田中神社(京都市東山区)

え〜、またしても田中神社である。(笑)

今日紹介するのは伏見稲荷の境外摂社である田中神社だ。場所は伏見稲荷大社から北に7〜800メートル行った辺り、本町通りと十条通りの丁字交差点のすぐ北側になる。

境外摂社とは本社(この場合伏見稲荷大社)のご祭神さまと繋がりの深い神様をお祀りしている摂社のうち、本社の境内にはないが近隣にあって本社に管理されている小規模な神社のことを指す。

摂社ということもあって今日は写真が少ないがそこはご勘弁を。

一昨日の左京区田中にある田中神社「田中氏が奉斎していた神社」、昨日の伏見区横大路にある田中神社「田中庄に建てられた神社」と言う意味だが、この神社は

田中大神をお祀りする社

と言う意味で田中神社なのだ。

画像はクリックで別窓拡大する。


正面鳥居。台輪こそ付いていないものの、丹塗りに黒の根巻と笠木と言う典型的なお稲荷さんスタイルだ。




社号標。

稲荷神社境外攝社 田中神社

の文字が見える。稲荷大社ではなく稲荷神社と書かれているところから見ると、明治以降終戦までの国家神道時代に建てられたものなのだろう。




こじんまりしているがきれいに手の入れられた境内。




拝殿正面。奥の黒い格子は賽銭箱だ。鈴緒の裾が掛けてある向こう側はネットになっていて、遠くから投げてもきっちり入ると言う、これもまたお稲荷さんのスタイルだな。




ご本殿正面。何も置いてないのでちょっと寂しいが、上の蟇股をよく見てみると・・・


この写真は上のクローズアップなのでクリック拡大しない。


ちゃんと神使であるお狐さまが。なんとなくウマっぽいが間違いなく尻尾に火焔宝珠を付けたお狐さまだから安心してくれ。




丹塗白壁銅葺一間社流造のご本殿。

ご祭神は上で紹介した通り

田中大神 さま
たなかのおおかみ


である。田中大神さまは伏見稲荷大社の主祭神・稲荷大神さまの内の一柱で、伏見稲荷大社ご本殿の最北座に鎮座される神様である。もちろんご本社本殿の中央座に鎮座されているのはおなじみ宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)さまだ。

この田中大神さまの記紀での対応については諸説あるが、おそらく大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命さまの若い頃の別名)さまであろう。一説には同じ地祇であられる猿田彦命(さるたひこのみこと)さまとする説もあるようだが、猿田彦命さまは佐田彦大神(さたひこおおかみ)さまのお名前で北座に鎮座されているから、大己貴命さまで間違いないと思う。




境内にあった手水舎。龍の吐水口が付いていたが、水は出ていなかった。






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田中神社(京都市伏見区)

今日も田中神社である。ただし、昨日の田中神社とは全く関係がない。

もともとこの地より数百メートル北西の鴨川と桂川が合流する地点辺りにあった田中庄に祀られたことから田中神社の名がある。この神社の創建数十年後に白河上皇の鳥羽離宮・田中院が建てられたあたりになるのだが、16世紀終わりごろに起こった大洪水で社殿が丸ごと流され、現在地に無傷のまま漂着したのが現在地における祭祀の始まりと伝えられている。

先般紹介した羽束師坐高御産日神社も同じ地点での桂川の氾濫がおこった際に、水害に逢わなかったと言うご神威が帝を驚かせたと言う逸話があったが、この神社はそのおよそ千年後に同じ地点で起こった大洪水が今度は川の反対側へと溢れてこの神社を移動させてしまったらしい。

そして、さらにそのおよそ450年後に起こった洪水が先日の台風18号での越流氾濫なのだ。嵐山渡月橋での洪水ばかりがクローズアップされたが、数キロ下流のこの地点でも川の洪水は発生していた。

画像は全部クリックで別窓拡大する。


一の鳥居と参道。割合にぎやかな街の中にある。




正面二の鳥居。奥に見える建物がご本殿を囲む瑞垣である。

上で紹介したこの地への漂流とご鎮座の故事によるものなのか、一般によくある別棟の拝殿はこの神社にはない。




手水舎。






瑞垣の神門前には狛犬さん






賽銭箱の両脇には馬の木像。

なんでも境内にあった楠の大木を切った折に、その材を用いて彫ったものだそうだ。白馬は牡馬、黒馬は雌馬だと言う。

…クスノキじゃなくてナギの神木を切って彫った精霊の木像…いや、なんでもない。w

閑話休題。

この神社はこの地の産土神さまとして信仰を集めてきたのだが、なぜか馬のご利益が謳われている。それがいつごろからなのか、なぜ馬なのかはわからない。

この神社の南2~3kmのところには京都競馬場があるのだが、それと関係があるのかどうかも定かではないが、少なくとも競馬ファンたちのお参りスポットになっているのは確かなようだ。




社殿正面には素盞烏牛頭天王(すさのうごずてんのう)の扁額が掛かっている。




ご本殿正面。階下には狛犬さんが、階上には隋神さまが控えておられる。




ご祭神は上の扁額にもあったように

素戔嗚尊 さま
すさのおのみこと

上の扁額では神仏習合時代に使われたお名前でお祀りされているようだ。

もともと牛頭天王は祇園神であり、京都四条の八坂神社の主祭神さまなので、そこから勧請された当社の主祭神さまがそのお名前を使われることに不思議はないのだが、明治の廃仏毀釈にもかかわらず、習合名を使われているのは注目すべき点だろうな。

さらに八坂神社からの勧請ということもあって、素戔嗚尊さまの奥方である

奇稲田姫命 さま
くしなだひめのみこと


と、お二方のお子様である

八柱御子神 さまがた
やはしらのみこがみ


をお祀りしている。




境内社・北向虫八幡宮

この田中神社自体も先に述べたように川の合流地点にあったのだが、その田中庄は二川の間に位置していた。一方川の合流点の東側(現在の神社のある側)にあった草津湊あたりに祀られていた神社がこの北向虫八幡宮である。

明治の初年にこの神社の境内に遷座されてきたということだが、田中神社は11世紀後半に祇園・八坂神社からご祭神さまを勧請して創建されたのに対して、10世紀半ばにお生まれになった冷泉天皇が御幼少のみぎり、疳の虫が酷かったのを母君がこの神社にお参りしたところたちどころに平癒したと言う伝承があることから、現在は境内社とは言え、この北向虫八幡宮のほうが歴史のある神社のようだ。




半分地中に埋もれかかっているが社号標。

よく見ると北向兒八幡宮の文字が見て取れる。

冷泉天皇の話から虫八幡宮の名に違和感はないが、現在でも子供の守り神とされる三宅八幡宮と同じようによだれ掛けに祈願を書いて奉納する習わしがあることから見て、本当はじゃなく(児の旧字)が正しいんじゃないかと思ったり。




末社・雲水社

ご祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)さま。




末社・道祖社(向かって左)

ご祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)さま

末社・天満宮社(向かって右)

ご祭神は菅原道真(すがわらみちざね)公




末社・草薙社

ご祭神は左殿(向かって右)が草薙剣(くさなぎのつるぎ)、右殿が八俣遠呂智霊(やまたのおろちのれい)

である。遺体と遺品って感じで何ともビミョ〜




七福神さまの石碑。




伊勢神宮遥拝所。








この神社には先に馬の像で述べたように樟の大木が多いのだが、それだけではなくいわゆる相生の木(あいおいのき)が多いのも特徴だと思う。

相生の木は木が小さいうちに二本に分かれたものが、どちらが主幹とも言うことなく共に育っていったもので相老いに通じる縁起の良いものとして貴ばれてている。

二枚目の写真は隣接した二本の木にも見えるが、このサイズの木がこれだけ隣接しているということは地中では一本だと考えて差し支えないだろう。






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今日の七十二候 10月18日 蟋蟀
(きりぎりす とにあり)




 


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2015-09-29更新 



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最後に更新した日:2020/07/14

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