東寺寺内社 善女大龍王塚

今日も東寺の中である。昨日までは境内の南の方だったが、今日紹介するのは北の方だ。警備員の詰所などがある建物の横に、こんな石碑がある。

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増運辮才天・・・弁天さまはヒンズー教のサラバスティー神さまが仏教に取り込まれた女神さまだよな。でもって、神仏習合の折に宗像三女神の一柱、市杵嶋姫命さまに習合しておられる。

だから何かあるかなと思ってお参りしてみようと思ったわけだ。
実は「増運」のお名前に惹かれたってのはここだけの話な♪




石碑の後ろにある塀の入り口をくぐるとこんな建物が。

瓦葺妻入入母屋造に軒唐破風がついている。前に下がっているのも本坪鈴ではなく鰐口。完全な仏教建築の造りだ。だから弁天堂と呼ぶべきなんだろうな。




弁天堂の後ろには、銅葺一間社流造の社殿があった。完全な神社建築なのだが、扁額も社号標もないので、どなたをお祀りしているのかは判らなかった。




その隣には小さな鳥居と、ご社殿のないご神体としての神号標がある。形式としては神社と言うよりお塚に近いものだが、簡素な物の拝所には屋根がかけられ、鈴と鈴緒が下がる神道形式のものだ。




ご祭神さまの神号は善女大龍王(ぜんにょだいりゅうおう)さま。

鳥居が建てられているものの、善女大龍王さまは、法華経に登場する八大龍王の一尊、娑伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)さまの8歳(法華経に登場した時の年齢)になる三女である。つまり、完全に仏教の護法神さまなのだ。だから、イマイチ鳥居は似合わないような気もする。ましてや真言宗の根本道場である東寺の境内にあるのだから・・・

かつて東寺vs西寺の雨乞いの祈祷比べが神泉苑で行われた。その際、西寺側の陰謀で日本全国の龍神さまが封じられた。しかし、善女大龍王さまは小さかったがゆえに魔手を逃れ、弘法大師に勝利をもたらしたと言われている。

年齢やそのお話から、小さな金色の蛇の姿や、童女のお姿で描かれることもあるようだが、飽くまで8歳と言うのは龍族としての年齢だったりする。^^;




しかし、それほど弘法大師と御縁の深い龍神様をお祀りするにはいささか簡素に過ぎるなと思いながら、一旦元の境内に戻ってから、閉まっていた正面の門を反対側に回り込んで見てみた。

かなり立派な神号標があった。当然と言えば当然だろうねぇ・・・




ちょっと不謹慎なモノの見方なんだが、実は神仏習合の関係や陰陽道との絡みで、色々と面白いことになっている。

善女大龍王さまは、長じては頗梨采女(はりさいじょ)さまと呼ばれ、大変に美しく優しい姫神さまになられたと言うことだ。でもって、もともと仏教の護法神さまであったものが神仏習合では櫛稲田姫さまに習合され、一方、陰陽道において歳徳神さまはこの頗梨采女さまだとしているのだ。

歳徳神さまはその年の干支によっておられる方向が変わる。基本的に東西南北の各方位の何れかから反時計回りに15°振った方向におられるのだ。でもって、その方向を恵方と呼んでいる。

毎年節分の夜には、家族そろって美しい姫神さまのおられる方を向いて、黒くて太いものを丸かぶりするんだから・・・ビミョーにアレだよな。w なんか同人誌ネタにされそうな話でもある。

不信心者でゴメン m( _ _ ;)m






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東寺寺内社 八嶋殿

昨日に続いて、東寺の中である。鎮守八幡宮は南大門を入って左手にあったが、今日は右手の方だ。

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正面に見えるのが金堂、ここ東寺の本堂だ。

でもって、右手前に石鳥居が見えるだろう。それが今日紹介する寺内社である。




後に見えているのは、木造建築として日本一の高さを持つ五重塔。

その手前に見えているのが、この東寺の地主神さまをお祀りする八嶋殿(やしまでん)である。

地主神:社寺を建立する以前からその地を守護していた神さま。




この八嶋殿も明治元年に焼失したのを、後年再建したものだそうだ。




ご社殿

銅葺一間社流造のご本殿に朱塗りの瑞垣を巡らせ、前に唐破風屋根の拝所を設けた構造である。

向かって右奥には紫陽花が花盛りだった。




軒唐破風の中に掲げられている扁額

ご由緒書きには「八島殿」とあったが、今回の紹介ではこの扁額の文字を採らせてもらった。




ご本殿は総朱塗り。これで板壁部分が白塗りだったらお稲荷さんと見間違うかもしれないな。

ご祭神さまは先ほど紹介した通り

この神様が弘法大師の夢に現れたからここに伽藍を建立したと言う
地主神 さま
じしゅじん


であるが、同時に八嶋と言う名前から連想される通り、

若き日の大国主命さまである
大己貴神 さま
おおなむちのかみ

と同じ神格とも言われている。記紀には日本を「大八洲国」(おおやしまのくに)と呼ぶ古名もあるので、その繋がりなのだろう。

ご由緒書きには、弘法大師は伽藍建立に先立って、寺門造立成就・方位安全・法道繁盛の祈願をされたとあった。




これは北側の鳥居である。

この神社もなぜか西向きに建てられていた。もう少し寺内社があるがそれはさらに明日以降に。






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東寺寺内社 鎮守八幡宮

九条通を通っていて、東寺の塀に目が行った。

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南大門の手前に、銅葺の屋根が見えている。おまけに木部が朱塗り

これはおそらく寺内社だろう。気づいたからにはお参りしなくては。(笑)
(寺院建築は原則として瓦葺・木地・土壁)




南大門をくぐり、正面の金堂に向かって左手、朱塗りの玉垣が見えている。




明神式の鳥居、入母屋造の拝殿。東寺鎮守八幡宮である。

寺内社と言う位置付けからだろうか、西向きにお祀りされていた。と言うか、お寺だからと言って西向きってのもないよな。確か西向きにお祀りするのはお薬師様だったと思うが・・・自信はない。w

ご由緒書きによると、創建は796年とも810年とも伝えられているようだ。その後、南北朝時代に足利尊氏がここ東寺に陣を張り、新田義貞と戦って勝利を収めたらしい。

なんでもこの鎮守八幡宮から飛んだ一本の鏑矢が勝利を決めたのだとかなんとか・・・

その後尊氏公による東寺の保護にあいまって鎮守八幡宮もずいぶん栄えたとある。






手水舎




ご神木の楠。




拝殿
は入母屋造の回廊構造になっている。正面側には短い別庇が接続される構造だ。

この社殿の建物群は明治元年に焼失して、100年以上も復興できなかったらしい。平成になって123年ぶりに再興されたと書いてあった。




銅葺三間社流造のご本殿。

ご神体は僧形八幡神さま坐像一躯と、女神さま坐像二躯とある。寺内社なのでそうした形なのだろう。なんでも、弘法大師手ずから彫り上げられたものだとか・・・

僧形八幡神さまは、第15代応神天皇の
誉田別尊 さま
ほんだわけのみこと


女神さまはおそらく誉田別尊さまのお母さまである神功皇后、すなわち
気長足姫尊 さま
おきながたらしひめのみこと

と、宗像三女神さまの総称である
比売神 さま
ひめかみ


なのだろうと思う。

さて、寺内社は他にもあるが、今日はここまで。続きは明日以降に。






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離宮八幡宮(京都府乙訓郡大山崎町)

今回紹介するのは、JR山崎駅前にある神社だ。これだけではピンと来ないだろうが、サントリー山崎蒸留所の近くとか、明智光秀と羽柴秀吉が戦った「天下分け目の天王山」の麓と言えば全国的に知られた地名になるかな。

社名は離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)である。

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山崎駅に続く道沿いに、連子窓のはまった白壁が続く。この内側が神域だ。




正門。神苑を取り囲む塀に設けられた門だが、鳥居などはない。




正面鳥居

神苑中央にあって、神域を囲む塀に設けられた神門を望んでいる。




鳥居脇にある手水舎

額には石清水の文字が。

実はこの神社、上七社の一つ、石清水八幡宮からそれほど遠くない場所にある。平安時代に大分県の宇佐八幡宮から都に八幡神様を勧請した折、その任にあたった高僧・行教が帰京の途中この地に霊光を目撃、その地を掘ったところ石清水が湧き出したということが社伝にはある。

つまり、当初はここが石清水八幡宮だったと言うわけだ。ほどなく別宮として設けられていた男山山頂の現在地に遷宮されたと言うことだ。

この額はその謂れに因むものだと思う。




神門

もちろん中に入れるが、ここにも本坪鈴があり、略式ながら、ここでご本殿はじめ、摂末社も一括してお参りできるようにはなっている。






狛犬さん。




これが御社殿

石清水八幡宮は、八幡造と言う平入切妻二棟を接続用の棟で繋いだ形式だが、この神社は見ての通り入母屋に大きめの唐破風向拝が付いた立派な拝殿が手前にある。




そして、その後ろに接続用の建物に相当する部分があり、ご本殿が続く。

写真中央の屋根がご本殿だ。流造である。

ご祭神さまは

ご本殿に第15代応神天皇である
誉田別尊 さま
ほんだわけのみこと


左殿に大山祇神(おおやまつみのかみ)さまの別のお名前
酒解大神 さま
さかとけのおおかみ

右殿に宗像三女神さまである
比売神 さま

ひめかみ

をお祀りしている。石清水八幡宮では酒解大神さまの代わりに、応神天皇の母君、神功皇后を配しているのが異なっているが、その由来はよく判らない。

多分、すぐそばにあるサントリーとは関係ないと思う。(笑)

なお、大山祇神さまはお稲荷さんのセンターポジション、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さまや、八岐大蛇から救われた縁で素戔嗚尊さまに嫁いだ奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)さまのお祖父さまに当たられる神さまである。




ご本殿前の幣殿。

たくさんの一斗缶が奉納されている。ここは普通菰樽だろうと思うところだが、その由来は後ほど。




これは拝殿内部。床几か並んでいるし、珍しく板張りの上に畳のような敷物がセットされている。ござかもしれないが。




末社群。向かって右端から、反時計回りにご社名を紹介する。

日本のメトセラ、武内宿禰(たけのうちのすくね)公をお祀りする武内社(たけのうちしゃ)。

天照大神(あまてらすおおみかみ)さまをお祀りする天照皇太神社(あまてらすすめらだいじんじゃ)。

蛭子神(ひるこがみ:えびすしん)さまをお祀りする蛭子神社(ひるこじんじゃ:えびすじんじゃ)

武甕槌神(たけみかづちのかみ)さまをお祀りする鹿島神社(かしまじんじゃ)

御食津神(みけつかみ)さまをお祀りする気比宮(けひのみや)


大きい建物は三社。向かって右から

住吉三神(すみよしさんじん)さまをお祀りする住吉神社(すみよしじんじゃ)

高天宮神社(たかまのみやじんじゃ)…ご祭神さまは判らなかった。

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)様をお祀りする稲荷神社(いなりじんじゃ)。





この4×4のマトリックスは、神仏習合時代、ここにあった宝塔の礎石なんだそうだ。

向こう側に見えている末社は向かって右から

天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)さまをお祀りする勝手神社(かってじんじゃ)。

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)さまをお祀りする小禅師社(しょうぜんじしゃ)。

そして菅公が大宰府配流の折、この地にて腰掛けられた石をお祀りする腰掛天神社(こしかけてんじんじゃ)。





角度の関係で実際より立派に写っているが、一番小さい社殿である。ただ、見ての通り、きちんと階のついた正式な社殿で見世棚ではない。

この神社は石清水八幡宮のある男山のふもとの摂社と同じ神社だ。

高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)様をお祀りする高良神社(こうらじんじゃ)である。





さて、この神社がなぜ離宮八幡宮と呼ばれるかなのだが、この地はもともと石清水八幡宮を大分から勧請された清和天皇の三代前に当たる嵯峨天皇の離宮があった場所なのだ。

その離宮は河陽宮(かやのみや)と呼ばれた。この石碑はその跡地であることを示すものだ。




神苑にこんなものがあった。何だと思う?

やりたい気持ちは判るが、銃やスリングショットやダーツ、ましてやアーチェリーで撃ったりしないように。(笑)

これは、この神社の1100年祭に当たって、昭和32年の記念事業で採用された「全国油脂販売業者の共通店頭標識」なのだ。




この通り、この神社は我が国において最初の製油業が営まれた土地なのである。エゴマを原料に灯油を絞ったそうだ。

エゴマ油と言えば、現在においては必須脂肪酸のα-リノレン酸含有量が高いことから、健康志向のオイルと言う扱いだが、日本で製油が始まった当時においては照明用だったんだな。




石碑には

従是西 八幡宮御神領守護不入之所

つまり、「ここから西は八幡宮の領域なので、たとえ守護(大名)といえども無断で立ち入ることはできない。」と言う意味だ。

油の製造販売権を押さえた神社の力がいかに強かったかを今に知らせてくれている。


と言うことで、この神社は油脂関係者の崇敬が篤い。だから、奉納品が菰樽ではなく一斗缶だったと言うわけだ。

残念ながら、オリーブオイルの場合既定サイズが5L缶が最大なので、4缶パックでしか奉納できない。でもって、ウチの会社はあんまり品質の高いものを扱っていないので、良い物が手に入ったら奉納させて頂くことにして、今回はお参りだけしてきた。






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今日の七十二候  6月1日 小満末候:麦秋至




            

六請神社

今回紹介するのは、立命館大学本部のある衣笠キャンパス近くの神社だ。社名は六請神社(ろくしょうじんじゃ)と言う。

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神社正面にはご神灯掛けがしつらえられている。




その奥には明神式の石鳥居と両脇に控える狛犬さん

いずれも昭和のものだが、鳥居は皇紀2600年(昭和15年)、狛犬さんは昭和44年の奉納だった。




手水舎




瓦葺入母屋造の拝殿

手前に見えるのは、おそらく先代のご神木なんだろう。




拝殿の中には(ながえ:いわゆる神輿の担ぎ棒)が飾られていた。

説明によると、平成11年に轅を新調した際に、それまで150年余りにわたって使われてきた物をここに記念として飾ったとある。

と言うことは江戸時代の末期から使われ始めたものだと言うことだな。




拝殿の奥、幣殿で接続された向こうにはご本殿がある。瑞垣越しに仰ぎ見ると、銅葺一間社流造で水平切りの千木と4本の鰹木が見える。

ご祭神さまは、上七社のうち平野神社以外の六社から神様を勧請したと言うことだった。だから六請神社と言う名前なのだとか。

勧請元の神社は

伊勢神宮
 
石清水八幡宮 ⇒前編 ⇒後編
 
賀茂大社 (賀茂御祖神社 ⇒前編 ⇒後編 ・ 賀茂別雷神社 ⇒前編 ⇒後編)
 
松尾大社 ⇒前編 ⇒後編
 
伏見稲荷大社 ⇒前編 ⇒後編 ⇒稲荷山1 2 3 4 5 6
 
春日大社 ⇒大宮 ⇒若宮十五社 ⇒末社群 ⇒文化財 ⇒その他の神襀と自然 

である。まぁ、上七社のうちの六社だから当然と言えば当然なのだが、錚々たるメンバーだよな。

神社の前にあった京都市による説明書きでは、もともと

日本と言う土地の神格である
大国御魂神 さま
おおくにみたまのかみ

をお祀りしていたのが、神仏習合の時代に六地蔵などから六と言う数字が使われるようになって、各地から神様を勧請したとある。


しかし・・・実はこの神社からほど近いところにあるわら天神・敷地神社の摂社に六勝神社と言うのがあって、ご祭神さまはこの神社と全く同じなのだ。しかもご由緒はこの京都市による説明とは全然違ってたり。(笑)

どちらかと言うと六勝神社の方がありそうな感じたとは思う。詳しくはわら天神のエントリを見てくれ。




これはご本殿の隣にあった力石大明神

その昔はこの石を持ち上げて祈願していたそうだが、現在では祈願の内容を書いた小石を御供えするようになっている。




力石大明神には固有の鳥居があるのだが、この鳥居の内側に彫ってある奉納時期。

天明九季己酉二月、1789年だ。(その昔、季は「とし」とも読んだ)

天明と言う言葉で連想されるのが天明の大飢饉。大阪でも米問屋などの打ちこわしがあったころだな。大飢饉はこの前年までだったが、年が明けて間もない二月に、氏子中がこれだけの奉納をしていると言うのもなんかすごいと思ってしまった。

制作上の都合かも知れないが面白いこともある。実は天明九年は1月25日で終わって、寛政に改元しているのだ。

あの寛政の改革で有名な元号だな。




境内にあった、巨大な茶筅のような謎の物体。良く見るとハート形を構成している竹の板は全部で12本。それぞれに干支を書いた札が下がっている。

どうやら絵馬掛けのようだった。

・・・御神籤が結ばれていたが。(笑)




この神社は、社寺の多いロケーションにある。突き当り、警備員が立っているところには等持院の看板が見える。

足利尊氏の墓所である等持院はあの看板を右に曲がった突き当りにあるのだ。




こっちは神社の隣のお寺、真如寺。

臨済宗相国寺派の総本山・萬年山相國承天禅寺(通称:相国寺)には山外塔頭が3か寺ある。

この真如寺はその一つで、後の二つは金閣寺と銀閣寺なのだ。






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菅大臣神社

今回紹介するのは天満宮である。社名は菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)。菅原道真公の邸宅や学問所の跡地に建てられた神社である。

菅公は生前最高位が従二位・右大臣、没後贈位で正一位・太政大臣であったところからつけられた社名であろうか。

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正面参道の鳥居

珍しく西向きが正面になっている。




社号標にお守り授与のの看板が・・・^^;




鳥居のすぐ内側には冠木門があり、参道が続く。両側は月極め駐車場になっているようだ。




これは南側参道入り口の鳥居




鳥居をくぐると道沿いには民家や会社が並び、次の鳥居が見えてくる。

この鳥居を過ぎると境内・・・ではなく、やはり少し家が並んでいたりする。




これは北側参道の鳥居

やはり駐車場の車や町屋が並ぶ。




正面鳥居

ご本殿は西向きに建てられているので、午前中に参拝すると思いっきり逆光。^^;;;






正面鳥居の両脇には狛犬さんがいたが、その外側にも新しい目の狛犬さんが控える。




手水舎


正面鳥居の向かい側にある。臥牛さんがしっかり鎮座しているのは天神さんらしくていいが、水がない。




拝殿・幣殿を通してご本殿を見せて頂いた。

上には鏡、ご本殿前には隋神さまがおられる。

ご祭神さまはもちろん

贈正一位・太政大臣
菅原道真 公
すがわらみちざね


そして、どなたのご神格かは判らなかったが・・・
尼神 さま
あまがみ


若き日の大国主命さま
大己貴命 さま
おおなむちのみこと


である。




菅公と言えば

東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

の歌だが、この地にて詠まれたとある。もともとこの神社は、先に示した北側鳥居の面している道を中心に、南北二町、東西一町、現在の面積に直すとおよそ2ヘクタールの広大な敷地を持っていた。

それが重なる戦火に焼かれ、だんだん敷地も狭くなって現在の小規模な神社になったと言うわけだ。この中心になる通りの南側、つまりこの神社の敷地のあった場所には白梅殿、北側には紅梅殿と言う邸宅があったらしい。

明治2年には下鴨神社から三間社流造の旧社殿を移築してご本殿にしたそうだ。その後幣殿などを前に建造、現在の八棟造(権現造)にしたらしい。

北野天満宮のご本殿と同じ基本構造で、非常に複雑で流麗な建物だ。




向かって左側が、菅公の誕生以来のお世話役、度会晴彦(わたらいはるひこ)翁をお祀りする摂社・白太夫社

向かって右側は、菅公の舎人であった 十川能福(そごうのうふく)さまをお祀りする摂社・福部社である。




向かって左側は、太宰府配流の折、松の種を託された菅公の家臣、島田忠興(しまだただおき)さまをお祀りする摂社・老松社だ。

向かって右側は火雷神(ほのいかづちのかみ)さまをお祀りする摂社・火御子社である。

この四社の摂社は、必ずと言っていいほど天満宮には併設されている。




これは、正面鳥居を出てすぐ、手水舎の隣にある末社・三玉稲荷社と春崎稲荷社




小さいながら、ちゃんとした銅葺一間社流造のご社殿である。

ご由緒などは判らなかったが、まぎれもないお稲荷さんだ。




神社を出て、少し東に進むと、北に延びる住宅地の道がある。その突き当りに小さな祠があった。




扁額には紅梅殿の文字が。

もともとはこちら側にも広がっていた神社の名残を示すものなのだろう。






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京都大神宮

今回はちょっと変わった神社を紹介する。社名は京都大神宮

もともとは伊勢神宮の遥拝施設であったものが、さまざまな変遷ののち、戦後神社として独立したものだ。

つまり、東京都千代田区にある東京大神宮と同じ性質の神社と言えるだろう。

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京都の繁華街、四条寺町を少し下がったところにある神明式の石鳥居




中に入ると立派な手水舎がある。水盤は伏見城から寄進され移築されたものだそうだ。




御本殿は銅葺入母屋造唐破風向拝付きの堂々たる建築だ。

大神宮と言う名前からも明らかだろうが、ご祭神さまは

伊勢神宮内宮の
天照皇大神 さま
あまてらすすめおおかみ

伊勢神宮外宮の
豊受大神 さま
とようけおおかみ


である。さらに、相殿神さまとして

神産みの父神さま
伊弉諾尊 さま
いざなぎのみこと

神産みの母神さま
伊弉冉尊 さま
いざなみのみこと


造化の三神様の一柱・生産と創造の神・宮中八神殿にお祀りされる
神皇産霊神 さま
かみむすびのかみ

造化の三神様の一柱・支配と征服の神・宮中八神殿にお祀りされる
高皇産霊神 さま
たかみむすびのかみ

宮中八神殿にお祀りされる
玉積産日神 さま
たまつめむすびのかみ

宮中八神殿にお祀りされる
生産日神 さま
いくむすびのかみ

宮中八神殿にお祀りされる
足産日神 さま
たるむすびのかみ

宮中八神殿にお祀りされる
大宮売神 さま
おおみやのめのかみ

稲荷神さまの中心、倉稲魂命さまともされ、宮中八神殿にお祀りされる
御食津神 さま
みけつかみ

大国主命さまの息子、宮中八神殿にお祀りされる
事代主神 さま
ことしろぬしのかみ


田の守り神
大地主神 さま
おおとこぬしのかみ


最初の斎宮様
倭比売命 さま
やまとひめのみこと


そして崇敬者の祖霊さまがたを配してお祀りしている。




これが唐破風正面

神殿と言うより、昔の豪邸といった趣だがそれもそのはずである。

公家・一条家の玄関と書院を移築したものだそうだ。




講中も多く、札がこの通り。




これはこの神社が遥拝所だった時代の建物だそうだ。




遥拝所の前にはなにやら道祖神さまっぽい石が二つ・・・




なぜか境内の一角には福禄寿さまが。




おみくじ♪




スマホやPCの御祈祷の案内

この神社は東京大神宮とのタイアップで、神前結婚式と言うものを最初にプロデュースした神社だそうだから、新しいことへのチャレンジにもためらいがないのかもな。

ま、日本の神さまは日本人と密接にかかわってくださっているから、これもOK。




とはいえ、神社の存在するロケーションの影響も少なからずあるのかもな。(笑)






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斑女塚

昨日紹介した繁昌神社とご縁のあるお塚を紹介する。

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繁昌神社より一本北の通り、仏光寺通に繋がる、地図にも載っていない路地。

まっすぐ南に行くと突き当たりにはお地蔵様がある。そこを右に折れ、すぐ左に曲がるような、クランク状になって、少し開けた場所がある。

イタリア語で言うCampoみたいな感じかな。(笑)




そこにはこうした立派な木と、その下にはお塚がある。この白い建物は繁昌神社の神庫だそうだ。




斑女塚(はんにょづか)。繁昌神社の名前の謂れと伝えられる名前だ。

宇治拾遺物語にある長門前司の娘の葬送にまつわるお話にあるお塚がこれだとか。若くして亡くなった娘の葬儀の後、何度野辺送りにしても、墓の前に着くと棺は空っぽ、家に帰ると、遺体はそのままだったと言う怪異の話である。

その家に居続けたいのだろうと言う父の計らいで設けられたのがこのお塚だそうだ。何度送り出しても帰ってくると言う話から、未婚の女性は近寄ってはいけないなんて話がまことしやかにささやかれるが、そうした話が実在しているのかどうかは判らなかった。


今日、このお塚の前で繁昌神社の湯立神楽が奉納されると地元のおじさんが言っていた。お昼ぐらいには張れるらしいから、御輿巡行には問題ないだろうが、現在は豪雨。10時からの湯立神楽は大丈夫なのか、ちょっと心配。






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今日の七十二候  5月16日 立夏末候:竹笋生(竹笋:ちくじゅん=タケノコ)




            

繁昌神社

京都のビジネス中心地からほど近いところにある小さな神社を紹介しよう。京都銀行本店もすぐそばにある。

で、どのくらい小さいかと言うと・・・

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ほぼ、小ぶりの民家一軒分




これが正面鳥居

すぐ奥にはもう拝殿の鈴緒が見えている。





拝殿の右手前には手水があった。屋根は掛けられていないがきれいに整えられている。




拝殿正面


何となく雑然として見えるのは明日16日のお祭りの準備のためだ。今日は有名な葵祭の日だが、この五月中旬は京都市内のさまざまな神社でお祭りが行われる。

この神社でもお神輿巡行のほか、湯立神事なども行われると書いてあった。




拝殿においてあったのは、子供用の樽神輿。大人の神輿と一緒に出るらしい。




ご本殿正面

最初の写真で見てもらってわかるとおり、銅葺一間社流造である。

ご祭神さまは宗像三女神さまたち、つまり

田心姫命 さま
たごりひめのみこと


湍津姫命 さま
たぎつひめのみこと


市杵嶋姫命 さま
いちきしまひめのみこと


の三柱である。良く知られている通り、市杵嶋姫命さまは神仏習合時代には弁財天と習合しておられた。このことからも商売繁昌・技芸上達のご利益が願われたのだろう。

また、この神社自体も江戸時代には真言宗のお寺の管理だったらしく、明治の神仏分離の折に神社だけが残ったのだとか。




小さな神社だが、この通り町名にもなっているくらい親しまれている。

社名の謂れだが、もともとこの神社では牛頭天王さまの后である頗梨采女(はりさいじょ)さまおお祀りしていたのが、転訛して「はりさいじょ」⇒「はんじょ」になったとある。京都市によるご由緒書きには「針才女」と書かれていたが・・・

で、「はんじょ」には「斑女」の文字が当てられ、さらに繁昌に繋がったとか。そんな関係から縁結びのご利益もあるそうだ。

かなり苦しい繋げ方だが、信じる心ってやつはいつの時代もそうなのかもな。日本人らしくって良いって気もする。






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朱色@伏見稲荷大社

このブログの常連さんであるMOTOYOSさん「朱色に惹かれる」と仰っていことから思いついて、GWを利用して神社の朱色を撮りに行ってきた。

もちろん朱色と言えば伏見稲荷大社。今回は神様の紹介などは措いて、朱色のシーンだけを。

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正面楼門




外拝殿





内拝殿向拝の唐破風部分に組み込まれた極彩色の細工。




絵馬掛けの代わりの、奉納鳥居掛け。




ご本殿
側面。




千本鳥居、飛ぶ虫視点。




千本鳥居、ぬこ視点。




奥社奉拝所





末社、白狐社




正面参道のご神灯






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アクセス数

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