。柑橘類と言う字面を知っていたらそう言う素っ頓狂な発言を公衆の面前ですることはないと思うんだが・・・



紫宸殿側面

紫宸殿の側面である。



弓場

昨日のエントリに貼りつけておいた下の地図。
この地図の紫宸殿の左側にあるの辺りに、この弓場と言うプレートが付いていた。

地図

昔は内裏がもっと広く、この図で言うと月華門の辺りに校書殿と言う建物があったそうだ。でもって、そこから弓の練習を見られたことから弓場殿とも呼ばれたとか。
距離から考えて、プレートの辺りに立って地図上の下方向を向いて射ていたのだと思う。


清涼殿

これは

清涼殿
せいりょうでん

平安時代には帝の居所であったそうだが、のちに儀典用の建物としての機能を持つようになったそうだ。


漢竹

紫宸殿の桜と橘のように、清涼殿には二種類の竹が源氏垣に植えられている。こちらは清涼殿に向かって左側の

漢竹
かわたけ

多分、真竹じゃないかと思う


呉竹

いっぽう、こちらは

呉竹
くれたけ

たぶん淡竹だな。

この二種類の竹、漢字の音読みみたいでなんか面白い。


小御所

小御所

こごしょ

妻側から見た図だ。


小御所

こちらは小御所の平側。造りは平入りになっているのでこっちが正面ってことだな。
幕末の大政奉還における小御所会議が開かれた場所でもあるのだが、戦後賀茂川の花火で焼失、俺が生まれた年に再建されたのが今の建物だそうだ。


明治天皇践祚の座

これは明治天皇が践祚された時の昼御座の再現だそうだ。
本来践祚の儀は清涼殿で行われるのだが、崩御された孝明天皇のご遺体を清涼殿に安置したため、こちらが践祚の儀の場所になったと説明があった。


御庭池

御庭池
おにわいけ


え〜・・・文字通りである。(笑)

蹴鞠の庭

蹴鞠の庭
けまりのにわ

いつでも天皇杯。w


御常御殿

御常御殿
おつねごてん

室町期以降、清涼殿に変わって帝が日常を過ごされるようになった建物。全15室からなる、京都御所の中で一番大きな建物だ。

明治天皇もここにお住まいだったらしい。


御常御殿内部

御常御殿の内部。



内庭

御内庭
ごないてい


御常御殿の東側の妻に面してある内庭だ。
反対側の西側の妻には御三間など付帯設備が付くのでこうした庭はない。


迎春

迎春
こうしゅん

新年のあいさつではない。w
明治天皇の父君であらせられる孝明天皇の御書見の間である。




御涼所

御涼所
おすずみしょ


冷房のなかった時代、帝が納涼のために使用されたところである。


御手習

御三間
おみま

皇族たちの内向きの行事などに使われた建物であり、御常御殿の西側に接続している。上の御常御殿の左側に写っている建物がこの御三間である。

これは明治天皇が幼いころ、有栖川宮幟仁親王が御手習師範に任ぜられたことを人形で再現したものだ。

人形は有職御人形司十二世伊藤久重の手になるものらしい。


猿が辻

さて、一回り御所の中を見学したので、以前の神社で紹介した話とつながる場所を。
出雲路幸神社は、御所の表鬼門を守護する神社だと紹介した。

上の神社名がリンクになっているので、以前のエントリを読む人はそっちからどうぞ。

で、この壁が切り欠きになっている場所が京都御所の北東角、すなわち表鬼門である。画面の左側の屋根の下には・・・


猿木像

ちょっと判りにくいが件の神社と同じような猿の木像が安置してある。やはり鬼門守護のためだ。
この場所を猿が辻と呼ぶのはこの猿に由来している。また、この猿も左甚五郎の手になると言われている。


往時は猿の木像が鬼門を守護したが、現代は機械警備も行われている。一つ上の写真でコーナーに設置されている棒の上の白い箱はアクティブ赤外線センサーだ。切り欠きの奥にも黒っぽいセンサーが見えるがこれは近距離用。

白い箱は俺が電機屋で設計をやっていたころに扱ったことのある商品だった。設置時期は知らないが、20年近く前にリリースされたものだ。

対になる相手側のセンサーは向う側の壁の角に設置されている。標準警戒距離が600メートルと言うセンサーで、白い箱のふたを開けるとライフルスコープが内蔵されている。

警戒距離が長すぎて、正確に対になるセンサーを捉えないとビームが逸れてしまうと言うシロモノだ。設備を見た感じだと、落書きしようと言う不心得者がセンサーが見えないからと安心して溝を飛び越えたとたん警報が鳴り、照明で照らされ、ビデオに撮影される手はずになっているようだ。(笑)


シェパード

御苑内ではジョギングや犬の散歩をする人も多い。で、大きな犬に目が行った。

バカ野郎、こんな人の多いところでシェパードなんか散歩させやがって

と思ったら、お仕事だったようだ。w






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京都御所 前編(秋の一般公開)

お客様に頼まれて、京都御所の一般公開観覧に同行した。
まぁ、お客様と言っても友達みたいなもんだから、そっちは放って置いてブログ用の写真撮影をする。(笑)

まとめる時どのカテゴリに入れようか迷ったが、考えてみれば神武天皇は天孫瓊瓊杵尊の曾孫になるわけだから、その子孫たる歴代天皇のお住まいを紹介するのもこのカテゴリでいいかと。

つか、神社も御所も観光案内的に紹介されるからってホンネもちょっとある。w

画像は全部クリックで別窓拡大する。

一般公開順路図

さて、この上の画像をクリックすると、この秋の一般公開の順路図の全体像が見えるので、それを参照してくれ。各々の写真と見比べるとわかりやすいかもしれない。



紫宸殿側外壁

京都御苑の道から建礼門側、つまり京都御所の南側の壁を望んだところ。右側のくぼみのように見えるのが建礼門だ。

京都御苑は南北約1300メートル、東西約700メートルの公園地域だが、もともとは御所を取り巻く公家町だったエリアである。

航空写真で見ると京都御所と京都御苑の関係が良く判るだろう。


大きな地図で見る

京都御所そのものは東西250メートル、南北500メートルぐらいの大きさだ。


宣秋門

これが一般公開の入り口になる

宜秋門

ぎしゅうもん

である。もともとは皇族や公卿が使った高貴の人の門だ。
ちょっと気分が良いかも。w


御車寄

御車寄
みくるまよせ


である、「おくるま」ではないので注意。



諸大夫の間

諸大夫の間
しょだいぶのま


正式に参内した人たちの控えの間がある建物だ。
その中には


桜の間(諸大夫の間)

桜の間
(諸大夫[しょだいぶ]の間)
いわゆる下級貴族たち専用である。


鶴の間(殿上人の間)

鶴の間
(殿上人[てんじょうびと]の間)

中級貴族のためのものであるが、殿上人は帝の代替わりごとに許可の取り直しが必要な階級なので、さぞかし大変だったことだろう。


虎の間(公卿の間)

虎の間
(公卿[くぎょう]の間)

従三位以上の高官、すなわち高級貴族専用の間である。このような三つが襖一枚隔てただけで隣り合ってるってのが凄いよな。

日本人の規範意識と言うのはこうしたことで育まれたのかもしれない。


新御車寄

新御車寄
しんみくるまよせ


大正天皇の即位の際に新設されたものだそうだ。
今上陛下も玄関としてお使いだとか。


健礼門内側

建礼門
けんれいもん

内側から見たところである。平安京の時代から御所の南門に着けられる名前で、平清盛の娘の女院号はこの門に由来している。


月華門

月華門
げっかもん


紫宸殿南庭の西門である。


承明門

承明門
じょうめいもん


内裏の南側正中門。紫宸殿南庭を通して紫宸殿を望める。


日華門

日華門
じっかもん


紫宸殿南庭の東門。月華門と正対している。


御室流生花

献上された生け花たち。

仁和寺(にんなじ)から
御室流
おむろりゅう


月輪未生流生花

泉涌寺(せんにゅうじ)から
月輪未生流
つきのわみしょうりゅう


関東の言葉をお使いのご婦人がしきりに「ゆうせんじ」とおっしゃるのが耳について仕方がなかった。京都のことにお詳しい様子だったので、恐らく松ヶ崎にある涌泉寺と混同されていたのだろう。

大文字五山のうち、妙法の点火を行われるお寺なのだが、泉涌寺よりずっとマイナーなお寺だと個人的には思うんだけどね。w


嵯峨御流生花

大覚寺(だいかくじ)から
嵯峨御流
さがごりゅう


紫宸殿遠景

さて、いよいよ京都御所の中心

紫宸殿
ししんでん

である。


紫宸殿正面

正面からもう少し離れて撮りたかったんだが、ロープの仕切りが近すぎてこれが限界。


紫宸殿扁額

紫宸殿の扁額


高御座

そして、これが

高御座
たかみくら

である。

よく、京都人が日本の首都は京都だと主張するというお笑いのネタがあるが、その誤解のもとがこれである。

高御座は帝の御座所を示すもの

である。しかもオフィシャルの場所と言う意味でだ。

だから、これが京都御所にあるという事は、天皇陛下のおられる場所は今でも京都御所であり、東京の皇居は行宮(かりみや)だと言うのが京都人の主張なのだ。

でもって、首都と言うのは天皇陛下の御座所とは関係がない。飽くまで首都機能を持つ大都市が首都なので、日本の首都が東京であることに京都人は異論を差し挟まない。


京都は首都ではないが今でもみやこなのである。
・・・と京都人の俺は思っている。(笑)

ってことで続きはまた明日。






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