京のにわか雨

先日、所用でオフィスから出ようとしたらが降っている。たいした用事でもなかったが、せっかく出かけようとしたので傘を差して表に出た。

道すがら、ふと見やると・・・

画像はクリックで別窓拡大する。



雨に濡れてゴーヤが一本。




しかもポストの上。

なんで?


取り敢えず郵便物をポストに入れてオフィスに戻った。←所用ってこれだけ。

前夜の夕食
はゴーヤチャンプルーだったので、こいつはそのままにしておいた。←違ってたら拾って喰うつもりだったのか?(笑)

タイトルはピンキーの曲を小柳ルミ子がカバーしてヒットした40年あまり前の楽曲から。





にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京都(市)情報へ   ←ブログランキング(常設)への応援よろしくお願いします。











            

出世稲荷神社


まずはこちらの写真から。

画像は全部クリックで別窓拡大する。


これは2011年11月に、楽天ブログで書いていた京都『道』案内のカテゴリで書いたエントリのスタート地点で使った写真だ。

場所は中京区千本通竹屋町下る(旧二条交差点東側)。




これは同じ場所の、最近の写真だ。鳥居はおろか、社号標も立派なご神木もなくなって、マンションの新築工事が行われていた。




バス停の名前も変わっている。




調べてみたところ、もともと氏子さんのいなかったこの神社は、お守りやお札の売り上げ、数台の月極駐車場収入で維持しておられたらしいが、老朽化した社殿の修造もままならず、社地を売却して大原の里へ遷坐されたということだった。ちょうど一年ぐらい前のことらしい。

地元の京都新聞によると2億5000万円ぐらいで売却されたらしい。京都市の繁華街で、JRと市営地下鉄の二条駅まで徒歩圏内。それが坪単価80万円程度って言うのが妥当なのかどうか、素人の俺には分からないがご神木を切り倒してまでマンションを建てる程度の値打ちはあるとデベロッパーは踏んだのだろうな。




新しい社地は、大原三千院のすぐ近くだ。

神社は看板から右の方、左側の坂を上った突き当りが三千院になる。もちろん徒歩圏内。




これが神社への上り坂。




坂を上りきると立派な木が迎えてくれた、ご神木候補生かな。これは・・・桃の木だろうか。美味しそうなご神木になってくれそうだ。(笑)




件の社号標。移転して一年になるが社地の整備や社殿の建造には至っていないらしい。




両端が尖った石は鳥居の笠木部分だ。この鳥居は一番上の写真にあるものである。これは日本映画の父と呼ばれるマキノ省三氏の寄進によるものだ。

かつてこの神社のあった千本通界隈は映画館の立ち並ぶ繁華街であった。その関係からこの神社は映画関係者の信仰も篤く、様々な寄進や奉納が見られたと言う。

しかし、映画の斜陽が始まって久しく現在では千本日活一館だけが営業を続けているだけだ。しかも1970年代からロマンポルノの専門館化して、今では自販機で500円の入場券を買うだけのものになってしまっている。

近年二条駅にシネコンができたが、シネコンではかつてのような映画人たちの賑わいは期待すべくもない。




狛犬さんも任務を与えられるまでは互いに背を向けて山肌を眺めているだけである。




社号標の横には神明造で女切の千木が付いたお社が置かれていた。造りからすると摂社・末社でお伊勢さんを勧請したものではないだろうか。




本殿建設予定地の少し下にこんな建物があって、現在はここが仮社殿ということになっている。

もとは旅館だったようだ。しかし、先の社地を売ったお金ではここを購入したら新社殿の整備や建築にはお金が足りないのではないだろうか。現に現在地に遷られてから一年になったのにまだ工事などを行われている様子はない。

まだ40代前半のお若い宮司さまは、神社の継続を最優先にするため遷坐の英断を下されたということだが、それでも社殿の建築ができないのは悲しい。

京都大原三千院と言えば超有名観光スポットである。このブログを読んでくれた人がもし訪れることがあったら是非この出世稲荷にも参詣して、お守りの一つも買って新社殿建築に貢献してもらえないだろうか。俺自身はこの神社に何のゆかりもないが、それでも現状はあまりにも寂しい。


それに、この仮社殿のうちに参拝すると参拝者にも少しだけラッキーがあるのだ。




これが元旅館の奥の間に設えられた仮本殿

この神社の創建はそれほど古いものではなく、1587年に豊臣秀吉公が聚楽第を造営する際に、天下統一が叶ったのは稲荷神さまのおかげであるとして感謝の意を込めて邸内に稲荷社を勧請したのがこの神社の創建であると社伝に記されている。

翌1588年、歴史に有名な帝の聚楽第行幸の際、後陽成天皇から秀吉公の立身出世の後ろ盾と言う意味で出世稲荷の称号を賜ったのだそうだ。

江戸時代1663年、破却された聚楽第の中からかつての千本旧二条に遷坐、昨年までそこに鎮座されていたのだが、江戸時代末期には奉納された鳥居が300本を超える壮観だったと伝えられている。・・・やっぱりお稲荷さんは鳥居が並ぶんだな。

写真左下の真新しい銅葺流造のお社は御本殿に使われるものではないと思う。千木が男切だし、そもそも下で紹介するご神体の神像が収まるサイズではないからだ。多分摂末社に使うべく御寄進があったのだろう。




御本殿の中には神像。もちろん稲荷神さまの中心

倉稲魂命
うかのみたまのみこと

さまである。

上で、仮社殿の内に参拝するとラッキーと言ったのはこの像のことが一つだ。この神像は陶製で、作陶者は第6代清水六兵衛(きよみずろくべえ)師。

江戸時代より続く清水焼陶工の名跡で、当代は第8代にあたる。

この女神さまの神像は、社殿が完成すれば当然御本殿の奥に鎮座されるので、参拝者が目にすることはできない。今がお顔を拝める数少ないチャンスなのだ。




新旧の扁額。多分新しいほうはこちらに来てから寄進されたものなのだろう。この扁額が鳥居にかかる日が楽しみだ。




扁額の横に置いてあった像。束帯姿の・・・お稲荷さんだから・・・お狐さまなんだろうなぁ。この福々しさはたぬ・・・ま、いいか。(笑)




薄いビニールで養生してあったが、本来は天井絵の雲龍図

堂本印象画伯の作品である。この絵も本来は公開されないものであるので、このチャンスに見ておいて損はないと思う。




神社から駐車場へ向かう道、オニユリが美しく咲いていた。






にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京都(市)情報へ   ←ブログランキング(常設)への応援よろしくお願いします。












 

アクセス数

5月のアクセス数: 73,247 
4月のアクセス数: 59,981 
累計アクセス数:2,885,458 
2013年4月1日〜2018年5月31日 


プロフィール


 管 
  

  
 
  スピンオフサイト: 

俺と糖尿病の15年戦争 
2015-09-29更新 



にほんブログ村最新記事

おすすめコンテンツ


カレンダー

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>

最近のコメント 10件


健康向上♪

 送料無料! 

iHerb なんと$40以上の購入で
・アメリカから送料無料!
・購入金額の5%off!!

↑終了日未定早い者勝ち!!↑

このバナーからの初回注文は
最大25%OFF!

表示中のエントリー

カテゴリー一覧

月別記事庫

記事情報

最後に更新した日:2018/06/23

サイト内検索

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM