鎌達稲荷神社

今回紹介するのは鎌達稲荷神社(けんたついなりじんじゃ)である。

京都市南区にある小さな神社だが、ちょっとした公園の一角に鎮座されている。この公園は、京都市を南北に走る旧千本通を軸に、東寺(教王護国寺)と東西対称の位置にあるのだ。

旧千本通と言えば、平安京の朱雀大路。そう、この公園はかつて平安京に存在した西寺の跡地なのである。


画像はクリックで別窓拡大する。


八条中学西側の道は、東西に走る針小路通の八条中学西北角から始まって南に150メートル余りで突き当たる短い道だ。

その突き当りにあるのがこの神社の鳥居と社号標である。敷地が北向きなので、鳥居を通して見えるのは社務所と神職さんの住居だろうか。




ご社殿

境内に入って左に曲がると見える、東向きの建物だ。ご本殿と拝殿、幣殿を一つにした建物である。

社伝によると6世紀ごろ創祀されたらしい。伏見稲荷大社よりも古いため、元稲荷の一つに数えられたそうだ。




側面から。銅葺流造であるが、拝殿・幣殿を一体化した御社殿に良くある通り、正面側の流れ幅が大きい。




正面格子部分のアクリル板を通して内部を見せて頂いた。

手前が拝殿、一段上がって幣殿だろうと思うが、御本殿前に階がないのは違和感がある。もしかするとご本殿自体は正面扉の奥なのかもしれないな。

ご祭神さまは

稲荷神の主神
倉稲魂大神 さま
うかのみたまのおおかみ


導きの神
猿田彦大神 さま
さるたひこおおかみ


である。

他の神社でもときどき見られるように、この神社でも倉稲魂大神さまを豊受大神さま(伊勢神宮外宮の主祭神様)と同一視してお祀りしているようだ。「うけ」も「うか」も食べ物のことを指す言葉なので、食物神としての共通性からだろう。




摂社 白菊稲荷神社

稲荷神社に稲荷神社の摂社と言うのは妙な感じがするが、ご祭神さまの白菊大神(しらぎくおおかみ)さまは、伏見の稲荷山三ノ峰・下ノ社のご祭神さまだから、決しておかしくはないのだ。




ご社殿は覆屋の中におさめられた、銅葺流見世棚造である。

もちろん命婦狐さまも御鎮座だ。




お塚。

向かって左から

宇賀神塚(うかのかみのつか)

神仏習合時代に天台宗などでもお祀りされた人面蛇身の福徳神さまである。龍神さまの化身ともいわれるが、倉稲魂命さまとの名前繋がりの御縁もあるようだ。

浄蔵貴所之塚(じょうぞうきしょのつか)

浄蔵貴所師は、9世紀から10世紀にかけての比叡山の呪術僧。一乗戻り橋で亡父を冥府から一時的に呼びもどしたり、寺の建立、後進の育成などにも力のあった高僧である。

黒住大明神(くろずみだいみょうじん)

教派神道系、幕末三宗教の先頭、黒住教の創始者、黒住宗忠(くろずみむねただ)師のお塚と思われる。続く二つは天理教と金光教だ。

阪蚤臾誠(さかすぎだいみょうじん)

どなたのお塚なのかは分からない。お名前から察するにご神木の神格かもしれないと思ったり。




これは神社を取り巻く公園、唐橋西寺公園の中央にある講堂跡土塁。




土塁の上には史跡を示す石碑がある。がこの神社のご社殿の屋根だ。


社伝によるとこの神社は、平安朝以降は公家・土御門家による祭祀が執り行われたそうだ。

土御門(つちみかど)家にも三流あったが他の二流は鎌倉・室町期に断絶、この土御門家とは、子爵として明治以降も続いた安倍氏嫡流の土御門家である。つまり、大化の改新の時代、かぐや姫に登場する右大臣のモデル安倍御主人(あべのみうし)公の父、安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)公に始まり、平安時代の陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)公へと続き、そして鎌倉期に土御門家を名乗り始めたた名家なのだ。

土御門家は他の多くの公家とは違って御所の近くに邸を構えず、この近隣に陰陽道の研究所を兼ねた大邸宅を持っていたそうだ。土御門家は晴明公に繋がるだけあって、陰陽道を能くしたそうで、この神社にもその一端がうかがわれる。

それを垣間見れるものとして、この神社には

守り

 サ ム ハ ラ

と言うお守りがある。難しい字だが、これは漢字ではない。神字と言う、信仰に関わる特別な文字だと言えばいいのかな。

昔は各地の神社やお寺で、戦場での銃弾除けなど主に安全祈願の御利益を祈念して使われた神字だそうだが、この神社のものは、災難除けだけではなく心願成就を含め、大きな御利益があると伝え聞いた。

普段社務所は締まっているが、社務所前には木製ケースに納められたこのお守りが置いてあるので自由に求められる。志納金は800円、お賽銭と同じところに納めるようになっている。

陰陽道の大家が奉祀してきただけあって、人々の良き心に疑いを差し挟まない強さを感じた次第、俺もありがたく授与して戴いて来た。

(2015.11.5エントリ追加) お札やお守りについて、詳しくはこちら







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猿田彦神社(京都市上京区)

二か月ぶりの神案内である。寒さで根性ナシになっていたんだが、光の春とは言え春は春、そろそろ動こうかなと思って、本格的な春を前にリハビリがてら小さな神社にお参りしてきた。

どのくらい小さな神社かと言うと、注意して探さないと見落とすレベルかも知れない。間口が二間半くらいしかないからな。

社名は猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)。

右京区にも庚申講で有名な猿田彦神社があるが、同じ猿田彦大神様をお祀りする神社と言っても趣にずいぶん違いがある。


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上御霊神社の正面、以前紹介した門前菓子の唐板のお店から西へ徒歩1分。烏丸通に出る直前にこの神社はある。

石造りの玉垣と神明造の鳥居。

小なりといえども風格は十分だ。




拝殿は瓦葺の建物だが、良く見ると割拝殿構造になっている。

扉が閉まっているので通過することはできないが、中をのぞいてみると左右の部分は神庫などになっているようだが、中央部分は床が張ってないので、扉を開ければ通り抜けられるのだ。

この神社、神職の常駐はなく、祭礼の折は上御霊神社から神職がやってきて執り行うとか。

平安遷都の折、この神社は正式に官幣社となったようで朝廷の崇敬も篤く、また、室町時代にはおよそ16ヘクタールの面積を持つ広大な社域を有していたそうだ。お隣の上御霊神社はこの神社より数十年遅れて創建されたのだが、応仁の乱の東陣を張れるくらい大きかったわけだから、おそらくこの神社は西北方向に拡がってたんだろうな。

応仁の乱やそれに続く戦乱で焼失、その後個人的に祭祀が継続されていたところでも天明の大火で焼けると言う災難に見舞われていて、現在地での祭祀は18世紀終わりごろからと言う事だった。

その後明治の旧社格制度では村社に列格された小さな神社と言う扱いである。社号標には村社の文字が塗りつぶされていた。




ご本殿。

銅葺一間社流造である。小さいけれど、上にも書いた通りそれは飽くまで現在の姿だ。もともとは平安時代より前に存在した神社で、当時長岡京に都を構えていた桓武天皇は、この神社の神託によって平安京への遷都を決意したとされている。

ご祭神さまは、

導きの神として知られる
猿田彦大神 さま
さるたひこおおかみ


奥様の
天鈿女命 さま
あめのうずめのみこと


の二柱である。






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今日の七十二候 2月24日 雨水次候:霞始靆
靆(ダイ:雲が連なって留まっている様子)



            

熊野若王子神社

有名な散策路「哲学の道」の起点にある神社を紹介しよう。

熊野三山から勧請して創建された熊野若王子神社(くまの にゃくおうじ じんじゃ)である。

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小さな神社である。もともとは紅葉で有名な永観堂の鎮守社として後白河法皇が熊野権現を勧請したのにはじまるとあった。

従って中世12世紀の創建だから京都にあってはそれほど古い神社とは言いにくいのかもしれない。京都三熊野と並び称される熊野神社は9世紀の創建だが、三十三間堂の鎮守社として創建された新熊野神社はこの神社と同じ時期に後白河法皇の勅願によって創建されたとある。




木製の社号標

句碑の解説を書いた駒札が見えるが、境内には幕末ごろの句碑や歌碑が散在している。




鳥居をくぐると境内は右手に拡がっている。これで全景だ。

写真左手は末社殿、中央が拝殿で、その奥に木に埋もれるようにして見えている屋根のてっぺんがご本殿なのだが、残念ながら建築様式がわかるほどには見ることができなかった。

写真右端に見えている宝形造(とんがり屋根)の建物は不明だ。裏から回ってみたがお寺などは見当たらなかった。この宝形造や六注・八注造などの寄棟は神社建築では原則として用いられない。

と言うのも、神社建築に於いて、特にご本殿では「屋根に妻を持つこと」が大原則だからである。寄棟造に妻はない。




手水舎

小さな神社だが、近隣に南禅寺や永観堂など観光寺院なども多いため参拝客は多いのだろう。境内に自販機が数台設置されている。




拝殿

狛犬さんが控える入母屋造の立派なものだ。

ご祭神さまは四柱。

根源神・神世七代の筆頭(性別なし)
国常立神 さま
くにのとこたちのかみ


根源神・神世七代の七代目(男性)
伊佐那岐神 さま
いざなぎのかみ


根源神・神世七代の七代目(女性)
伊佐那美神 さま
いざなみのかみ


伊佐那岐・伊佐那美夫妻の最後の三子である三貴子(みはしらのうずのみこ)の長姉
天照皇大神 さま
あまてらすすめおおかみ


だ。応仁の乱で荒廃した状態が続いていたが、明治の神仏分離の折に社殿の再建がなった。その折には熊野三山に因んで本宮・新宮・那智と、根源神の御子神(若宮)様である若一王子(天照皇大神)さまの若宮の計四社が建てられたそうだ。

現在のご社殿は昭和の大改修の折に一社相殿に改められたものである。




末社・恵比須殿

かつて現在の京都御所の南手に、暗渠であった川が地上に現れる場所があり、その近くに蛭子社があったため恵比須川の名前が付けられたそうだ。その後川沿いに人家も増え、その中心部の道の名前として夷川通と呼ばれるようになった。

そして応仁の乱が勃発して付近に戦災が及び神社も焼失したが蛭子像だけは残った

・・・と言う記録が18世紀の書物に古老の話として記されている、と、ご由緒書きにあった。




その蛭子像がこれだ。寄木造の等身大木像である。夷川の蛭子社亡失の折に、この木像はこの神社へ納められお祀りされたらしい。




拝殿と恵比須殿の間に臥牛さんが・・・?

菅公をお祀りしている末社はなさそうだったのだが、謎だ。




熊野神社と言えばご神木は(なぎ)の木

鳥居前にあるこの梛の木は、何でも樹齢400年余りの古木だそうで京都で最大の梛らしい。

神社のお守りには悪しきものをなぎ倒す力があると書かれていた。^^;






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下鴨神社末社 言社の謎

今回は神社の紹介と言うよりちょっとしたクイズだ。

下鴨神社(賀茂御祖神社)のご本殿前には言社(ことしゃ)と言う七つのお社があって、それぞれが生まれ年の守護神とされている。

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このように配置されている。ご祭神さまは名前こそ異なるが全部大国主命(おおくにぬしのみこと)さまである。一応詳細を紹介しておこう。

一言社(いちのことしゃ)東
 巳年・未年の守護神
 ご祭神さま:大国魂神(おおくにたまのかみ)さま
 お名前のご由緒:根の国の素戔嗚尊さまのところから現世に帰られた時のお名前のひとつ。


一言社(いちのことしゃ)西
 午年の守護神
 ご祭神さま:顕国魂神(うつしくにたまのかみ)さま
 お名前のご由緒:大国魂神さまと同じく根の国から帰還された時のお名前の一つ。


二言社(にのことしゃ)北
 子年の守護神
 ご祭神さま:大国主神(おおくにぬしのかみ)さま
 お名前のご由緒:根の国から帰国後、国を治める大王として名乗られたお名前。


二言社(にのことしゃ)南
 丑年・亥年の守護神
 ご祭神さま:大物主神(おおものぬしのかみ)さま
 お名前のご由緒:国譲りの後に名乗られたお名前、古事記では大国主さまの和魂とされている。


三言社(さんのことしゃ)中
 寅年・戌年の守護神
 ご祭神さま:大貴己神(おおなむちのかみ)さま
 お名前のご由緒:大国主命さまが根の国に落とされる前、若い頃のお名前。

三言社(さんのことしゃ)北
 卯年・酉年の守護神
 ご祭神さま:志固男神(しこおのかみ)さま
 お名前のご由緒:根の国において呼ばれていたお名前、武神と言う意味だ。


三言社(さんのことしゃ)南
 辰年・申年の守護神
 ご祭神さま:八千矛神(やちほこのかみ)さま
 お名前のご由緒:正妻・須勢理毘売さまとの歌物語でのお名前。武神としての性格を表している。



さて、ここでクイズだ。

十二支を七つのお社に配分しているわけだが。あるルールに則って組み合わせ・配分されているようだ。さて、どのようなルールで組み合わせ・配分されているかと言うのが今日の問題だ。

ま、たいした問題じゃないが頭の体操にどうぞ。

正解はこれをクリック。






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大豊神社

今回紹介するのは、鹿ケ谷(ししがたに)と呼ばれるエリアにある神社だ。この鹿ケ谷には宗教施設が非常にたくさんある。

神社のお名前は大豊神社(おおとよじんじゃ)、千年以上の歴史を持つ神社だが式内社ではなく、もともとは勅願所(勅命で創建された社寺)としてのスタートだったようだ。

画像はクリックで別窓拡大する。


一の鳥居、社号標と狛犬さん

この付近のメインストリートから山側に少し入ったところにある。ちょっとわかりにくいが、メインストリートにある「大豊神社駒返しの槙跡」の小さな石碑から入ればここにたどり着ける。




一の鳥居を抜けて、参道にかかる大豊橋は琵琶湖疏水の支線にかかっている。左側の道は、哲学の道と呼ばれる散策道路だ。




哲学の道を超えると表参道。ここにも狛犬さんがいた。




境内正面鳥居。ここは明神式の石鳥居である。






正面鳥居の狛犬さん。比較的新しいもののようだったが、ちょっとコミカルな風貌をしている。




宇多天皇御惱平癒勅願社碑

先に述べた通りこの神社は勅命で創建されたものだがこの表現にはちょっと疑問が残る。御惱(御悩)とは貴人の病気のことを言う表現だ。

宇多天皇は、一度は臣籍降下して源定省(みなもとのさだみ)と呼ばれていたのだが、後見人であった藤原淑子の強力なバックアップで、父である光孝天皇が病に倒れた際、皇族に復帰して親王宣下を受け、光孝天皇崩御後に践祚したと言う経緯がある。

でもって、即位の年がこの神社創建の年であり、勅命を伝えたのが藤原淑子だと社伝にあることを見れば、その病気平癒祈願は宇多天皇の病気ではなく父皇・光孝天皇の病気平癒を願った(と言う形を取った)ものだったのではないだろうか。

まして宇多天皇は仁和寺を建立するなど仏教に心酔していた節もあるので、神社を創建すると言うのも微妙に不自然だし。





手水舎

椿ヶ峰のご神水と書かれている。一応東山三十六峰の一つらしいが、標高132メートルの小高い丘らしい。ピークはないと言う表現も散見される。




拝殿

珍しく、靴を脱げば自由に上がることができるらしい。




ご本殿のある神域への階段。この両脇にも狛犬さんがいたが写真は省略。




ご本殿。覆屋に入った杮葺一間社流造だ。

ご祭神さまは先に述べたような病気平癒祈願と言う事から

医薬の守護神
少彦名命 さま
すくなひこなのみこと


だ。後年、

八幡神さまの主祭神・誉田別命(ほんだわけのみこと)さま、すなわち第15代
応神天皇
おうじんてんのう


学問の神
菅原道真 公
すがわらのみちざね


をご配神さまとして合祀したとある。





実はこの神社を有名にしているのは末社なのだ。以前紹介した京丹後市の金刀比羅神社も末社に奉納された神使の狛猫さんで有名だったのと同じだな。

まずは末社二社。

向かって左が火難除けの愛宕社(あたごしゃ)

ご祭神さまは親神様の伊弉冉尊(いざなみのみこと)さまや若宮様の迦遇槌命(かぐつちのみこと)さまをはじめとする複数の神様たちだ。

もう一つは災難除けの日吉社(ひよししゃ)

ご祭神さまは大己貴神(おおなむちのかみ)さまと大山咋神(おおやまくいのかみ)さまである。




愛宕社の前には神使の狛鳶さん

狛鳶と言っても一体だけで対にはなっていない。それに愛宕神社には特定の神使はいなかったと思う。

もしかすると愛宕社の火難除け→火消→とび職から来たのかなと想像してみたり。




こっちは日吉社の真猿さん

日吉社と言えば真猿(まさる)さんだから由来ははっきりしている。この神社では一体だけで狛猿と言う呼び方をされていたが、やはり日吉神社と言えば真猿さんと呼びたいかも。




平成になってからの奉納、狛蛇さん。これもまた一体だけで対にはなっていない。

と言うか、神使として仕える神様のお社がない。蛇と言えば奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)、あるいは神仏習合時代の弁天様だが・・・




末社・稲荷社(いなりしゃ)

もちろんご祭神さまは倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さま






こちらにはちゃんと対になった神使、命婦狐さまがおられたので一安心。




末社・大国社(おおくにしゃ)

ご祭神さまは大国主命(おおくにぬしのみこと)さま




そしてこの神社で一番人気の神使はこの狛ねずみ。くれぐれもちょこまか動き回るハツカネズミの一種、独楽鼠ではないので注意。w

こちらは生命の象徴である水玉を抱えた吽形のねずみ。




こちらは知性の象徴である巻物を持つ阿形のねずみ。

ねずみの特性から子授け安産のご利益が期待されているようだ。




お約束の見上げ写真はご神木である杉の大木




境内全景。




先にも書いたがこの辺りは宗教関連施設が多い。狛うさぎで有名な岡崎神社や紅葉が有名な永観堂も徒歩範囲だし、熊野神社系の若王子神社も近い。

また、この献灯は南禅寺の湯豆腐で有名なお店のものだ。

上の方に見えるのはカトリック系のノートルダム女学院中学・高校のグランドだったりする。






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玄琢八坂神社

また小さな神社を紹介しよう。いわゆる地域の氏神様だ。京都市北区玄琢、ここにある八坂神社(やさかじんじゃ)。社名から判るとおり祇園の八坂神社からご祭神さまを勧請した小社だ。

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正面鳥居と社号標。非常に日当たりのいい時間帯だったので、ちょっと飛んじゃってるのはカンベンな。




拝殿

ここにも本坪鈴があるが、ご本殿前の棟門のところまで進めるのでそこで拝礼してもいい。




拝殿を通してご本殿前を見る。




ご本殿

一段高いところに建てられた銅葺一間社流造だ。ご祭神さまは先に紹介した通り祇園から勧請された

素戔嗚尊 さま
すさのおのみこと


である。疫神さまとして、病除けの祈願もあったのだろう。また、神仏習合時代には牛頭天王(ごずてんのう)さまとして崇められていたようだ。

この神社から少し南、徒歩で15分から20分ぐらいのところには、先のご祭神さまとして疫神さまの素戔嗚尊さまをお祀りする今宮神社もあるので、そうした関係も多少はあるのかな。




末社・二社

立派な覆屋に入った二間社見世棚造のご社殿は、向かって右が天満大神・菅原道真(すがわらのみちざね)公をお祀りする北野社、向かって左が稲荷大神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さまをお祀りする稲荷社だ。




境内地蔵堂

ここが一番きれいに手入れされていたところを見ると、普段は無人の神社だがここだけはご近所さんがお世話されているのかもしれない。




境内の片隅、正面鳥居から脇に入ったところには竹と注連縄で括られた石組と蹲があった。何かの祭場なのだろうか。

竹が青竹でなくなっているところを見ると、しばらく使われていないようである。




境内はちょっとしたスペースがあってベンチなども設置されている。写真右側の青いのは普通の樹脂製ベンチだが、左奥にあるのは古い鳥居の笠木を利用したもののように見える。

ところで、拡大してみると地面がつぶつぶしているのがわかるかな。




ここにもまた子供たちに見向きされていないのであろう樫の木のどんぐりが大量に落ちていた。






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法華宗真門流総本山 慧光山本隆寺 境内鎮守社

カテゴリを京都『神』案内にするかどうかかなり迷ったが、一応鳥居もあるので・・・


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以前紹介した岩上神社のすぐ隣にある、法華宗真門流総本山 慧光山本隆寺




その境内には寺域を守護する鎮守神さまのお社がある。

扁額も社号標もご由緒書きもないのでどんな神様がおられるのか想像もつかない。




で、神門から中をのぞかせて頂くと・・・^^;

さすが寺内社、よく混ざっておられる。(笑)

蛇足かもしれないが、神道において鏡は重要なアイテムだが、仏教では使わない。香炉と木魚は仏教のアイテムだが神道では用いない。

仏具の形式ではあるが、燭台だけは双方に共用できると言っていいのかな。w




どうも観光客に人気らしい油土塀。瓦を挟み込んだ形式は白漆喰の築地塀なんかでもよくあると思うし珍しくもないと思うんだけどねぇ。実際、何組かの観光客が写真を撮っていた。






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岩上神社

今回紹介するのはちょっと異色の神社である。神社と言うのも微妙なのかもしれないが。神社の名前は岩上神社(いわがみじんじゃ)と言う。

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この辺りはもともと織物工場があった場所で、その跡地の町並みは石畳になっている。写真中央に見えている小さな鳥居がこの神社である。




まずは手水舎

岩神の文字がある扁額と自然石の蹲。水は井戸水をポンプて揚げているようだった。




正面鳥居は神明式だ。

この神社にご社殿はなく、ご神体に直接覆屋を掛けただけのシンプルな造りである。




これがご神体の岩神さま。いわゆる記紀にある神さまの磐座などではなく、この岩自体が神様として信仰を集めている。

もともとはこの地より少し南東に行ったあたりにあった霊石だったのだが、織豊時代に近所に移され、さらに江戸時代初期に中和門院さまの邸内に遷したところ怪異が生じたという。

吼えたり、すすり泣いたり、子供に化けたり。子供に化けたことから禿童石(かむろいし)と称されたこともあったようだ。

ただ、准后さまのお屋敷内ってことになると女官たちもいっぱいいるわけで、かなり困ったんだろう。真言宗の高僧を召して処置を依頼したそうだ。

僧はこの岩を現在地に運び、堂宇を建て、有乳山 岩上寺(うにゅうざん いわがみでら)と号してお祀りしたと言う。以降、授乳・子育て守護の信仰を集めたそうだ。
(うにゅうと言っても伺かとは関係ない。←判る人だけ。w)

その回向のおかげか怪異は治まったようだが、18世紀の西陣焼けや天明の大火で堂宇は失われ、明治維新で廃寺になった。そしてその後、大正年間に織物業の千切屋がこの地に工場を建てた際、敷地内に祠を設け岩上神社として祀り直したのが現在の姿だとご由緒書きにはあった。




ご神体の脇には蓋をされていたが古井戸と思しき石組があった。この水源からくみ上げて手水舎に供給しているのだろう。






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石井神社

今日紹介する石井神社は「いしい」なのか「いわい」なのか、読み方がわからない。場所は京都市街地北より、北山大橋の西側エリアにある。

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社号標と正面鳥居

社号標には石井神社の文字があるが鳥居の扁額には稲荷神社とある。この神社は古いものではなく、大正年間に稲荷山一ノ峰に石井稲荷大神さまのお塚が建立されたのが創祀だそうだ。稲荷山のエントリでも解説した通り、お塚はプライベートな祭祀の色合いが濃いものなので、その由来などは建立した人に聞かないとわからない。

そして昭和の初めごろこの地に遷座された。当時、旧宮家の賀陽宮(かやのみや)家の信仰が篤く、昭和5年には賀陽宮恒憲王妃 敏子(かやのみやつねのりおうひ としこ)殿下が参拝され、従兄であった昭和天皇に皇太子になる親王がご誕生になるようと言う祈願をされたそうだ。(今上陛下は昭和天皇の長男だが第5子にあたられる。)

その折、神社に拝殿などの寄進を賜ったという。




手水舎

盥漱は丸い石臼のような形をしている。




内側の石鳥居、扁額には稲荷山時代の名残か石井大神の文字が見える。




拝殿前

お狐さま、本坪鈴に鈴緒、そして賽銭箱。こっちの扁額も石井大神と。




ご本殿

銅葺一間社流造、ご祭神さまはもちろん倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さまである。しかし、もとは石井稲荷大神さまであったわけなのでちょっと微妙。ご由緒書きなどがないので境内社を含めてわからないことが多い。




王からの寄進なので小さな神社だが拝殿の屋根には菊花紋章が掲げられている。






上の二つは境内社だが、小さいながらお狐さまの控える流造の社殿だ。お稲荷様であることは間違いないがご名義や相殿さまは分からない。




この見世棚造のご社殿にお祀りされている神さまは分からなかった。




土台ごと傾いてしまっているこの祠は、お祀りされている位置から見てこの地へ石井稲荷大神さまに遷座願った八木家の祖霊社ではないかと思われる。




叢雲龍神(むらくも/そううんりゅうじん)さまのお塚。




これは北側鳥居。いわば裏口にあたる部分だ。






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天津神社

今日紹介するのは神社本庁に包括されない単立の宗教法人である小さな神社だ。まぁ神社本庁に属さないと言っても、大きくは数万のお稲荷さんを従える伏見稲荷大社から、梨木神社のように最近単立化したばかりの神社まで数多くあるので特に珍しくもない。

また、教派神道と言うわけでもなさそうである。ただ、ご祭神さまと境内に特徴があったので紹介しようと思った次第だ。社名は天津神社(あまつじんじゃ)と言う。

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この神社に鳥居はない。天津大神の文字がある扁額と注連縄が掲げられた門とその前のご神灯が目印になる小社だ。




手水

きれいに整えられているが手水舎はなく露天である。




この神社の特徴はご本殿が屋内にあり、参拝は御祈祷の申し込みをして拝殿の中で行うようになっていることである。表は開いていたが神職さんは見えず社務所も閉まっていたので、勝手に撮影するのも失礼なので遠慮しておいた。

資料によるとこの神社は座礼で参拝するらしい。二礼二拍手一礼も神前で正座して行うそうだ。

ご祭神さまは

原初神の筆頭・根源神とも呼ばれる
天之御中主神 さま
あめのみなかぬしのかみ


原初神で統治の神・天神地祇の祖神
高御産巣日神 さま
たかみむずびのかみ

原初神で農耕・生産の神
神産巣日神 さま
かみむすびのかみ


の三柱、総称して造化三神(ぞうかのさんじん)さまと呼ばれる神さまを主祭神に八百万の神々を奉斎しているそうだ。

実はこの三柱の神様、個別にお祀りしている神社は結構あるのだが、造化三神さまとしてお祀りしている神社は思ったよりずっと少ないのだ。それだけでも十分紹介の価値はあると思う。

造化三神さまは日本の神様の中で最初に現れられたと言う原初神さま、別天津神(ことあまつかみ)さまの中の最初の三柱の神様なのだ。でも、例えばこの神様のお名前を見てほしい。

混沌の神・カオス さま
大地の神・ガイア さま
奈落の神・タルタロス さま
原愛の神・エロス さま

上で紹介した日本の神様のお名前より、この四柱のお名前を知っている人の方が多いのではないだろうか。これはギリシャ神話の原初神さまたちである。

日本の神様より遠く離れた地中海の神様の方をよく知っているってのも何となく情けないような気がしなくもない。(笑)




境内社・稲荷社

光明稲荷大神さまをお祀りする境内社で、こちらは普通の神社と同じようにお賽銭を入れ本坪鈴を振って、立礼で参拝できる。

あっさりした紹介になったが、広い民家レベルの敷地にある小社なのでこれで全部だ。

そうそう、おみくじが変わっているらしいが、それも引けずじまいだったのがちょっと残念。吉とか凶とかがなくて、竹の板に百種類のお言葉が記してあるそうで、それを読んで自分を省みるというものだそうだ。






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