御所八幡宮

久しぶりの京都『神』案内だ。

寒かったから炬燵狸になってたんだが、啓蟄を過ぎて2週間余り、そろそろ動きだそうかなって思ってな。

画像はクリックで別窓拡大する。


で、どこにしようか迷った挙句、京都市中心部の神社に決めた。社名は御所八幡宮(ごしょはちまんぐう)

決して新しくはないが、京都としてはそれほど古くもない神社である。創建者は足利尊氏公。




もともとは13世紀ぐらいに、石清水八幡宮からご祭神さまを勧請して、邸内のお社として祀られていたらしい。それをその後足利尊氏公が建武(延元)の乱ののちに境内を整備、440m四方ぐらいの境内に八棟造(北野天満宮と同じ構造)の壮麗な社殿を設けたとある。

その後、だんだん衰退していった上に、太平洋戦争時の家屋疎開によって境内地を失い、現在のこじんまりしたところへ遷座されたと言うことだ。

京都市は戦時中、空襲によって街全体に延焼するのを防ぐため、御池通と五条通に面した家屋を立ち退かせ、広い通りで市街地を4分割した。それが家屋疎開であり、空襲被害がほとんどなかった京都の中で御池通と五条通だけがそれなりの広さを持っている原因でもある。




鳥居をくぐると小さな手水舎




そして、なぜか西向きに建つ神門と瑞垣。もちろん中にあるご本殿も西向きだ。




神門の格子からご本殿を除かせていただいた。銅葺の一間社流造である。もちろんご祭神さまは

第15代応神天皇の
誉田別命 さま
ほんだわけのみこと


第14代仲哀天皇皇后で応神天皇の母君である神功皇后こと
気長足姫尊 さま
おきながたらしひめのみこと


宗像三女神さまである
比売神 さま
ひめかみ


である。八幡神さまの基本ユニットだな。




境内社・ 高良社

石清水八幡宮の頓宮近くに持摂社として存在する、 高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)様をお祀りするお社だ。




こちらは稲荷神社形式の瑞垣と鳥居に囲まれた境内社。

向かって左は三社。

猿田彦社・金刀比羅社・大宮姫社である。

向かって右は初音稲荷社だ。多分ミクさんとは何の関係もない。w




その瑞垣の脇にひっそり佇む天満宮社

それでも臥牛さんがちゃんといて、撫で繰り回されたせいか、ボロボロになっている。




これは「皇太子殿下御成婚記念碑」だ。横を見ると昭和34年とあるから、今上陛下のご成婚記念だった。




神社西側の高倉通側入り口。鳥居はないが、神門瑞垣が正面に見える。

そうそう交通だが、車で来るのなら市営御池地下駐車場を利用すればいい。30分250円は中心部にしちゃ良心的な設定だ。御池通の地下に1kmくらいある駐車場なので、1D-05〜12くらいに停めると便利だ。P-7EV・堺町通り南側出口エレベータで地上に出ると、最初の写真の風景が見える。

 
 


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北野天満宮末社 伴氏社

以前、北野天満宮のエントリで少し紹介したが、末社・伴氏社(ともうじしゃ)には、ちょっと変わった鳥居があったり、神仏習合の時代の流れを汲んだりしているので、改めて紹介したい。

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伴氏社は、北野天満宮の表参道に面して祀られている。門に到達するちょっと手前だ。

金柑の木に覆われるように、その鳥居は立っている。なんでも鎌倉時代のものだということだから、相当に古いと言えよう。




ご社殿は小さいながら一間社流造のきちんとした形式のものだ。

お祀りされているのは菅原道真公の母君である。母君は個人名は残されていないが、伴真成の娘さんだったらしい。伴真成は、それまで大伴氏と呼ばれた氏族が、即位した親王と諱がかぶるのを避けて、伴氏と改めたタイミングの世代だったようだ。

そのことから、この神社は伴氏社と呼ばれている。




さて、鳥居だ。見ての通りの石鳥居だが、上の横棒は反っており、二段になっている。石造りだから一つの石から削り出されているとは思うが、上段を笠木、下段を島木と言う。下の横棒は貫と呼ばれていて、中央部で上下をつないでいるのは額束と言う。神号や社号を記した扁額を取り付けるベースになるものだ。

よく見ると、貫は柱で止まっていて、左右に突き抜けていない。一般に貫が柱を貫通しないのは「神明式鳥居」系統の鳥居だと言われる。標準的な神明鳥居を見てみよう。




このように実にシンプルだ。島木がないし、笠木は反っていない。そして額束もない。

一方、神明式鳥居系統でも上の横棒が二段になっているものもないわけではない。




パッと見た目には、朱色と言うこともあって、お稲荷さんなどの明神式鳥居の系統に見えるが、これは上の神明鳥居のバリエーションだ。城南宮鳥居と呼ばれている。まさに、その城南宮で撮影したものだが。w

神明式鳥居の共通要素は貫が柱を貫通せず、額束と島木がなく笠木が直線であることだ。城南宮鳥居は島木があるところと島木・笠木がそっているのがイレギュラーだな。




一方、この伴氏社の鳥居は、形式としては城南宮鳥居に額束を設けた形になっているのだ。なので、むしろ明神式鳥居の貫が貫通していないだけと言えなくもない。

しかし、さらにイレギュラーはあるのだ。年月のせいで下にずり落ちてきているが、額束は島木を左右に分断する形で組み立てられている。一般の額束はこうはなっていない。





これが一般的な明神式の石鳥居だ。見ての通り、額束は島木と貫の間に挟まれるように設置されている。さらに貫は柱を貫通し、貫には楔が打ち込まれている。(石鳥居だからそういう形に作られているだけだが。)




この部分は以前にも紹介したが、鳥居の柱の礎石が蓮台になっている。明らかに仏教の影響を強く受けているようだ。時代からしても、神仏習合時代だからこうしたことも当時は普通にあったのだろう。

何にせよ、イレギュラーだらけだから、京都御苑にある厳島神社唐破風鳥居蚕ノ社にある三柱鳥居と並んで、京都三鳥居の一つに数えられている。




これは伴氏社のすぐ隣にあるお寺、東向観音寺だ。本地垂迹思想で天神様は複数の仏さまの化身とされているが、そのご本地仏の一身、十一面観世音菩薩様をご本尊としているそうだ。お寺のことはよく知らないが、京都におられる時は文殊菩薩様で、九州の時が十一面観世音菩薩様だったような記憶もあるのだが…ま、いいか。w




そのお寺の中には、菅原道真公の母君の廟所がある。やはり密接なつながりがあるようだ。この宝塔は、江戸時代までは伴氏社のところにあったそうだが、明治の神仏分離に伴ってこのお寺へと移設されたそうだ。

 
 


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北野天満宮の御土居

昨日の梅苑に続いて「御土居」である。

楽天ブログ時代に、玄琢付近の御土居について紹介したことがあったと思う。御土居と言うのは京都を羅城(要塞都市としての都)にするための防壁だ。高さは5メートルくらい、堀の深さが4メートルくらいなので、巨人が出たら超大型でなくても楽勝で超えられてしまう。(笑)

秀吉公が築造されたのだが、全周25キロぐらいの「壁」だ。今では遺構として市内に点在しているだけだがな。その一部分がこの北野天満宮の神苑になっている。

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昨日の茶菓接待処の裏手に出ると、すぐ御土居の上だ。向こうの方には朱の欄干が見えている。






これは茶室の梅交軒に設けられた舞台で、御土居の外側にあるお堀の役目を果たしている紙屋川を見下ろす形になる。

この辺りはもみじが美しく、天神さんのもみじ苑として、秋にも梅の時期と同じように公開される。茶菓接待付きで700円だそうだ。(笑)

夜にはライトアップもあると聞いているので、覚えていたらまた撮りに来よう。




少し進むと御土居を下りる階段がある。




その下には鴬橋。特に古いものではなく、昭和の初めに架けられたのが戦前の大雨で流失していたあとは放置されていたらしい。21世紀に入ってから、このもみじ苑開苑に伴って再建されたのだそうだ。




御土居の上に戻ると、ご本殿の屋根が目前に見える。




これは御土居の大欅で「東風」と命名されている。樹齢は600年と言うから、御土居が築造された時にはすでに樹齢100年を超える大木だったのだろう。だから、そのままここに立っているのではないかと思う。




大木とくればお約束のアングルを一枚だよな。

 
 


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梅と言えば北野天満宮

白猫会長の写真に触発されて天神さんに行ってきた。

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さすがに早咲きの梅しか咲いてないが、今年は暖かい日が多かったせいか、この時期にしては例年より咲いているように思う。




ピンクの八重は華やかだねぇ。




すごくいい香りがすると思ったら、これは蝋梅だろう。梅じゃなくてクスノキの仲間らしいが、良いものは良い。




紅梅♪






青空に映える紅白の梅。




実は700円を奮発して梅苑に入ってきたのだ。上の縦向け写真2枚は梅苑のものだ。




茶菓接待付きと謳ってあったが、まぁ、値段が値段だけにあまり期待はしていなかった。




梅昆布茶と麩菓子みたいな煎餅。一応ちゃんとした和菓子屋さんのものだから味は悪くない。

今日はここまでにしておくが、もう少し花以外の写真も撮ったので、明日以降に紹介しよう。

 
 


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今日の七十二候  2月9日 立春次候:黄鶯睍
 



            

與杼神社の黄葉

このブログに移転してきた初期の頃に紹介した與杼神社

今年は秋の風景を全然撮影しなかったから、この神社正面を写してきた。

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注連縄を渡されたイチョウが二本。今朝もあたたかい雨だが、今年は寒くなるのが遅かったので、イマイチ黄色が映えない感じがしないでもない。




せっかくだから見上げてきてみた。w






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鎌達稲荷神社・お札とお守り

このブログで紹介している神社だが、検索ベスト5にいつも入っているのが鎌達稲荷神社だ。あとは、田中神社二葉姫稲荷神社が常に入ってるかも。その他は月によってまちまちだな。

その鎌達稲荷神社だが、検索キーワードを見ると、お守りの買い方や神社へのアクセスを調べているものが目立っている。そこで、それについて整理して紹介しようと思い、改めて参拝してきた。

神社の紹介は上のリンクから以前のエントリを参照してくれ。

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鳥居を入って正面右手にある手水の脇には、石蕗(つわぶき)が咲いていた。少し盛りを過ぎた感じだな。




鳥居からまっすぐ進んだところにある社務所の前、左手にはお札とお守りのサンプルが掲示されている。初穂料はお札が1000円、各種お守りは800円だ。

初穂料は賽銭箱に納めるようになっていて、お釣りは出ないので、予め小銭を準備するか、お釣りはお賽銭とするかと言うことになる。




このように引き出しに納められて、自由に求められるようになっている。お札やお守りの他、ご由緒書きや、脇には各種案内もある。

開運守りは見当たらなかった。まぁ、この神社で有名な



 サ ム ハ ラ

は、災難除けと勝運招来のお守りだから、ある程度ご利益が重複するからなのかも。




そのお守りの解説。呪符と書くと「のろいの符」と読む人が多いからだろう、ちゃんと「呪(まじない)のお守」と説明してある。そう、本来「呪い」とは目的や結果の善悪とは関係なく、超自然的な力を求めて行うもの全般なのだ。

だから呪いを「のろい」と読めば悪い方になるし、「まじない」と読めば概ね良い方向性であると考えられる。

ま、悪いまじないもあるから、本来は「まじない」の方がオールラウンダーなのかもな。




お宮参りなどの御祈祷の他、地鎮祭などの出張祭祀もお願いできるようだ。




この奉納幟は、今回探したが見当たらなかった。以前見た時は4〜5000円程度だったと記憶している。正確なところは奉納する前に社務所に問い合わせてくれ。




で、これが授与して頂いてきたお守り。




これは表面。




裏面には神社のお名前が記されている。

そしてアクセスの問題だが、Googleマップの経路検索をリンクしておこう。

⇒地図はこちら


JR西大路駅から徒歩8分だ。車で行くならどこかコインパークでも探してくれ。神社に駐車場はない。






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夕涼ノ宮(久世郡久御山町)

大変小さな神社を紹介する。敷地面積が52坪余りと、完全に民家サイズ。

正式名称は若宮八幡宮だが、このお名前では全国に同名のお社があるから、通称の方で紹介させてもらった。

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正面鳥居はたいへん小さく、建立年代も相当古そうだ。貫の高さは下辺が1.7メートル前後で、かがまないと通れない。

創建がいつの頃なのかもわからないが、江戸時代初期の俗謡には「美津の御牧の夕涼」と謡われていることから見て、新しくても安土桃山時代以前の創建だろう。




社号標


近所のライオンズクラブが近年奉納したもののようだ。




参道階段。と言うか、上の方にあるご本殿には階がなく、見世棚造になっているから、これ自体がご社殿の階なのかもしれない。




銅葺一間社流(見世棚)造のご本殿

若宮八幡宮のご社名から判る通り、ご祭神さまは

八幡宮の主祭神である第15代応神天皇の第4皇子であった、聖帝・第16代仁徳天皇こと
大鷦鷯尊 さま
おほさざきのみこと

である。大変小さな神社であるが、どこかの境外摂社と言う扱いではなさそうだ。現在、神職さんの常駐はなく、近隣の自治会が氏子中となって支えておられるらしい。すぐ近くには別の神社もあるのだが、直接のかかわりは不明だった。






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今日の七十二候  10月19日 寒露末候:蟋蟀在戸




            

大宮姫命稲荷神社

今回紹介するのは、由緒正しく小さな神社である。

大宮姫命稲荷神社(おおみやひめのみこといなりじんじゃ)は、二条城の北西にある。かつてNHK京都放送局だった場所のすぐ近くだ。

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正面鳥居

この鳥居は西を向いて建てられている関係上、向こう側に見えているご本殿は、左側に南を向いて建てられている。




社号標

文字は聖護院の第56代門跡・岩本光徹猊下の御染筆である。




こちらは北側鳥居

昔の郷土史家にはこの神社をして、貧乏稲荷などと俗称されると紹介していた事例もあるようだが、少なくとも現在ではそんなことは当たらないし、おそらくは昔でもそんなことは言わなかったと思う。

貧乏稲荷とは「役立たずな人」の隠語だ。口合い(駄洒落)で、「貧乏な(稲荷)神社」→「鳥居がない」→「取り柄がない」ってことだな。関東では地口と言ってるような感じの言葉遊びだ。

この神社は規模こそ小さいが、少なくとも貧乏と揶揄されるような要素はないと思う。いや、もしかして俺のような貧乏人を助けて下さるお稲荷さんと言う意味だったらうれしいかも。(笑)

もともと平安京の内裏にあった神祇官の西院はこの近辺にあったのだ。八神殿は応仁の乱まではそこにあった。近代になってその土地が別の用途に使われ、つい最近まではNHK京都放送局として使われていた。

そんなことから地元の篤志家が、すぐ近くのこの土地を寄進したのだとか。だから、多少場所が変わったものの、大宮姫命さまはずっとここにおいでになると言えるほど由緒正しい神社なのだ。




ご本殿

銅葺一間社流造。木造部は見世棚造だが、手前に石の階があるから正当なつくりだと思う。鈴と鈴緒は鉄製のフレームから下げられている。このフレームは後ろのご神木を抱き込むような形でご社殿を守るかのように作られているのが良いよな。

御祭神さまは

宮中八神殿の第六殿にお祀りされる女神さまで、
君臣の関係を良好に保ち、帝のお心を和ませる
大宮売神 さま
おおみやのめのかみ

である。諸説あるが、ここでは稲荷神社と言う事になっていることから見ても、稲荷神五柱のうち伏見稲荷大社の南座に鎮座される大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)さまと同じ神様だと思われる。




摂社・光春稲荷大明神社

可愛いサイズの摂社だ。もちろんお稲荷さんだから倉稲魂命さまを中心とした神様方をお祀りしているのだろう。




延命地蔵菩薩堂

瑞垣の外側に設けられた小さな地蔵堂だが、なぜか鰐口(上についている鐘)ではなく本坪鈴(神社で使う鈴緒の付いたあれ)が設けられていたのでご紹介。




神庫の脇、ご神木の根元でくつろぐ三毛姫。(笑)






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斎場所大元宮

今日紹介するのは斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)である。

以前、吉田神社の末社として紹介したが、月に一度だけ、神門が開いて神殿に直接参拝できるので行ってきたと言うわけだ。

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正面鳥居と参道。

ここのは一般的な朱塗りの明神式鳥居だ。




社号標と重文指定の看板。




神門が開いて中へ入れるようになっている。




ユニークな形のご本殿。茅葺入母屋造妻入向拝付の形式ながら、八角形の建物なのだ。

御祭神さまは

日本国中三千餘座
天神地祇八百万神
 
(にほんこくじゅう さんぜんよざ
 あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみ) さまがた

である。なかなかに豪気であるが、詳しくは下の方の社殿詳細を見てくれ。





奥には六角形の建物に唐破風屋根を載せた後房が付属する。

屋根の上には水平切りと垂直切りの千木がある。その間には2本の角形鰹木と、3本1セットの丸型鰹木が3組、ちょっと見えにくく台座しか写っていないが屋根の中央部には宝珠が載っている。




ご本殿回廊への階段。神職さんが扉を開けようとしている。




八神殿跡

古代から宮中神祇官の管轄で祭祀を行ってきた八神殿は、応仁の乱で完全に途絶えてしまっていた。それを安土桃山時代に復興させたのがこの吉田神社の境内にあった八神殿だ。

さらに時代は下がって、明治時代。宮中に還座され、さらに現在の宮中三殿の一つ・神殿へと改称された。

ここはその跡地、斎場所大元宮のご本殿の奥で一段高くなった場所にある。

お祀りされていたのは、

原初神・造化の三神の一柱で生産の神、第一殿の
神産日神 さま
かみむすびのかみ


原初神・造化の三神の一柱で統治の神、第二殿の
高御産日神 さま
たかみむすびのかみ


魂と身体の結びつきを司る、第三殿の
玉積産霊神 さま
たまつめむすびのかみ


日々の活動を止まることなく活き活きと続かせる、第四殿の
生産霊神 さま
いくむすびのかみ


豊かさと充足をつかさどる、第五殿の
足産霊神 さま
たるむすびのかみ


君臣の関係を良好に保ち、帝のお心を和ませる、第六殿の
大宮売神 さま
おおみやのめのかみ


食べ物を司る、第七殿の
御膳都神 さま
みけつかみ


大国主命さまの息子にして天皇を守護する地祇、第八殿の
事代主神 さま
ことしろぬしのかみ


である。これは俺の個人的な想像だが、この神社のお名前がかなり大仰なのも、こうした歴史的背景があるからなのだろうと思う。




内宮源鳥居

伊勢鳥居のバリエーションで、柱が八角形なのが特徴だ。見た目には笠木と島木があるように見えるが、伊勢鳥居は神明鳥居の形式なので島木はないはずだ。だから、笠木の上に腐朽防止用の屋根をかけてあると見た方がいいのかな。扁額はついているが、額束と呼べるほどのベースは設けられていない。




内宮神殿

茅葺神明造だ。もちろんご祭神様は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)さま

八神殿跡を中央に、左右には外宮と内宮がお祀りされている。伊勢神宮の神様であることは間違いないのだが、よくあるように伊勢神宮から天照皇大神さまと豊受大神さまを勧請して祀られた神社ではない。

応仁の乱の権力争いが伊勢の地に波及した折、当時の卜部兼倶師が「伊勢の神様はこの地に遷座された」とぶち上げて、唯一神道を創始した名残である。

伊勢神宮とのこの確執は明治になるまで解消されなかったとか。現在では、吉田神社は神社本庁の被包括宗教法人で、伊勢神宮とも良好な関係を築いている。

個人的な感想だということを予め断った上で一言。

神社の成立の経緯から考えて、こちらこそが唯一神道のご本社と言っていいと思うが、春日大社からご祭神さまを勧請した現在の吉田神社が中心で、この斎場所大元宮が末社として扱われているのは、明治時代に伊勢神宮との関係、ひいては皇室との関係を修復するにあたって必要であったからなのだろうと思う。

日本において、悠久と言っていいぐらいの期間、神道と政治は微妙な距離感を持って並行してきた。だから、神道としての判断と言うのは、高度に政治的な判断だったといってもいいかもな。
そうした経緯を考えると八神殿を宮中に還座した段階で、伊勢神宮側にしても本来なら斎場所大元宮自体は廃絶させたいと考えたかも知れない。

とは言え、伊勢神宮側が
優位に立って交渉を進めたのであろうことは想像に難くないが、京都の有力神社と表だった関係の悪さを残しておくのは好ましくなかったと言うことだ。

建前上、現在では伊勢神宮の下位に置かれているとは言え、この吉田神社と同じ左京区、それも車なら10分か15分のところには賀茂御祖神社(下鴨神社)と言う、とてつもなく歴史の長い神社がある。あんまり敵には回したくない存在だったであろことは想像に難くない。

伊勢神宮は第11代垂仁天皇の時代の創建、賀茂御祖神社は第10代崇神天皇の時代の創建だ。しかも、祭祀自体は縄文時代から行われていたという遺跡の発掘も行われているくらい、とんでもなく長い歴史を持った場所だから、それをご近所の誼で味方に付けられてゴネられるとうるさいと当時の関係者が判断したんじゃないかな

だから、ご本社でも摂社でもなく、吉田神社の責任で管理している末社と言う扱いをしておくなら、
斎場所大元宮の存続について伊勢神宮側は何も言わないというような話し合いでも行われたのだろう。

まぁ、こうしたことは神様の話じゃなくて、それをお祀りしている人間の勝手な都合だから、神様がたも苦笑いされてるんじゃないかとは思う。w




外宮宗鳥居

これは特別な形ではなく、いわゆる伊勢鳥居だ。やはり銅葺の屋根と扁額は取り付けられている。




外宮神殿。形式は内宮と同じ。

ご祭神様は豊受大神(とようけおおかみ)さまだ。








末社と言う位置付けではなく、延喜式神名帳に記載された神社を68の律令国ごとにすべて網羅した社殿なのだ。

ご本殿がすべての神様のステージとすれば、これは楽屋と言ったらいいのだろうか。(笑)

68の扉と扁額すべてを撮っては来たが、見た目にはあまり変わり映えしないので、3枚だけ代表として載せておく。

お祀りされているのは次の通りだ。数字や漢字などは現代表記にしておいた。ご本殿向かって左側を筆頭に、時計回りに見て行く。

近江国中:155神:滋賀県
美濃国中:39神:岐阜県
飛騨国中:8神:岐阜県
信濃国中:48神:長野県
上野国中:12神:群馬県
下野国中:11神:栃木県
陸奥国中:100神:青森・秋田・岩手・宮城・福島各県
出羽国中:9神:秋田県・山形県
若狭国中:42神:福井県
越前国中:136神:福井県
加賀国中:42神:石川県
能登国中:43神:石川県
越中国中:34神:富山県
越後国中:56神:新潟県
佐渡国中:9神:新潟県
播磨国中:50神:兵庫県
美作国中:11神:岡山県
備前国中:26神:岡山県
備中国中:18神:岡山県
備後国中:17神:広島県
安芸国中:3神:広島県
周防国中:10神:山口県
長門国中:5神:山口県
筑前国中:19神:福岡県
筑後国中:4神:福岡県
豊前国中:6神:福岡県・大分県
豊後国中:6神:大分県
肥前国中:4神:佐賀県・長崎県
肥後国中:4神:熊本県
日向国中:4神:宮崎県
大隅国中:5神:鹿児島県
薩摩国中:2神:鹿児島県
壱岐国中:24神:長崎県
対馬国中:29神:長崎県
山城国中:122神:京都府
大和国中:286神:奈良県
河内国中:113神:大阪府
和泉国中:62神:大阪府
摂津国中:75神:大阪府・兵庫県
伊賀国中:75神:三重県
伊勢国中:253神:三重県
志摩国中:3神:三重県
尾張国中:121神:愛知県
三河国中:36神:愛知県
遠江国中:62神:静岡県
駿河国中:22神:静岡県
伊豆国中:92神:静岡県
甲斐国中:20神:山梨県
相模国中:13神:神奈川県
武蔵国中:44神:東京都・神奈川県・埼玉県
安房国中:6神:千葉県
上総国中:5神:千葉県
下総国中:11神:千葉県・茨城県
常陸国中:28神:茨城県
紀伊国中:31神:和歌山県
淡路国中:13神:兵庫県
阿波国中:50神:徳島県
讃岐国中:24神:香川県
伊予国中:24神:愛媛県
土佐国中:21神:高知県
丹後国中:65神:京都府
丹波国中:71神:京都府・兵庫県
但馬国中:131神:兵庫県
因幡国中:50神:鳥取県
伯耆国中:6神:鳥取県
出雲国中:187神:島根県
石見国中:34神:島根県
隠岐国中:16神:島根県

合計3163座

延喜式での旧国名では、やはり「大和は国のまほろば」、大和国が286座で堂々の1位。
神宮のおひざ元、伊勢国が253座でそれに続く。
第3位は地祇の筆頭、大国主命さまのおられる出雲国の187座だ。




これは、末社・山蔭神社(やまかげじんじゃ)。料理飲食の神様である。

同じ吉田神社の末社で、吉田山から下りて駐車場へと戻る途中、神職さんが祝詞を奏上されていたので、(勝手に)撮らせて頂いた。






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幡枝八幡宮社

岩倉幡枝(いわくらはたえだ)、最近ちょっと複数の犠牲者が出た事件があった場所なので、地名ぐらいは意外と全国区になってしまったかも。今回の事件は犯人がすぐに捕まってくれたからいいけど、8年前にも通り魔的な事件があって、こっちは迷宮入りしそうな感じかも知れない。

神様の話でいきなり物騒なところから入ったが、良いも悪いも人の世の話、ここからは神様の話へと移ろう。


先に書いた通り、幡枝はこの辺りの地名だ。まぁ、京都市市街地の端っこにある田舎の住宅地だが、京都府立北陵高校や隣接する岩倉木野にはマンガ学部で知られる京都精華大学、少し西には同志社の岩倉キャンパス、山を挟んだ反対側には京都産業大学と、ちょっとした文教地域でもある。

今日紹介するのは
幡枝八幡宮社(はたえだはちまんぐうしゃ)
である。

画像はクリックで別窓拡大する。


参道入り口に車を止めて、一の鳥居へ。

…車に戻る。(笑)




参道入り口に立つ社号標を挟んで隣には細い道が。

一応車ででも入れそうだ。




坂道を上がりきると、二の鳥居があった♪

車も2〜3台程度は止められるスペースがある。




手水舎

残念ながら使われていないようだった。




手水舎の横には小さな鳥居と、別の参道がある。この先は後で紹介しよう。






少し階段を上ると狛犬さん




吽形の狛犬さんの後に写っていたのが、この拝殿

絵馬舎のようにも使われているみたいだし、舞殿としても使われるのかも知れない。




ご本殿

銅葺一間社流造に見えるのは覆屋で、実はその中に杮葺一間社流造のご社殿がある。大小二つ並んでいるが、どちらもご本殿だ。

御祭神さまは

第15代応神天皇
誉田別尊 さま
ほんだわけのみこと


その母君で仲哀天皇の后・神功皇后である
息長帯比売命 さま
おきながたらしひめのみこと


である。この神社は9世紀終わりに、いわゆる新羅の入寇と呼ばれた朝鮮半島勢力による国家的な海賊行為・帰化人による組織的犯罪・流民流入などに対して、都と人民の守護を願って当時の帝・宇多天皇の勅命によって創建されたとご由緒書きにある。

神功皇后は2〜3世紀ごろ、三韓征伐において新羅を平らげた女傑であるだけに、こうしたご利益を願うのは自然なことだったのかもな。





二つのご本殿正面。




末社・四社

手前から、稲荷社・天満宮・宇賀社・白山社




末社・十社

手前から、若宮八幡社・天照皇大神社・春日大神社・厄神社・野々宮社・愛宕社・上高良社・下高良社・琴平社・多賀社




これは、末社として組み込まれているが、多分元は独立した神社であったのではないかと思う。先の細い参道はこの神社に通じている。

針神社(はりじんじゃ)

Googleマップで見ると、この神社の名前の方が掲載されていたりする。

御祭神さまは

鉱山の神様
金山毘古命 さま
かなやまひこのみこと


である。相殿さまに二柱の神様のお名前があるが、お名前の読み方を含めて詳細は判らない。一応読みは書いておくが、俺の想像なのであまり信用しないように。w

天麻旅命(あまのまろのみこと)さま大牟須毘命(おおむすびのみこと)さまだ。

俺の勝手な推察だが、いずれも製鉄・鍛冶の神である天津麻羅(あまつまら)さま天目一箇神(あまのまひとつのかみ)さまの別名ではないかと思う。







一の鳥居の近くにあった、山桜のご神木






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