粟田神社

今回は東海道五十三次の西の起点にある旅立ちの神様、粟田神社(あわたじんじゃ)を紹介しよう。

画像はクリックで別窓拡大する。


三条通りに面した参道の入り口。一の鳥居と社号標も見える。




二の鳥居の扁額には感神院新宮(かんじんいんしんみや)の文字が見える。感神院とは八坂神社の別名であるのでご縁があるのだろう。ロケーション的にも近い位置だしな。

境内へはこの坂道を登ってゆく。車でもOK、少しだけだが参拝者用の駐車場もある。




登りきる直前に大きな神馬像。明治の奉納だそうだ。




拝殿




ご社殿正面

ご祭神さまは、主座に素戔嗚尊(すさのおのみこと)さまと大己貴命(おおなむちのみこと)さまをお祀りし、左座に八大王子命(はちだいおうじのみこと)さまこと素戔嗚尊様の御子神さま八柱と右座には櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)さま、神大市比賣命(かむおおいちひめのみこと)さま、佐須良比賣命(さすらひめのみこと)さまを相殿されている。

先にも書いた通り、この神社は京都三条大橋から数百メートルのところに鎮座されていて、京の七口の一つで東海道への出口になる粟田口にお祀りされているところから、旅立ちの守護神としての崇敬が篤い。




社殿はなかなか凝った造りだ。ご本殿は基本が銅葺三間社流造なのだが、その向拝に幣殿部分の入母屋屋根が入り込んでいる。さらに、瑞垣の唐門の唐破風屋根が入母屋の屋根に組み合わさった、複雑な複合建築だと言えよう。




摂社・出世恵比寿神社

ご由緒によると、源九郎義経さま奥州下向の折に源氏再興の祈願をされた神社だそうだ。そのことから出世恵比寿とか門出恵比寿と称されたらしい。土砂災害に見舞われたり明治の神仏分離令の関係などで、近代になってこの神社の摂社として組み入れられたそうだ。

ご祭神様は蛭子大神(えびすおおかみ)さま。




千木鰹木を頂く神明造の末社殿は、四社だ。

右から、武甕槌命(たけみかづちのみこと)さま・経津主命(ふつぬしのみこと)さま・天児屋根命(あめのこやねのみこと)さま・比売神(ひめかみ)さまの春日四神をお祀りする春日宮(かすがぐう)

天照大神(あまてらすおおみかみ)
さま・豊受大神(とようけおおかみ)さまをお祀りする大神宮(だいじんぐう)

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)さまをお祀りする
伊弉諾宮(いざなぎのみや)

誉田別命(ほんだわけのみこと)さまをお祀りする八幡宮(はちまんぐう)である。




末社・二社

向かって右が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)さま・伊弉冉尊(いざなみのみこと)さまをお祀りする多賀社(たがしゃ)、左が菅原道真(すがわらみちざね)公をお祀りする朝日天満宮(あさひてんまんぐう)だ。




この神社の近くには天台宗の有名門跡寺院である青蓮院(しょうれんいん)がある。かつてその寺院の門の東西に土地の守護神が奉祀されていたのだが、後にこの神社の境内に遷られた。

これは東側にお祀りされていた末社・吉兵衛神社(きちべえじんじゃ)




そしてこちらが西に奉祀されていた末社・太郎兵衛神社(たろべえじんじゃ)である。




摂社・北向稲荷神社(きたむきいなりじんじゃ)

他でも紹介したが、北向きのご社殿を持つ神社はご神威が強すぎるくらいであるそうだ。この神社のご祭神さまは一般によくある倉稲魂命さま単独ではなく、雪丸稲荷(ゆきまるいなり)さまと言う稲荷神さまとしての存在なのだそうだ。他に三座の相殿があるようだが詳細は判らない。

名匠・三条宗近(さんじょうむねちか)が一条天皇の勅命により作刀に取り掛かった際、なかなか満足のゆく刀を鍛えられず困っていた。それを知ったこの神社の雪丸稲荷さまは自分を常日頃信心してくれていた彼を助けるため、童子に姿を変えて相槌を打って助けたと言われているそうだ。

打ち上げた剣の表には小鍛冶宗近、裏に小狐と銘を打ったそうで、これが一条天皇の宝刀・小狐丸(こぎつねまる)だと言われている。




能舞台

なんか妖怪っぽいものが置いてあるが・・・どうやらお祭りの時に使うフィギュアのようだった。




三宅八幡宮にも似たようなものがあったが、戦利品の碑である。ちょっと興味深い碑文であったので紹介しよう。

明治三十七八年戦役ニ露艦ワリヤーク号六吋砲。戦利品海軍省ヨリ粟田在郷軍人分会ニ下附セラル。依ッテ当社頭ニ寄進、永遠ノ記念併セテ士気ノ鼓舞ニ供ス。大正十三年四月三日 粟田神社氏子総代 岡田岩治郎

ワリヤーク(ワリヤーグ)号・・・どっかで聞いた名前だよな。ロシア海軍から建造中止になった空母をレジャー施設にするとか言って安くで購入、結局「遼寧」とか言う空母として就役させた国があったような気がするが、あれのロシア時代の名前がワリヤーグ号だった。空母は三代目らしくて、日露戦争で日本に接収され大日本帝国海軍の宗谷に改修された船が初代ワリヤーグである。巡洋艦だったようだ。

なお、第一次世界大戦の後、日本はその艦を再びワリヤーグの名に戻してロシア海軍に返還したらしい。最初の交戦のとき、大破しても降伏せずにワリヤーグ号の艦長は自沈を選んだそうで、日本海軍はその武勇に応えたということなのだそうだ。

戦争は良くないが、どうせやるなら戦って気持ちのいい相手と戦いたいものだな。・・・つか、そう言う歴史を持った名前の船を買ってまた沈められたいのかねぇ、某国は。w




平和な時代、粟田神社の境内から京都の町を見下ろすと、平安神宮の大鳥居が一番に眼に入る。




これは二の鳥居の横にある駐車場の奥に鎮座する末社・鍛冶神社(かじじんじゃ)

ご祭神さまは天目一箇神(あまのまひとつのかみ)さま。社名通り鍛冶の神様だ。そして先に紹介した刀匠・三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)さま、さらに同じく刀匠だが短刀の名手と言われた・粟田口藤四郎吉光(あわたぐちとうしろうよしみつ)さまをお祀りしている。






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