宇治上神社 (京都府宇治市)

今日紹介する宇治上神社(うじかみじんじゃ)は、昨日紹介した宇治神社と対をなす神社である。

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昨日紹介した宇治神社の脇側の門から参道に出て100メートルほど行くと、宇治上神社の正面鳥居が見える。なぜか台輪が入った稲荷鳥居が使われている。

こちらの神社は世界遺産登録されているようだ。




この小さな橋を渡って門をくぐると境内に入る。




昨日は兎の吐水口があったが、これも桐原水の手水舎。石段を下りて行って、直接池から水をくむ。




池はこんな感じになっているのだ。




拝殿

檜皮葺で入母屋のような感じだが、この優美な曲線は脇庇が付いた寝殿の構造のようだ。これで付属する建物群や池があれば立派に寝殿造と言えるんだがな。なんでも、鎌倉時代に造られた寝殿造の屋敷の遺構とも言われているらしい。

正面には立砂が見える。神社の説明によると、一般的に良く用いられる依代としての立砂ではなく、奉納された砂を清め砂として使うために立ててあると言うことだった。

上賀茂神社の立砂もまた依代ではなかったが、ここのように実用的なものでもないところが興味深い。




拝殿を本殿側から見下ろしたところ。




これが檜皮葺桁行五間社流造のご本殿覆屋

檜皮葺一間社流造のご本殿三社はこの中におさめられている。ご本殿は相当古いものであり、文献の記録がなかったことから、年輪年代測定法で調べたところ、西暦1060年の建立と判ったそうだ。

現存最古の神社建築であると言うことである。

三社ある場合、一般には中座が主祭神さまなのだが、この神社では少し様子が違う。

右座が宇治神社の御祭神さまでもある
菟道稚郎子命 さま
うじのわきいらつこのみこと


中座がその父君、誉田別命(ほんだわけのみこと)さまである第15代
応神天皇
おうじんてんのう


左座がその異母兄、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)さまである第16代
仁徳天皇
にんとくてんのう


なのだ。

・・・ご祭神さまのおられるご本殿は一棟ずつに分かれているので、本来なら「右殿」「中殿」「左殿」と書くのが正しい。実は参考資料をネットで調べていて腑に落ちないことがあったのだ。

2004年にアップされたwikipediaの記事を筆頭に、ブログや観光案内などすべてに

「左殿(向かって右)に菟道稚郎子命さま」

と書かれているのだ。俺も参拝した時に気になったのでパンフレットなどを貰ってきたがそうした表記はない。

唯一、こんな立札がご本殿の横にあっただけだ。




まぁ、だからと言って右殿に菟道稚郎子命さまだとも断言できないので、右座と言う表記にとどめておいた。もしかすると昔の立札やパンフレットには右殿にどなたと言った表記があったのかもしれないしな。




末社・武本稲荷社(たけもといなりしゃ)

お稲荷さんなので、ご祭神さまはちろん倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さまである。




稲荷社の隣の山の斜面にはお塚がいくつかあった。稲荷山と同じイメージだな。




檜皮葺見世棚春日造の末社・厳島社(いつくしましゃ)

御祭神さまは宗像三女神さまではなく、その中の一柱、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)さまである。




大小の末社が三社。手前から春日神社・住吉社・香椎社である。

重文指定の春日神社、なぜか春日造ではなく流造なのはちょっと謎。






神社の説明パンフレットによると、これは以前社殿があったことを示すものだそうだ。上に小石がいっぱい積まれているのは・・・何か御利益を期待してのことなのだろうか。






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宇治神社 (京都府宇治市)

昨日は宇治茶の話題だったが、今日と明日は神社の予定。

京都府宇治市、人口18万人余りの地方都市だが、現在発行中の日本の硬貨には1つだけ、紙幣までを合わせても2つしか建造物は描かれていない。宇治市はその硬貨に描かれた建造物、平等院鳳凰堂がある街として知られている。

もう1つは二千円札の守礼門だから、事実上、現在発行中の日本のお金に描かれた建造物は10円玉の鳳凰堂だけと言っていいだろう。

今回紹介するのは、社名に地名そのものがついている宇治神社(うじじんじゃ)。明日(予定)は、この神社と対をなす宇治上神社を紹介する。

宇治市と言えばもっとも有名なのは暗闇の奇祭、「宇治の縣祭」で知られる縣神社(あがたじんじゃ)だと思うが、この宇治神社は宇治川を挟んで対岸側にある。ま、実は宇治神社と縣神社と言うか、その氏子さんたちの間の関係がイマイチ良くないので、縣神社の紹介は少し時間をおいてから行おうと思っている。別に、俺には関係ない話だから、連続でやっても構わないんだけどね。^^;

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昨日紹介した朝霧橋から北東側へ降りると、宇治神社が見える。




正面鳥居

普通の明神鳥居だが、貫の楔がビミョーに貧弱と言うか、向かって右側の楔が見えないような気もする。(汗)

奥に階段が見えるが、ちゃんとこの部分で参道の正中を外してあるのがうれしい。




参道の途中に社務所があるのだが、その前には唐獅子さんがいた。

狛犬さんではない。両方とも口開いてるだろ。




獅子狛犬さんとか、狛犬さんと言われている場合、向かって左側が吽形と言うことで口を閉じているのが普通なのだ。

さらに、両方とも口をあいていても、角があるのは狛犬さんで、角がないのは唐獅子さんなのだ。ここのは左右とも同じ姿なので、唐獅子さんと判断した。




手水舎


ここの水は桐原水と呼ばれていて、宇治七名水のうち現存する唯一のものだそうだ。




うさぎさんの吐水口
。この神社のお守りなどにもうさぎがモチーフとして用いられている。左京区の岡崎神社もうさぎで有名だが、この神社の場合神使がうさぎと言うわけではない。

御祭神さまと関係が深いのでうさぎが用いられているのだ。その話はまたあとで。




拝殿・桐原殿


ここにも桐原の名前が出てきた。この神社の御祭神さまは、八幡神で有名な15代応神天皇の皇子で、桐原の名はこの地に桐原日桁宮(きりはらのひげたのみや)を構えられたことに由来する。




拝殿を回り込むと鳥居と階段、そして階段の上には瑞垣と神門が見える。




瑞垣の中には檜皮葺三間社流造のご本殿がある。

御祭神さまは、15代応神天皇の皇太子でありながら、異母兄である大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)さまに皇位を譲るため自ら命を絶たれた皇子
菟道稚郎子命 さま
うじのわきいらつこのみこと


である。ここに「うじ」と言う名前が出てくるが、もともと宇治は菟道と書くことがメジャーだったようで、現在の地名表記は平安時代以降の書き方だそうだ。

とは言え、現在でも菟道と言う名前は「とどう」の読みで宇治市内の地名として残っている。某吹奏楽アニメの舞台「北宇治高等学校」は「菟道高等学校」の建物をモデルにしたらしい。

そして菟道の菟の字は兎の異字体なのだ。だからうさぎがモチーフに使われていると言うわけなのである。




御祭神さまの神名標。




これは簡素な末社群。手前から廣田神社・松尾神社・高良神社・伊勢両宮

廣田神社は天照大神さまの荒御魂(あらみたま・神様の怖い方の側面)である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)さまをお祀りする兵庫県は西宮市にある神社からの勧請だろう。

松尾神社は松尾大社からの勧請で間違いないと思う。

高良神社(こうらじんじゃ)は石清水八幡宮の境外摂社である高良神社だろう。

伊勢両宮は言うまでもないよな。




こちらは見世棚ながらきちんとしたお社の末社。手前から春日神社・日吉神社・住吉神社である。各々、奈良・滋賀・大阪からの勧請だろう。






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今日の七十二候  8月13日 立秋次候:寒蝉鳴




            

京・日吉神社

紅葉の名所として有名な、天台宗・鈴聲山真正極楽寺、通称真如堂

そのすぐ隣にあるのが今日紹介する京・日吉神社だ。

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住宅地の細い道に面してひっそりと建っている正面鳥居。この鳥居はほぼ北向きなので、中に入ると参道が右に曲がり、お社の正面は東を向く格好になる。




社号標

名前の通り京都市とは比叡山を挟んだ反対側、滋賀県大津市坂本にある日吉大社からの勧請で創建された神社である。




普段は訪なう人も少ない神社だからだろうか、手水は張ってなかった。




一段高い所に石造りの玉垣に囲まれた神域。鳥居の向こうに見えるのは拝殿だ。

下には狛犬さんが控える。

日吉系の神社と言えば神使は真猿(まさる)さんじゃないのかなと・・・




拝殿の奥、瑞垣の手前にちゃんといた。

これは吽形に当たる子守猿さん。繁栄の象徴だ。




これは阿形に当たる桃を抱いた長寿猿さんである。




瑞垣神門から中を覗かせて頂いた。ご本殿は銅葺一間社流造なのだが、実は全体像をとらえられるアングルがなかったのでこれで勘弁。

特に御由緒書きにはなかったが、ご祭神さまは日吉大社からの勧請なので、

若き日の大国主命さまである
大己貴命 さま
おおなむちのみこと


松尾大社のご祭神さまとしても知られる
大山咋神 さま
おおやまくいのみこと


だろう。




拝殿横から望んだところ。

右手前の屋根が拝殿、その向こうが瑞垣神門の屋根、一番向こうがご本殿の屋根である。




瑞垣の中には末社の稲荷社があった。賽銭箱が設えられているが、普段はここまでは入れないようだった。




これはご本殿のある瑞垣のすぐ外にある石不動明王堂

おそらく真如堂との関係でここにあるのだろうが、御由緒は良く判らなかった。




明王堂のすぐ下にも、子守猿さんがいた。






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涼森神社

先日お参りに行って紹介できていなかったので・・・

神社のお名前は涼森神社(すずのもりじんじゃ)。ここ数日の猛暑の中でご利益を感じられそうなお名前だろ。

京都市のほぼ南西の端、宇治川と桂川が合流する直前ポイントに鎮座されている。

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参道正面の鳥居は北向きに建っている。どうやらこれが唯一の入口らしい。




参道を進むと右手に石垣が見えてくる。上には建物があるようだ。




北側から入ったので、南向けに建っているご本殿の裏側が見えているようだ。




参道を突き当たるとUターンする形で神門と向き合う。




手水舎には残念ながら水がなかった。祭礼の折には井戸を起こすのだろうか。




拝殿


床の張ってない造りからして、絵馬舎かとも思ったのだが、建てられている場所から見て、多分拝殿なのだろう。

両サイドの建屋を省略した割拝殿と言うことで良いのかな?




ご本殿はコンクリート製神明造である。

昭和36年の第二室戸台風で損壊したため、コンクリート製で築造したとあった。

御祭神さまは

滋賀県の白髭神社から勧請されたと思われる猿田彦命さまである
白髭大神 さま
しらひげおおかみ


三貴子の末っ子
神速須佐之男命 さま
かむはやすさのおのみこと


国津神の代表
大国主命 さま
おおくにぬしのみこと


大国主命さまの息子
事代主命 さま
ことしろぬしのみこと

学問の神さま
菅原道真 公
すがわらみちざね

である。この神社がちょっと変わっているなと感じたのは神さまの呼び方だ。

滋賀県は京都から近いので、白髭大神さまは滋賀県から勧請したので間違いはないと思う、しかし、白髭神社の神さまは白髭大明神・猿田彦大神さまなのである。

東北地方には白髭大神さまがお祀りされているとも聞くが、ちょっと遠すぎるような気もする。

また、スサノオさまは、普通「建速」須佐之男命さまなのだが・・・




ご本殿に掲げられた扁額は珍しい横書きである。




摂社ではなくて、相殿さまだそうだ。普通相殿さまと言うと、ご本殿が三間社など、複数作りになっていて、中央に主祭神さま、左右にご配神さまや相殿さまと呼ばれるポジションの神さまをお祀りするのだが・・・

この規模の神社の摂末社にしては立派な造りなので、もしかすると台風でご本殿が損壊した折、現在のご本殿建立までの間使われていたと言う仮宮なのかなと思ったりもした。

御祭神さまのうち、筆頭格の方のお名前が黒くなっていて読めなかった。他の神様方はかろうじて読めたので紹介する。

この神社の創建にかかわったとされる
仁徳天皇
にんとくてんのう


主祭神である猿田彦命さまの奥方さまである
天宇受売命 さま
あめのうずめのみこと


伊勢神宮外宮のご祭神さま
豊受姫大神 さま
とようけひめおおかみ

オールスター
八百萬神 さま
やおよろずのかみ

である。こうして全体像を眺めてみると、何となくお名前が読めなかった神さまが想像できる。この先で紹介する石碑からも判るように、この神社は石清水八幡宮の影響下にあったようだから、隠れていて読めなかった神さまは

仁徳天皇の父、応神天皇の
誉田別命 さま
ほんだわけのみこと

あるいは、誉田別命さまを筆頭に姫神さまと神功皇后を合わせた神格
八幡神 さま
はちまんのかみ

ではないかと思われるのだ。




遥拝所

多分お伊勢さんを遥拝するための場所だろう。




龍王社

ご祭神さまは白長龍王さまと白姫龍王さま

ご由緒などは書かれていなかったが、この場所が宇治川・木津川・桂川が合流して淀川となるポイントであることから、川を神格化した龍神さまではないかと思われる。




龍王社の向こう側に拡がっているのは、宇治川の土手の景色である。




かつてエゴマ油の製造販売権を押えた石清水八幡宮・離宮八幡宮の権力の強さを紹介したことがあったが、ここにも同じタイプの石碑があった。

石清水八幡宮神領守護不入之所

つまり、「ここは石清水八幡宮の領地だから守護大名であっても勝手に入れない場所」と言う宣言なのだ。




これは参道を元来た方向、つまりご本殿に正対する向きに歩いた風景である。




正面鳥居の西隣には美豆城(みずじょう)の石碑があった。

この神社の西隣には15世紀初めに築城された小規模なお城があったらしい。100メートル四方くらいの小さなお城だったようだが、16世紀後半には本圀寺の変にも絡むなど、それなりに存在感のある戦闘用城塞だったようだ。






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宇迦之御魂命社

さて、昨日少し触れたように、稲荷山の神蹟を少し紹介しよう。いわゆる稲荷山七神蹟には数えられていないが、お山を巡拝した後、三ツ辻と言う分岐点で千本鳥居に向かわず下山する旧ルートを取ると、この「お産場稲荷神蹟」にたどり着く。このすぐ向こう側は伏見稲荷本宮の境内になるのだ。

神蹟の中心にはお産場稲荷と言うお社があるが今回は参拝していない。

なんでも小高い丘になっているこの辺りには12の自然の穴があり、そこで狐が子育てをしていたことに因む神蹟の名だとか。なのでその穴にお参りすると安産の御利益もあるそうだ。

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これが神蹟の中心エリアだ。突き当り向かって右側が昨日紹介した八霊社の入り口になる。

稲荷山山中の神蹟に比べると密集していない感じもするが、それもそのはずで、軽自動車一台がやっとの道幅ながら、ここは住宅地の中の道路なのだ。だから普通に住民が行き来する生活道路でもある。

向かって左側手前の石鳥居、良く見ると右の足元に小さな社号標があり、そこには宇迦之御魂命社(うかのみたまのみことのやしろ)と読める。




鳥居をくぐると、こんな立札があった。




これがその奉安殿

門扉が閉まっていて、向こう側に賽銭箱と鈴緒が見える。




これは鈴の向こうに見えた扁額。

お参りできないのかなと思って、覗き込んでみると、賽銭箱の向こうにご由緒書きのような板が見えた。

ちょっと遠くて古びていたので写真の写りが悪かったからテキストに起こしてみる。

宇迦之御魂大神社

稲荷五社大神の起源は元明天皇の時代、和銅四年(西暦711年)二月初午の日に、宇迦之御魂大神・佐多彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神共に稲荷山三ノ峰に御鎮座になったと伝えられ、これら五柱の御祭神を総称して稲荷五社大明神と言われ、広大無辺なる御神徳として神格化されたものであります。

五祭神の御神意は衣食住の大祖であり、五穀豊穣・萬民豊楽の神霊にて今日では商売繁昌・産業興隆・家内安全・芸能上達・交通安全の守護神としてあまねく信仰を集め、その神威は遠く海外にも及んでいます。

当神殿は由緒ある宇迦之御魂大神の御分霊の御神体を奉安しており、信仰厚き方々の御礼拝を希望により受け賜っております。ご遠慮なく申し出で下さい。

宇迦之御魂命社

なるほど、そういう事か。しかし・・・どこに申し出ればいいんだろう。(笑)




ただ、このご由緒書きのおかげで、なぜ昨日の八霊社の神号標のお名前のうち、白菊大神さまが中心になっていたのかが判った。この神蹟では三ノ峰こそが伏見稲荷の発祥の場所だとしているんだな。

一般的には二ノ峰の方がメインの扱いなんだが・・・

そして、豊受大神さまとの関係性・・・同一神としての見方がここでも行われていることが見て取れた。

豊受大神(とようけのおおかみ)さま=保食神(うけもちのかみ)さま=御饌津神(みけつかみ)さま=三狐神(みけつかみ)さま=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さま

もともとは違う女神様だったのだが、こんな繋がりで、同じ神様だとみなされるようになったらしい。もちろん、神社によっては別の神様としているところも多い。

豊受大神さまは伊勢の外宮の主祭神さまだし。






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八霊社

この八霊社(はちれいのやしろ)伏見稲荷大社の裏参道にある。と言っても摂社や末社ではなく、稲荷山神蹟のひとつにあるお社と言う位置付けだ。稲荷山と言っても、山の上の方にあるのではなく、比較的低い場所にあるので苦労せずに歩いて行けるのは魅力だな。

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お社のエリアには小さいお塚もいっぱい。だからここが神蹟のようにも見えるが、この周辺には、まだまだ大小のお塚やお社があるのだ。

そのあたりは明日以降に紹介できたらしてみよう。あんまり写真は撮ってないんだけどね。




宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さまのご神像。

お名前は古事記方式の表記だ。日本書紀では倉稲魂命さまということになる。

足元の石碑には末廣大神さま、青木大神さま、白菊大神さまのお名前が見える。順に稲荷山一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰のご祭神さまである。

いずれも稲荷神さまの別名だと思うが、ここでは三ノ峰の白菊大神さまのお名前が中央に大きく書かれている。




ご神像の足元を囲むように置かれているのは・・・

ちょっと隠れていて全体像が写しにくかったのだが、アレだよな。


































ってことだ。

いろんな人が奉納したようだが、素材のテクスチャとか、トラにだけ妙にこだわりがあるところなんざ、京都も関西だと言う事かな。w






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武信稲荷神社

今回紹介するのは、京都市の中心地にある武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)だ。

阪急と嵐電の乗り換え地でもある四条大宮から少し北に行ったあたりにある。

一応駐車場は2〜3台分設けられているが、京都市街地を走り慣れた人でないと、車ではちょっと厳しいロケーションだ。

道幅が狭い上、北側を時間帯通行禁止のアーケード街、三条会商店街に押さえられているため、道がややこしい。どうしても車でと言う向きは、堀川通から蛸薬師に入って西進、神泉苑通を北上してくれ。

ただし、朝の通学時間帯は蛸薬師通に入れないため、二本北の三条通アーケード街に入って、神泉苑通の一本西側の細い道を南行すれば神社の前に出る。アーケード街は朝の通学時間帯であればクルマが通れるものの、納品車と通勤通学の自転車や歩行者でごった返しているので、ぶつからないように注意だ。

下校時の時間帯は蛸薬師通も三条通も車で通れないので、西側の大通りである後院通のコインパーキングにでも停めて徒歩で向かうしかないだろう。


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短い参道入り口に立つ正面鳥居社号標

鳥居は中央がやや大きく、両側に小さい鳥居が立っていて、それぞれに参道が続いているが境内で合流するようになっている。

中央鳥居のわきにはケージに覆われたお狐さまが控えている。




参道を抜けると正面に拝殿が建っている。




ご社殿全体像

銅葺三間社流造のご本殿に切妻の拝所が接続している。

左側は榎のご神木だ。ご神木から大きな枝が落ちた際、その一部に火炎宝珠の紋が表れていたことから、これを竜の彫刻に仕立てたとあった。




拝所からご本殿を望む。

ご祭神さまは稲荷神さまから、

豊穣の神
宇迦之御魂大神 さま
うまのみたまのおおかみ


猿田彦命(さるたひこのみこと)さまである
佐田彦大神 さま
さたひこのおおかみ


天鈿女命(あめのうずめのみこと)さまである
大宮能売大神 さま
おおみやのめのおおかみ


の三柱の神さまをお迎えしている。

もともとは9世紀平安時代に、藤原氏によって造られた医療関係施設の守護神だったようだ。




これはご神木への参拝所。




末社二社

向かって左側は大物主命(おおものぬしのみこと)さまをお祀りする金比羅宮(ことひらぐう)

右側は菅原道真(すがわらのみちざね)公をお祀りする天満宮(てんまんぐう)だ。




末社三社。

こちらは神仏習合時代の大明神号でお祀りされているので、ご祭神さまやご社名の読み方が判らない。漢字のお名前だけを紹介しておく。

向かって左から、白清大明神社、七石大明神社、太郎松大明神社だ。




この大明神社は小なりといえどもきちんと階を備えた桧皮葺一間社流造の構造を採っている。




伏見稲荷の遥拝所




こちらは、正面鳥居の向かって右側を進み、途中で右に折れた奥にある末社だ。社名は起上大明神。なんかめでたくて良いよな。

隣には日蓮宗系のものと思われる石碑があったので、やはり神仏習合時代の流れなのだろう。




白蛇大弁財天社

神仏習合に加えて、おそらくなら民間信仰も加わった神さまなのだろうと思う。






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神泉苑

ちょっとビミョーな位置づけなのだが・・・今日は神泉苑(しんせんえん)を紹介する。

二条城のすぐ南側、押小路通と御池通に挟まれたところにあるので、修学旅行などで訪れた事のある人は、見たことがあるかもしれないな。

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JR山陰線二条駅東口から、御池通をまっすぐ東に10分ほど歩くと、左手に明神式の石鳥居がある。ここが神泉苑の正面だ。




境内全体が国の史跡に指定されている。




右側に見えている瓦葺入母屋造の建物は、最初の鳥居の写真で奥に写っていた拝殿である。




拝殿から神門を望んだところ。前には狛犬さんが控えているのが見える。




一番奥の銅葺一間社妻入入母屋造の建物がご本殿である。その手前に接続する切妻屋根は幣殿だろう。

昨年、ご鎮座1200年記念で神殿を解体修復したそうだ。

ご祭神さまは

八大龍王の一尊、娑伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)さまの三女、
善女龍王 さま
ぜんにょりゅうおう


だ。つい最近紹介したところなので覚えてくれている人もいるだろう。




これは歳徳神社

歳徳神(としとくじん)さまをお祀りする御社殿だ。

歳徳神さまがおられる方向がその年の恵方になるわけだが、この神社は丸い台石の上に載せられていて、毎年方向が変えられる。

この神社にお参りすることで、恵方におられる歳徳神さまに向かって参拝できるようになっていると言う御社殿なのだ。

でもって陰陽道では、この歳徳神さまとは、善女龍王様が長じたのちの頗梨采女(はりさいじょ)さまであるとしているのだ。




洛中天満宮

ご縁・御由緒は判らないが、天満宮なので菅原道真公をお祀りしているのは間違いないだろう。




増運弁財天社

神泉苑の公式サイトでは弁天堂となっているし、そもそも弁天様はヒンズー教から仏教に移られた神さまで、神仏習合の折に市杵島比売命さまに習合された神さまなので、本来はお堂と呼ぶのが正しいのだろう。

しかし、御社殿を見ると、銅葺一間社流造で、階の上には御神酒徳利に榊、鏡と、どこからどうみても神社の造りなので弁財天社とさせてもらった。




鎮守稲荷・矢剱大明神社

正面鳥居は黒の根巻きに黒の笠木、島木と柱の間には台輪が入れられている立派な稲荷鳥居だ。




赤黒の瑞垣に囲まれた、銅葺一間社流造・朱塗白壁の典型的なお稲荷さんである。

しかし、正面の柱には「ご真言・南無矢剱大明神」って書いて貼ってあった。見事なまでに神仏習合時代の形式を残している神社だと思う。




まぁ、判る人は判っていただろうが、神泉苑は神社ではなくお寺なのだ。

左側に見えている建物が方丈で、その奥に本堂がある。御本尊は聖観音菩薩さまだったりする。






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東寺寺内社 善女大龍王塚

今日も東寺の中である。昨日までは境内の南の方だったが、今日紹介するのは北の方だ。警備員の詰所などがある建物の横に、こんな石碑がある。

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増運辮才天・・・弁天さまはヒンズー教のサラバスティー神さまが仏教に取り込まれた女神さまだよな。でもって、神仏習合の折に宗像三女神の一柱、市杵嶋姫命さまに習合しておられる。

だから何かあるかなと思ってお参りしてみようと思ったわけだ。
実は「増運」のお名前に惹かれたってのはここだけの話な♪




石碑の後ろにある塀の入り口をくぐるとこんな建物が。

瓦葺妻入入母屋造に軒唐破風がついている。前に下がっているのも本坪鈴ではなく鰐口。完全な仏教建築の造りだ。だから弁天堂と呼ぶべきなんだろうな。




弁天堂の後ろには、銅葺一間社流造の社殿があった。完全な神社建築なのだが、扁額も社号標もないので、どなたをお祀りしているのかは判らなかった。




その隣には小さな鳥居と、ご社殿のないご神体としての神号標がある。形式としては神社と言うよりお塚に近いものだが、簡素な物の拝所には屋根がかけられ、鈴と鈴緒が下がる神道形式のものだ。




ご祭神さまの神号は善女大龍王(ぜんにょだいりゅうおう)さま。

鳥居が建てられているものの、善女大龍王さまは、法華経に登場する八大龍王の一尊、娑伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)さまの8歳(法華経に登場した時の年齢)になる三女である。つまり、完全に仏教の護法神さまなのだ。だから、イマイチ鳥居は似合わないような気もする。ましてや真言宗の根本道場である東寺の境内にあるのだから・・・

かつて東寺vs西寺の雨乞いの祈祷比べが神泉苑で行われた。その際、西寺側の陰謀で日本全国の龍神さまが封じられた。しかし、善女大龍王さまは小さかったがゆえに魔手を逃れ、弘法大師に勝利をもたらしたと言われている。

年齢やそのお話から、小さな金色の蛇の姿や、童女のお姿で描かれることもあるようだが、飽くまで8歳と言うのは龍族としての年齢だったりする。^^;




しかし、それほど弘法大師と御縁の深い龍神様をお祀りするにはいささか簡素に過ぎるなと思いながら、一旦元の境内に戻ってから、閉まっていた正面の門を反対側に回り込んで見てみた。

かなり立派な神号標があった。当然と言えば当然だろうねぇ・・・




ちょっと不謹慎なモノの見方なんだが、実は神仏習合の関係や陰陽道との絡みで、色々と面白いことになっている。

善女大龍王さまは、長じては頗梨采女(はりさいじょ)さまと呼ばれ、大変に美しく優しい姫神さまになられたと言うことだ。でもって、もともと仏教の護法神さまであったものが神仏習合では櫛稲田姫さまに習合され、一方、陰陽道において歳徳神さまはこの頗梨采女さまだとしているのだ。

歳徳神さまはその年の干支によっておられる方向が変わる。基本的に東西南北の各方位の何れかから反時計回りに15°振った方向におられるのだ。でもって、その方向を恵方と呼んでいる。

毎年節分の夜には、家族そろって美しい姫神さまのおられる方を向いて、黒くて太いものを丸かぶりするんだから・・・ビミョーにアレだよな。w なんか同人誌ネタにされそうな話でもある。

不信心者でゴメン m( _ _ ;)m






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東寺寺内社 八嶋殿

昨日に続いて、東寺の中である。鎮守八幡宮は南大門を入って左手にあったが、今日は右手の方だ。

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正面に見えるのが金堂、ここ東寺の本堂だ。

でもって、右手前に石鳥居が見えるだろう。それが今日紹介する寺内社である。




後に見えているのは、木造建築として日本一の高さを持つ五重塔。

その手前に見えているのが、この東寺の地主神さまをお祀りする八嶋殿(やしまでん)である。

地主神:社寺を建立する以前からその地を守護していた神さま。




この八嶋殿も明治元年に焼失したのを、後年再建したものだそうだ。




ご社殿

銅葺一間社流造のご本殿に朱塗りの瑞垣を巡らせ、前に唐破風屋根の拝所を設けた構造である。

向かって右奥には紫陽花が花盛りだった。




軒唐破風の中に掲げられている扁額

ご由緒書きには「八島殿」とあったが、今回の紹介ではこの扁額の文字を採らせてもらった。




ご本殿は総朱塗り。これで板壁部分が白塗りだったらお稲荷さんと見間違うかもしれないな。

ご祭神さまは先ほど紹介した通り

この神様が弘法大師の夢に現れたからここに伽藍を建立したと言う
地主神 さま
じしゅじん


であるが、同時に八嶋と言う名前から連想される通り、

若き日の大国主命さまである
大己貴神 さま
おおなむちのかみ

と同じ神格とも言われている。記紀には日本を「大八洲国」(おおやしまのくに)と呼ぶ古名もあるので、その繋がりなのだろう。

ご由緒書きには、弘法大師は伽藍建立に先立って、寺門造立成就・方位安全・法道繁盛の祈願をされたとあった。




これは北側の鳥居である。

この神社もなぜか西向きに建てられていた。もう少し寺内社があるがそれはさらに明日以降に。






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