今宮神社 後編

さて、昨日紹介した楼門側の正面参道とは別に、側面にも参道があり向かい合わせに休憩できるスタイルの餅屋が二軒ある。、

写真はクリックで全部別窓拡大する。

あぶり餅

もしかすると今宮神社よりもこっちの
あぶり餅
のお店の方が有名かもな。w


かざりや

こちらは南側の
かざりやさん

江戸幕府ができたころに創業した老舗である。


一和

でもってこっちは向かい側の
一和さん

紫式部が源氏物語を書いてた頃の創業で、

現存する世界最古の飲食店

とも言われている。
創業は西暦1000年だ。


あぶり餅

あぶり餅はこのようにして供される。
一人前500円


あぶり餅

斎串のお下がりに搗きたてのお餅を小さくして刺し、きな粉をまぶして炭火であぶり、白みそベースのたれをかけたものだ。

糖質制限中の俺が食べてはいけないものだが、ブログのためなら体を張ってネタを拾う。(笑)

実は15本全部合わせても大きめのお餅一つ分に届くかどうかの量だから、たれまで入れても糖質量は60グラムくらいだろう。

もったいないけど半分残させてもらった。


手水舎

さて、神社の中に入ると一番に行く場所が
手水舎
である。

今年の改修工事で復活したが、江戸時代に作られたこの手水舎、水が枯れて久しかったらしい。


外拝殿

こちらが外拝殿である。
ちゃんとあぶり餅のお店二軒のご献灯も掛かっている。


本殿
これが拝殿と、その奥が本殿だ。

御祭神は
大己貴命
おおなむちのみこと

事代主命
ことしろぬしのみこと

奇稲田姫命
くしなだひめのみこと

の三柱である。

大己貴命は大国主命の若い頃の名前だ。

大国主命は素戔嗚尊の実の息子とも6代の孫とも言われるが、大国主命の正妻である須勢理毘売命が素戔嗚尊の実の娘なので、年代的に子孫ではなく息子という解釈で・・・あれ?(笑)

まぁ、日本の神話に出てくる神様はおおらかなのでOKってことにしよう。第一、大国主命は180人以上の奥さんがいたんだし。(羨)


事代主命は大国主命の息子だ。
奇稲田姫命は八岐大蛇神話などで有名だよな。


けいおん!

さて、この絵は人気アニメ
けいおん!
の第7回にあった初詣のシーンをキャプチャしたものだ。上の本殿の写真と見比べてみてくれ。

実際、一時はこれが目的の参詣客も多かったらしい。


その結果・・・

けいおん!

けいおん!

けいおん!

こういう絵馬が・・・^^;

まぁ神饌の説明でも言ったように、今自分たちが美味しい、楽しいと思うものを神様にお供えするのが参詣と言うものだから、これはこれでアリなのかも。

高天原で苦笑いされているのは確実だろうけどな。w

しかし、どうやって絵馬にプリントしたんだろう。ちゃんとこの神社の絵馬だし・・・アイロンプリント用紙か何かかな?


疫神社

こちらは本殿向かって左にある疫神社。

もともとこの地には疫病から都を守って下さる

素戔嗚尊
すさのおのみこと


さまが祀られていたが、船岡山にお遷り頂いて、上記の三柱をお祀りする神社を建立したのがこの今宮神社の始まりなのだ。

新宮=今宮ってことだな。

今宮神社の御祭神は素戔嗚尊の息子と娘、それに八岐大蛇から助けた姫神なので、素戔嗚尊さまご縁の神社と言えるかもしれない。

その後、都に疫病が流行した際に還宮されて、この地にお祀りされているとか。


織姫社

これは末社、織姫社である。

栲幡千千姫命
たくはたちぢひめのみこと


さまがお祀りされている。天孫降臨の天孫瓊々杵尊さまの母上である。
また織物の守り神とされ、西陣の織物業界の人たちからの参詣も多いと聞く。


八社

こちらは末社八社


大将軍社

大将軍社など、末社。


稲荷末社

こちらはお稲荷さんの末社である。
織田稲荷もお祀りされているらしい。


若宮社

これは若宮社


地主稲荷

末社、地主稲荷


月読社

この神社の境内で一番高いところにある月読社


宗像社

末社、宗像社
宗像三女神をお祀りしている。


台石ナマズ

その宗像社の台石に魚の彫刻が施してある。ナマズのようだが、なぜこんなのがあるのかは判らない。実際写真に撮っても見えにくかったので、画像処理でコントラストを上げて見えやすくしてある。


神馬社

これは神馬社


神橋

あぶり餅の参道から境内へ入るところにある神橋。元禄時代の遺構と言われる枯れ川の上に掛かっている。和服の後ろ姿が美しいが、この神社に縁の深い女性がいる。

江戸時代前期、西陣の八百屋の娘お玉だ。

西陣の生まれなのでこの神社にも縁が深かったわけなのだが、父を亡くした後母が再婚。身分を整えるために、北小路宗正の娘(養女)と言う扱いで京都を離れ江戸城大奥に勤務することになる。

そこで三代将軍家光のお手付きとなり御中臈に昇進、懐妊して男子を出産、正式な側室となった。桂昌院である。

家光の死後一旦は江戸城を離れるが、息子綱吉が五代将軍に就任すると江戸城に戻った。

その後元禄時代、赤穂の討ち入りの翌年には従一位の官位を賜る。律令制以降の女性としては最高位なのだ。

八百屋の娘お玉が桂昌院と呼ばれ従一位に叙せられるまでになる。まさに玉の輿だな。

桂昌院はこの今宮神社への信仰が篤く、様々な寄進や行事の再興に寄与したと言われる。だから、今でも今宮神社は良縁祈願の神社、

玉の輿神社

と言う別名を持っているのである。


すっかりこのネタを忘れていたがビビアン5さんに昨日のコメントで思い出させて頂いた。感謝申し上げる。


紅葉

境内はそろそろ秋の風情


和服女性

あぶり餅の茶屋で一服する女性。
和服姿がよく似合う。

写真を拡大して向こうの石灯籠をよく見ると正徳三年と書いてある。西暦なら1713年・・・300年前だな。江戸は六代将軍の御世。

そのころにはすでに新しい方のこのあぶり餅屋さんは創業100年を超えてたってことで。(笑)

 


            

今宮神社 前編

さて、昨日まで例大祭について紹介してきたが、今日明日はこの今宮神社そのものについて紹介しよう。


大きな地図で見る

今宮神社は、京都の街の四神相応で玄武に当たる船岡山と言う標高110メートル程度の小さな丘の中腹にある。

小さな丘ではあるが、枕草子や徒然草にも詠まれた景勝地でもある。




これが一の鳥居

この鳥居は上の地図で言うと、紫野西野町の町の字の辺りに建っている。狛犬さんたちとともに昭和初年の建立だ。

ここから今宮門前通りと言うこの短い道を神社へ向かって歩く。




少し北へ歩くと、塀の向こうに石塔が。




その向かい側は京都市立紫野高校

万葉集の額田王の歌を連想させる地名だが、残念ながらあれは奈良時代の歌なので、この地を指したものではないと言われている。

ただ、舞台は滋賀県だとか奈良県だとか言われるこの歌だが、実際のところどこであったのかは知らない。

かつては傷薬、現代でも女性の美容に使われるシコンエキスの原料を栽培していたのが紫野だから、複数あっても不思議ではないしな。




こちらはさっきの石塔が見えていたエリアの続き。民家の並びで一度は途切れていた塀がまた続いている。




今宮門前通りに直交する石畳の道

これは一休さんでおなじみの大徳寺の境内の道なのだ。これは大徳寺の中心的塔頭群がある東域を望んだところ。

先ほどの石塔も壁も大徳寺の物だ。




こちらは反対に西を向いている。大徳寺西域には小堀遠州の手になる孤蓬庵がある。




これはその交差点から今宮神社の楼門方向を見たところ。




先へ進むと、東側は大徳寺の竹林




西側は先ほどの高校のテニスコート。観客席付き6面コートは公立高校にしちゃ上等だ。そのせいか、いつの頃からかカメラ小僧避けの緑の蚊帳のようなものがフェンスに取り付けられた。




楼門が見えてきた。この辺りの石灯籠は江戸末期の奉納の物が多い。




楼門の狛犬さん、吽形。




こっちは阿形。これは大正時代に乳母車屋さんが寄進したとある。




楼門全景

なかなか綺麗な楼門だが、門前に置かれた七五三参りやウエディングの案内看板、それに参詣者の自転車が地元密着を感じさせてくれる。

 



 


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2015-09-29更新 



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最後に更新した日:2020/09/29

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