大和神社

久しぶりに奈良の神社を紹介する。写真がそれほど多くないので前後編分割はしないが、ちょっと解説が多いかもしれないので時間のある時にでも読んでくれると嬉しい。と言う事で、今回は

大和神社
おおやまとじんじゃ

である。これも知らないと読めないよなぁ。

画像は全部クリックで別窓拡大する。



天理市中心部から桜井市に向かって国道169号線を南下してゆくと、途中左側にこんな石碑が見える。その交差点が大和神社前になるので、これを右折だ。道を挟んで向かい側に駐車場の広いローソンがあるので目印になるかも。

この石碑は商業界の有志310名が寄進して昭和52年に建てたとあるが、願主総代は京都の人と刻まれている。




細い道をまっすぐ入ってゆくと、ほどなく参道入り口に着く。この鳥居を抜けた左側に10台余りの駐車場があるのでそこからは徒歩だ。

一の鳥居は明神式の石鳥居。創建の年代や経緯からして神明式になるのが自然ではあるが、中世に衰微した際一度社領をすべて失っているので、再興の時に明神式の鳥居を建てたのだろう。




鳥居の横には、官幣大社・大和神社の社名碑が立っている。




表参道。

一の鳥居から二の鳥居までの距離は260メートル余り。あとで述べるが、多少こじつけ気味とは言えちょっと意味のある数字なのだ。




二の鳥居。一の鳥居と同じ作りである。




手水舎

平成10年に台風で全壊したが翌年再建されたそうだ。




建物はそんな事情で新しいが、手水石(水盤)には貞享二年(1685年)三月吉日の文字があった、江戸時代前期だな。日付はコントラストの関係でうまく写せなかったので解説だけ。






狛犬さん

後に日本最古の看板があるが、社伝によると紀元前90年ごろに創建されたそうだ。創建の地はもう少し東の方だったらしく、その社領も伊勢神宮に次ぐ広大なものだったらしい。

現在地への遷宮は記録が残っていない。




拝殿


この神社ではこの拝殿の手前にある素屋根の下でお賽銭を入れ鈴を鳴らしてお参りする。




拝殿を通して向こうには神門と透塀。少しだけご本殿の屋根も見えている。




ご本殿

これは拝殿向かって右側から見たところ。奥の左上に千木が見えているのが中殿、写真中央右寄りの緑の向こう側に左殿がある。

この神社のご神体は本来、

八尺瓊玉
やさかにのたま


広矛
ひろほこ

八握厳稲
やつかいつしね


であったそうだが、12世紀から14世紀の戦乱で失われたらしい。現在は明治の初めごろ宮中から奉納された玉・剣・鏡をご神体としているそうだ。




拝殿向かって左側から見たご本殿

写真中央が右殿、右に見えているのが中殿である。社殿は檜皮葺春日造が三棟ある。

ご祭神は

中殿
日本大国魂大神
やまとのおおくにたまのおおかみ

さま。もとは宮中にて天照大神(あまてらすおおみかみ)さまと共に同殿共床で奉斎されていたそうだ。

第10代崇神天皇の時代、世が荒れたことで同殿共床が原因の神威を畏れた天皇が、二柱の神様をそれぞれ違う場所にお祀りするべく二人の娘に命じたのが紀元前92年と伝えられている。

皇女・豊鍬入姫命
(とよすきいりひめのみこと)さまは、現在の桜井市などを中心に、この神社より少し南の方にあったのではないかとされる笠縫邑(かさぬいむら)に天照大神さまをお祀りされた。そこからあとを引き継いだ豊鍬入姫命さまの姪にあたる倭姫命(やまとひめのみこと)さまは祭祀の最適地を求めて遷宮を繰り返し、最終的に現在の伊勢神宮に鎮座されたたらしい。

一方、どちらが姉かはわからないが、豊鍬入姫命さまと姉妹の皇女・渟名城入媛命(ぬなきいりひめのみこと)さまが日本大国魂大神さまの祭祀を命じられて任に就いたものの、ほどなく身体は痩せさらばえ、髪は抜け落ちて祭祀を執り行う事さえできなくなったと言う。

その後、夢のお告げに従って市磯長尾市(いちしのながおち)と言う倭国造(やまとのくにのみやつこ)の祖とされる重臣が祭祀の責任者となり市磯邑(いちいそむら)にこの大和神社としてお祀りしたところ世の中も祭祀も上手く行ったそうだ。

バチあたりな話だが、この伝記を読んで頭をよぎったものがある。

正しい能力を持つ人が祭祀を行えば大きな力を授けて下さり、そうでない人が祭祀を行えば上手く行かないばかりか、当人は身体が衰弱してやせ細り
髪が抜け落ちる。

何かと似てないか?

現代の市磯長尾市は誰なのか、早く現れて欲しいものだな。




そして、御本殿が三棟あるところから判るように、あと二柱のご祭神がおられる。

左殿
八千戈大神
やちほこのおおかみ


さま、すなわち大国主命(おおくにぬしのみこと)さまと、

右殿
御年大神
みとしのおおかみ


さまである。御年大神さまは稲荷神さまの甥にあたる穀物を司る神様だ。




摂社・祖霊社

祖霊社に摂社と言う扱いをしているのは珍しいと思う。また、通常は神社関係者の霊を祀るものであるが、この祖霊社のご祭神の筆頭は大国主命さまとされているのも特筆すべきだろう。

この神社は明治時代、官幣大社に列せられたわけだが、官幣大社とは宮中・政府から幣帛料が与えられる、天神地祇・皇祖神をお祀りする神社の中でも最上位の神社のことなので、境内に地元の氏子や神官の霊などをお祀りする祖霊社を建てることは許されなかった。

その中で唯一、この神社の祖霊社だけは境内に建てることが許されたのだそうだ。


そしてもう一つ、この祖霊社には伊藤整一(いとうせいいちのみこと)さまを筆頭に3721柱の英霊もお祀りされている。

そう、海軍中将(戦死後海軍大将)伊藤整一第2艦隊司令長官の神格である。





戦艦大和の艦内にはこの神社の分霊が祀られていた。帝国海軍の戦艦には旧国名を用いる慣習があったので、同型一番艦は大和、二番艦は武蔵、三番艦は信濃と命名されている。その名前の縁から、戦艦にこの神社の分霊を勧請したと言う。(なお、信濃は建造途中で空母に設計変更された。また、四番艦は建造開始はしていたものの完成せず名前は与えられていない。)

昭和28年、戦後体制が一区切りした際に大和の乗員の英霊が祖霊社に合祀された。さらに昭和47年には大和と行動を共にした艦船の英霊たちも合祀されたとある。

ご由緒書には巡洋艦矢矧(やはぎ)他駆逐艦8隻とあるが、その艦隊構成からして第二水雷戦隊のことであろう。

艦隊は軽巡洋艦矢矧を旗艦に、駆逐艦潮(うしお)・磯風(いそかぜ)・浜風(はまかぜ)・雪風(ゆきかぜ)・初霜(はつしも)・霞(かすみ)・涼月(すずつき)・冬月(ふゆつき)の9隻である。


大和の乗員の英霊2736柱、第二水雷戦隊9隻の英霊985柱、数字の上ではそれだけだ。

艦隊司令長官伊藤海軍大将が俺と同い年、大和の艦長であった有賀幸作大佐(戦死後中将)ですら40代の若さ。兵や下士官、士官学校出の尉官ならずいぶん若い人たちも多かっただろう。もちろんひとり軍人だけに限った話ではないのだが、こうした人々の命の上に今の日本は立っているということを忘れないでおきたいものだ。




摂社・高龗神社

貴船神社と同じ水神・高龗大神(たかおかみのおおかみ)さまをお祀りしている。正面鳥居は神明式の変形だ。島木はなく貫は柱を貫通していないが、柱にころび(傾き)があり、扁額がかかり、根巻に相当する黒塗りが施されている。




ご社殿は春日造。妻入りになる春日造の社殿に対して拝所が切妻平入りと言うのも面白いような気がする。

妻入り:建物の棟に対して直角方向の短い辺(妻)に建物の正面が来る形式。
平入り:建物の棟に対して平行方向の長い辺(平)に建物の正面が来る形式。




摂社・増御子神社(ますみこじんじゃ)

ご祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)さま、天鈿女命(あめのうずめのみこと)さまの二柱である。




末社・朝日神社

ご祭神は朝日豊明神さまであるが、読み方が定かでない。「あさひとよあき」さまなのか「あさひとよあかり」さまなのか。また媛神さまだと言う資料も結構あるのだが、出典が判らない。さらには天照大神さまの別名とする説にも出会ったが、豊明神さまと豊受大神さまとの類似性に着目したのだろうか。

殖産・交易の神様で、この前の街道を通る商人たちは必ず詣でたそうだ。




末社・事代主神社

ご祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)さま。ゑびす神さまとしての位置づけのようだった。




末社・厳島大神

ご祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)さま。この神社はご本殿から摂末社に至るまで全部春日造のご社殿なのに、ここだけ流見世棚造なのが興味深い。何か謂れがあるのかな?




境内に戦艦大和関係の奉納物を展示した小さなプレハブがあったので見せて頂いた。中にはいくつかの大和の模型や絵画、そのほかの奉納品が展示されていたが、照明も点いておらず、やむなくストロボ撮影。ちょっと寂しかった。

一番大きな模型を写したのだが、ぱっと見に1.8メートル余り、多分1/144スケールなのだろう。せっかくだからクリック拡大する写真は10メガピクセルの大きなものにしておいた。♪

そうそう、最初に表参道の長さに言及したが、この表参道の長さは戦艦大和の全長とほぼ同じなのだそうだ。それを知って帰り道、二の鳥居から一の鳥居を眺め、現在に至るまで世界最大の戦艦であった大和の巨大さを思い知った。







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コメント
  • ひなたぼっこねこ
  • 2013/07/27 10:37 PM
先日カラス繋がりでかいた東京都府中市の
大国魂神社も、景行天皇41年5月5日(日付までわかっている!)
大神の託宣によって造られた、となっています。
いまも四季折々の行事は人で賑わうそうで、
確かに、味方になっていただきたい神様ですね。

 

ひなたぼっこねこさん>
こんばんは。

>府中市の大国魂神社
関東ではかなり有名な神社らしいですね。関西の私も名前だけは知ってますし。

>景行天皇41年5月5日(日付までわかっている!)
この細かさが凄いですね。

>味方になっていただきたい神様ですね。
諸説あって、大国主命と同じと言うのもありますが、私はむしろこの天照大神さまと同殿奉斎をされていた神様説を採りたいです。

 

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