安全第一

終戦の日である。例によって戦争などについて少し考えてみたい。あまり長いのもなんだから、テーマを一つに絞って短めに行こう。

自分自身と家族のためについて考えてみてくれ。欲しいのは「平和」か「安全」のどちらだい?

もちろん絶対的な平和や安全と言うのは概念的な物にしか過ぎず実在するはずのない物だが、まぁ一般的な感覚で良いだろう。つまり平和とは戦争が起こっていないこと、安全とは自分の生活を脅かす出来事が「珍しい」というレベルの確率でしか起こらない事と考えてくれ。

平和であれば武力によって自分の生活が脅かされることはないだろう。だから平和であれば安全に近づけることは間違いない。しかし、我々が安全な生活を送っている今この時でさえパレスチナやイラク、ウクライナなどでは武力紛争が発生していて、世界は到底平和とは言い難い状況だ。

一方日本に目を移すと、例えば朝鮮半島との間では16世紀以来「戦争」は起こっていない。もちろん19世紀末から20世紀に掛けての韓国併合は存在するが、これは戦争についての定義に従えばむしろ平和的な併合であったと言える。しかし、平和であっても当時の朝鮮人や日本人にとって「安全」であったかどうかは極めて疑わしい。

さらに、昭和40年代半ばから発生した北朝鮮による日本人の拉致問題。これは日本人にとって平和の中で起こった外国による安全を脅かす行為であるし、解決していない以上、現在もなお北朝鮮によって日本が侵略を継続されていると言うことでもある。

また、昭和28年に起こった韓国による島根県竹島の武力侵略。日本側はできて間もない日本国憲法の精神に従おうとした結果たくさんの漁民の犠牲と領土の喪失と言う現象をもたらした。これは日本が平和であろうと努力したが、軍事作戦を展開した韓国によって日本の安全が損なわれたと言うことだな。その危険性はいまだに北朝鮮との間で戦争状態にある韓国のせいで現在に至るまで継続されてもいる。

そして民間船に偽装した中国の侵略用舟艇や自称警察組織と言う海軍による尖閣諸島領域への攻撃的領海侵犯。これもまた日本が戦争に巻き込まれていることの証左だ。

聞けばロシア空軍の東京急行も復活の兆しを見せているらしいし、正直言って日本は平和ではないと思う。どうしても海上の国境線から離れたところに住んでいると日本は平和で安全だと勘違いしがちだが、決してそんなことはないのだ。

そこで今日の終戦の日において、自分の本音を見つめて欲しい。二択を迫られた場合、求めるのは平和なのか安全なのかと言うことだ。つまり、世界の人々が、あるいは世界では広過ぎると言うなら、このアジアの中で武力紛争がない平和を求めるのか、それとも自国さえ安全なら他国の戦争なんか知ったこっちゃないと言う態度を取るのかだ。

こう言えば平和を求めたくなるだろうが、その平和を得るために自分や家族の安全がないがしろにされるとすればどうだ?


日本国憲法の前文にもあるように平和と安全を求めることは日本人の義務の一つでもあると言って差し支えないだろう。ただ、よく読んでみるとただの理想主義に陥らないように細心の注意も払われている。

前文から逐語的に抜粋してみる。

「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果」
これは国際協調の重要性を説いている。一方で協和に乗って来ない相手とはそれなりに、という本音も見え隠れだな。

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」
戦争の惨禍が起こることのないようにと言うのは非常に重要だ。政府が覇権主義に陥って戦争状態を出来させることはもう願い下げだからな。

「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」
字義通り、これは日本国民たるものが心に持たなければいけない【理想】について語ったものだ。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」
つまり、諸外国を信頼することが前提の性善説的な文面で、これが実現できることが文字通り理想だろうと思う。しかし一つ問題があるとすれば、「信頼に値しない外国」が一つでもあれば破綻することだ。しかし、そのほころびを補うため自衛隊と自衛権※1と言うものの存在がある。そのおかげで危ういバランスながら現在の平和で戦争をしない日本が保たれていると言えるだろう。
※1:本来自衛権に個別的とか集団的の区別はない。それはかつて自衛隊の存在について政治的な駆け引きの際に生まれた逃げ口上の一つに過ぎないのだ。

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
日本人はこれを特によく知らなくてはならない。これは「方法を問わず武力紛争をしかける国」や「専制を行う国」、「隷従を強要する国」、「圧迫や偏狭を用いる国」を国際社会から除去することにおいて率先した行動をとると言うことだ。

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
これも性善説的な文言だが、逆に言えば他国の責務についてまで自国の憲法に謳うのはいささか高慢な態度だと言えなくもないかな。


個人的な考えだが、日本と言う国は市井の人々が平和の理想を掲げ、政治家が安全を主張しているように思える。それはそれで良いことなのだろうが、よりよい社会のためには政治家が百年の大計として理想主義的な平和を論じ、市井の人々はそれに対して目前の安全を要求すると言う関係がもう少し目立っても良いのじゃないかと言う気がするのだ。






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解釈改憲とか

今日の話は長くて重くて、人によっては不快かも知れないので、時間のある時にでもゆっくり読んでもらうかスルーしてくれ。w 一応感情論に走らないようできるだけ客観的に書いたつもりだ。

憲法解釈の変更を行う閣議決定から10日、そろそろブームも終わっただろうからこの話題に触れてみようかと思う。集団的自衛権だけに話を絞ると、結果的に世論をミスリードするマスコミと同じことになりかねないから、もう少し話を広げて全体像を眺めてみたい。

まずは俺のスタンスを明確にするため、「閣議決定で憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認した。」と言うことに対する評価を行っておこう。このことについて俺の意見は「為政者として誤った行動だが、必要な行動であった。」と考えている。

なぜ誤った行動なのかと言うと、明文的基本法である憲法を改正せず、解釈を変更することは民主主義の根幹を揺るがしかねない行為だからである。にもかかわらずなぜ必要であったかと言うと、目前にあったのが民主主義を云々する以前の大きな危機、国家そのものの存続が危うくなる状況があり、それを回避するための緊急避難が必要とされていたのではないかと考えられるからだ。

この話は様々な方向から検討しないといけない、それだけに順を追って羅列するのも難しいが、できるだけわかりやすい文章にするよう努力する。まずは日本と言う国家が世界の中でどのような位置にいるかの認識から見てみよう。

日本は弱い国である。

その事を日本人はしっかり認識できているだろうか。日本共産党などはそのスローガンの中で「アメリカの言いなりはもうやめよう」などと威勢の良い事を言っている。しかしそれは不可能だ。第一、彼らが絶対改正したくないぐらい大好きな日本国憲法はアメリカの言いなりで作られたものなんだぜ。アメリカの言いなりを止めるならまずはそこからだろ?

戦後、日米安全保障条約と言うアメリカの庇護がなければ、日本はとっくにソ連の物になっていた。それは大東亜戦争前に日本がいなかったら朝鮮がロシアの物になっていたであろうことと同じなのだ。

幸いにしてアメリカから売ってもらった武器と在日米軍のおかげで日本国は冷戦時代を形だけでも独立国として生き抜いてこられた。しかし中国と言う厄介者が武力においても、経済的な部分でも台頭してきた現在、再び日本の危機は現実の物になりつつあるのだ。

あえて名指しするが、第二次大戦後の行動、たとえば中国の新疆侵攻やチベット侵攻、内モンゴル粛清事件、ロシアのオセチア紛争介入や現在進行形のウクライナ・クリミア紛争を見ても中国とロシアの領土欲と覇権主義はなりふり構わない前時代的レベル、すなわち「欲しいから盗る」と言うものである。

日本は世界有数の経済力を持ち、多くの国から信頼を得て友好関係を築いているから、侵略の可能性のあるような国々と対峙しても具体的戦力は必要ないと言う向きもあるだろう。しかし、そんなものは「先に占領すれば後はどうにでもなる」と考えるタイプの国の前では蟷螂の斧に過ぎない。まして専守防衛と言うきれいごとで自らの手を縛ってしまっている日本を侵略するのは極めて簡単なことなのだ。

日本は弱い国だ。だからアメリカの言いなりにならないのなら中国の言いなりになるかロシアの言いなりになるしかない。独り立ちできるほどの強い国を作って来なかったのはほかならぬ日本人なのである。

では安全で強い国を作るにはどうしたら良いのか。もちろんその前提として国際協調があることは言うまでもないし、これまで通り国際協調路線は継続すればいいと思う。ただし、強盗団のロシアと中国、火事場泥棒の韓国北朝鮮についてだけは敢えて喧嘩する必要はないものの、平和的に付き合える相手として信用できる相手ではないと断じておかなければならない。

その上でまずは専守防衛について考えてみよう。平和のため専守防衛に徹し外国に攻め入ることはしないと決めておくことがいかに危険かはちょっと考えれば誰にでも判るはずだ。

平和憲法を遵守していれば外国に侵略されないなんてファンタジーを信じている人は・・・そうだなサンタクロースの実在を信じている人と同程度にはまだいるのかもしれない。しかし残念だがそれはありえないのだ。

侵略する側が一般的な普通の国なら国連が非難決議を出したり制裁を行ったりしてして日本を攻撃した国の方が孤立するリスクがあるだろうから、滅多に日本が侵略されることはないと思いたい。しかし旧敵国条項が生きている国連だから完全に信頼できるとも言い難いのが正直なところだ。それに、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国の五カ国は国連に非難される恐れもなく日本を侵略できるのだ。なぜならその国に対して非難決議をしようとしてもその国々は拒否権を持っているのでそもそも非難決議自体が国連を通らない。

そして大事なのは、仮に日本が完全武装した国であっても、安保理の常任理事国以外の外国が日本を侵略してきたら、やはり国連は基本的に侵略国側を非難し制裁するだろうということである。日本の武装と国連の態度は関係ないのだ。言い換えれば、日本が武装したことが原因で他国から攻められやすくなることはありえないと言う意味でもあるのだ。

もう一つは物理的な事実の話だ。思想や政治は関係なく、池に石を投げたら波が起こって石が沈むと言う現象と同じレベルの事実である。どこかの国が日本を侵略しようと攻め入ってくることを考えてみよう。

現代の戦争だから最初の小競り合いである民間船に偽装した小型艦艇での領海侵犯や潜水艇による秘密裏の侵入(つまり尖閣諸島で起こっている事や北朝鮮の行動もその中に含まれる)を別にすれば、ちゃんとした戦闘では航空兵力が先陣を切るのは当然で、制空戦闘機のほか爆装した対地攻撃機や爆撃機、さらには地上制圧用の戦闘ヘリもやってくるだろう。

日本の防衛能力の低さを見くびってはいけない。(笑) 流石に当時よりは多少マシになっていると信じたいが、38年前のベレンコ中尉亡命事件を思い出してみれば、たった一機の戦闘機に函館空港に強行着陸されてしまったんだぜ。あれが複数の戦闘機を直掩機に持つ爆撃機の編隊だったら、今頃函館と言う町は地図ではなく歴史書にだけ載っていることになっていただろう。

そうした航空兵力と戦闘を行う場合、日本の国土の上でやるのと公海上や敵の国土の上でやること、どっちが日本にとって安全かってことだ。日本に落とすための爆弾を満載した飛行機を日本の都市上空で迎撃すればどこに墜ちる?

日本の憲法が日本の政府から交戦権を奪っている現状では、宣戦布告を行うことも受ける事もできない。つまり公海上での戦闘が行えないってことだ。だから現状では敵に爆弾を落とされるか自分で爆弾を抱えた敵機を日本に落とすしかないってことだな。もちろん、運が良ければ日本の領海上に落ちてくれるかもしれないが、領海の幅はたった22kmあまり、領海上で迎撃に成功したとしても、敵機の破片に固有速度が維持される以上、地面に落ちる頃には陸地にまで届いている可能性の方が高いだろう。

この「安全」についてはアメリカ人に学ぶべきところが多い。戦争大好きでいつも世界中で鉄砲の弾を飛ばしているアメリカ人が本気で怒ったことが何度かある。我々にもよく判るのは真珠湾攻撃のときと911の時だ。どちらも主戦場がアメリカであった。アメリカ人は闘いを肯定しても自国が戦場になることを許さない。それだけを見ても国を安全に保つ上で日本人が見習うべきことだと思わないか。

しかし、法的整備が必要な一番の内容は単に交戦権を認めることではない。最も大事なのは日本を「侵略戦争のできる国」にすることなのである。なぜ侵略戦争が必要なのか、侵略と言う言葉は良くないが、侵略戦争ができないと平和で安全な国が作れない言うことは先の大戦の後に起こった、日本が侵略された事案を見れば判りやすい。


竹島は日本がアメリカによる占領を受けていた時期に韓国が武力による侵略を行って自国の領土に編入しようともくろんだ島である。当時韓国軍による漁民の民間人虐殺も数多くあった。面白いと言えば語弊があるが、当時の自由党・吉田内閣は平和主義を標榜する事なかれ主義だったために、日本共産党が主張した武力による奪還を行わなかったのだ。このことが敵に誤ったメッセージを送ってしまうことになり、竹島の侵略が固定化した。

現在竹島は日本の領土でありながら事実上韓国の施政権下にある。もし現在、当時日本共産党が主張したように防衛出動で自衛隊を出して韓国から竹島を奪い返したら、ほぼ間違いなく侵略行為として扱われるだろう・・・おそらくならその日本共産党などによって。(笑) ただ、日本が自分の手を縛っていなければ、国際的には「正当な奪還」として主張することもできる。

でも、現行法のもとでそれをやってしまうと、国内問題として他国を侵略したと言う批判が国内から巻き起こるであろうことは想像に難くない。

日本のもう一つの問題はここにある。いわゆるスパイ防止法がない事だ。あからさまな利敵行為であるにもかかわらず、言論の自由を隠れ蓑に日本に対する外患誘致を行う輩が多すぎる。今国会で利敵行為を含むスパイ行為について死刑のみを選択肢とするスパイ防止法案を提出してみれば面白いかもしれない。だれがスパイなのか、どの国がスパイを送り込んでいるのかが簡単にあぶり出せるかもな。(笑)


ちょっと話が横道にそれたが、侵略戦争を国内法で禁止すると言うことは、侵略された国土を取り返す行為が逆に侵略行為に当たると言う言質を敵に与え、敵国の手先やシンパである日本人に、正当な防衛行動に対する妨害・破壊活動をしやすくさせてしまうと言うことなのだ。

また、もし侵略戦争を日本の権利だとする法律ができたところで、日本から仕掛ける侵略戦争は起こらないだろう。日本にとってメリットが少な過ぎるからだ。侵略して領土を増やすと言う事はそこを管理するコストが増えると言う事でもある。

単に収奪するためだけの領土を求めるなら多少の黒字も期待できるが、近代史における過去の失敗から見ても、得られるものより多くのコストを突っ込んで侵略した土地を整備しようとしてしまうのが日本人の悪しき習性である。そんなお人よし行為は侵略とすら呼べない情けない代物だが、それが近代以降の日本人なのだ。

だから長期間の不況にあえいだ日本は、他国を侵略してあげるほど余裕のある状態ではない。従って「侵略できる」は「侵略を行う」に直結しない。しかし「侵略できない」は「奪還を行えない」と等価なのだ。


さて、そこで集団的自衛権だ。日米安全保障条約がある以上アメリカは日本を守る義務があるので、これまでと変わらない防衛行動をとってくれると多くの日本人は考えている。しかし、アメリカ人だって人間だしアメリカ政府にだって都合と言う物がある。アメリカ政府にも大変大きな敵「野党」と言うのが常に政権を脅かしているわけだからな。

日本政府が一所懸命自国を守ろうとしているのならともかく、アメリカ人がうっかり与えてしまった憲法を盾に、自分で自分を守ろうとしない国を守るためになぜアメリカ軍人が命を賭ける必要があるのかと思う方が普通だろうし、野党ってのはそういう市民感覚を最大限武器として使ってくる。

だから、日本の政府としては集団的自衛権の発動と言う目に見える形での日本の態度を示す必要があったのだ。もちろんその先には上に言ったような理由で国家としての交戦権の確保など憲法の改正を視野に入れてると思うしそうでないと困る。

安倍総理が高い支持率を犠牲にしてまで集団的自衛権の容認を急いだのは、おそらく我々市井の人間には判らない様々な調査活動、多分DIHあたりからもたらされた情報によって、焦眉の急とも言うべき危機的な状況があったんだろう。これが内閣支持率の低迷している時だったら俺も一発逆転を狙った安倍さんのパフォーマンスと片付けていたかもしれない。

また、麻生副総理も掩護射撃として国民に判りやすい形で説明しようとした。勉強ができない(=政権が安定しない)、喧嘩が弱い(=防衛力に縛りがある)、貧乏である(=国家が貧しい)と学校ではいじめの対象(=世界では侵略の対象)になる。しかし、お金を持っていたらなおさら酷い目に会う(=様々な負担金だけを要求されて結局侵略される)。と言う判りやすいたとえだ。

しかし、現在の日本人の国語能力の低さをよく知っている連中は、それをいじめ問題にすり替えて麻生副総理を攻撃することにしたことはみんなが良く知っている通りだ。麻生さんの発言を「また失言」と報道していたテレビや新聞、雑誌は信用できないと言うことでOK、良い判断基準ができたと喜ぶべきなのかな。

またしても話が横道にそれたが、要するに憲法の改正には時間がかかるし、敵は待ってくれないってことだ。それどころか、日本がそうした国内法の整備に手間取っている時こそが日本を侵略するまたとない好機なのである。だから解釈改憲と言う裏技を使ってでも敵国を牽制せざるを得なくなったのだ。もちろんその責任は長い間責任政党であった自民党にあるし、安倍総理が自民党から出た首班としてその責任を果たそうとしている事は大いに評価できる。

憲法と言うものは法律を作るためのルールブックであり手順書である。だから当然周辺環境の変化に応じて改正して行く必要があるのだが、憲法改正に必要な実務的手続きすら定められないまま70年が過ぎたと言うのはあきれるほかない。

日本国憲法第九条について改正の議論を行うことすら悪とする風潮は大日本帝国憲法第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と同じように専制的な思想で、民主主義とは相容れないものだと俺は思う。

幸い日本の中でも憲法改正の機運が醸成されつつあるので、そう遠くない将来いい形にはなってくれるだろう。しかしそれが間に合うと困る国も存在するから、多少の無理は承知で突っ込んでくるかもしれない。その時日本国内で日本の国よりも外国を優先したがるような連中が力を残していたら最後の切り札、政府が裏で糸を引く相対喧嘩のクーデターで憲法を停止すると言う離れ業を使わざるを得なくなる。もちろんクーデターなんだから多少の流血もアリってことで・・・しかし国内がそこまで行ったら侵略に対する全面戦争は避けられないだろうな。それでも一方的に侵略されるよりはましだろうし。


日本は核武装すべし、とまでは言わない。もちろん持っても良いのだが、あれは維持管理に金がかかり過ぎるからねぇ。取り敢えず通常兵器だけで核戦力を持つ国に核兵器が使えなくなるぐらいのダメージを与えられる程度の戦力と交戦権を持つだけでいいだろうが、最低限その程度には日本を修理すべきだろう。

最後に、徴兵制について云々する時代遅れの連中がいるようだが、人数集めて鉄砲担がせれば戦争ができたのは大昔の話だ。現代の戦争に於いて徴兵制で集められた間に合わせの兵隊などは邪魔にこそなれ戦力になどならない。

もし現代において徴兵の可能性が残るとしたら、それは専守防衛の現状を維持した場合が一番高くなる。つまり戦闘スキルを持たなくても弾除けになってくれる若者で役に立つからだ。憲法が改正されないまま戦争が起きれば、かつての大戦末期に叫ばれたような「本土決戦」だけが現在の日本に許された戦争の形態ということになる。なにせ「専守防衛」なのだからな。

それでも下っ端の兵隊さんから指揮官に至るまで一人でも多くの市民を守るために戦うわけだ。だからその際「どれだけの数を守るのか」に重きが置かれるのは当然のことだ。彼我の戦力比が同等だったとしても非戦闘員を守る必要がある防衛側は侵略側に比して常に不利な立場になる。そうなると「市民を見捨てる必要性」も当然いっぱい出てくることになるだろう。

戦争が終わった時、軍人も市民も全滅していたら仮に敵を相打ちで全滅させたとしても国は復興しない。それなら市民全員を見殺しにしても軍人の半数を生き残らせて復興にあたる方が効率的だと考えるのは、国と言う大きなくくりで見た場合人道的だと言う事になる。戦争が終われば軍人も市民なのだから。

それに、今世紀において先進国間で大規模な戦争が起きるとすれば、一番安全なのは戦争の最前線になるであろうことは想像に難くない。訓練に金の掛かった兵員をしっかり守らないとコスパが悪いから。だから徴兵される心配より、志願しても採用してもらえないことの方を心配するのが本筋だと思うぜ。






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2020年

久しぶりにまじめな話でもしよう。今日のタイトル、2020年は東京オリンピックにまつわる話と言うわけではない。

先日「美味しんぼ」と言うマンガの中で福島県に行った登場人物が被曝して鼻血が出た云々のストーリーがあったことに対して風評被害がどうの、事実無根がどうのと言う批判が噴出していると聞く。

まぁ、確かに不謹慎な内容で、売上アップのための炎上商法(意図的に虚偽・不謹慎・反社会的な内容を発表して批判を受け、その話題性で売り上げにつなげるマーケティング)なんじゃないかとも思えるが、ことこの問題について言えば、受け取り手側の反応の誤りが大きいのじゃないかと思うのだ。

所詮マンガの話だぜ。なぜ鼻で笑ってそう言い切れる大人がいないんだろう。

子供の頃の話なので詳しいことは記憶の底に沈んでしまったが、何かのことで親に自分の考えを主張したら「なんでそんなことを考えたんだ。」と問われた。「マンガに描いてあったから。」と言ったらオヤジにぶん殴られたのは懐かしい思い出だな。(笑)

今で言えば「天照大神さまは高天原でスルメ齧ってるオバさんだってアニメでやってたからお伊勢さんにスルメをお供えするんだ。」というのと同レベルの「福島行って鼻血が出た」と言う内容を「たかがマンガ」と切り捨てられない大人がちょっと悲しいかも。

もちろん「取材に基づく事実である。」と作者が主張していること、「実名で登場するモデルがいること。」などが物議を醸しているのは事実だろう。しかし、どこまで行っても所詮はマンガと切り捨てる態度も必要だと考えるんだがどうだろうな。

そして国を動かす立場の人間がこんなつまらないマンガにコメントするなんてのはもってのほかだ。もちろん当事者にさせられた福島県関係の地方行政関係者が怒るのは構わないし、国に文句を言うのもOKだ。そうした話が持ち込まれて初めて国政にかかわるような人物は「たかがマンガの話じゃないですか。」と公の場で答えれば良いだけなのだ。

こんなことに積極的にコメントするようではあまりにも器が小さいか、何かを隠したいためのマジシャンの左手に使っているかを勘ぐられる。


そこで6年後の2020年だ。これは何が予定されている年かと言うと「やっとヒロシマに草木が生え始める予定の年」なのだ。広島が世界で初めて核攻撃を受けた際「この先75年間、広島には草も木も生えない。」と言われたのである。

2020年は広島が核攻撃を受けてから75年目にあたる節目の年なのだ。だから今現在、広島には人や動物が暮らすことははおろか草や木だって一本も生えてないはずなんだよな、終戦直後の流言飛語を真実だとするなら。

でもまぁ、当時はそれは恐ろしかっただろうから、そうしたうわさが立つのも仕方がなかった部分もあるだろう。今のSI単位系に換算すると、広島の爆心地から500メートルのところではおよそ30,000,000マイクロシーベルトの放射線線量当量だったわけだから、将来に向けて恐怖を抱くのも無理はなかったと思う。でも事実は、広島から人がいなくなることはなかったし草木が死に絶えることもなかったのだ。


そもそも流言飛語以下のマンガに真実を求める方がどうかしている。リアリティを求めたフィクションは面白い。しかし、フィクションにリアルを語らせては道を誤る。

寓話は常にフィクションを前面に押し出して世相を風刺してきたからこそ批判の手法として値打ちがあったのだ。真実を真実として語るならば、それだけを独立させて事実だけに基づいた作品としての主張をするべきである。たとえマンガの形を取ろうとも、これまで読者を確保してきたフィクションの中に真実を混ぜ込むような欺瞞に満ちた手法は、むしろその主張を虚しくするだけなのだ。

人気原作者も大出版社も、そんな子供でもわかるようなことを忘れて売り上げアップに狂奔し炎上商法と言う最低のマーケティングを行っている。一般読者たちが批判すべきはそうした姿勢の部分だろう。

フィクションの中で登場人物に語らせている以上、どれほど真実に近い物であっても「この作品はフィクションであり、実在の事物や現象とは一切関係がありません。」なのだ。

言い換えれば今回「美味しんぼ」に登場する福島県とは地球上にあるのではなく、鯨座宮たう星系第3惑星・海明星(笑)にある話だと読者全部が思えばいいだけである。

いつも言っているようにメディアリテラシーは現在の必須教養である。その対象は報道だけでなくこうしたものにも適用されるが、一方で「マンガを真に受けるな」と言うオトナの態度を持てば解決する問題でもあるのだ。


余談だが、核攻撃を受けた直後に降った「黒い雨」に含まれていた放射性物質は話題のセシウム137もわずかにあったようだが、ほとんどは核爆弾の製造精度の低さが原因で核反応に至らなかった核燃料のウラン235だったと言う。使われた核燃料のうち実際に核爆発を起こしたのはわずか2%弱だったらしい。残りは単なるダーティ・ボム(放射性物質をまき散らすことで対象地域を放射能汚染することが目的の汚い爆弾)として作用しただけってことだな。

で、その核攻撃による汚染の原因になったウラン235だが、半減期(放射性物質としての寿命の目安)は7億年あまり。素直に考えれば全量が広島の地に残っていると考えて差し支えない。原発とは異なり、濃縮率が非常に高い上、意図的に全量をまき散らしたわけだから二次被害をもたらす破壊力は桁違いだ。

こんなことを書いたら広島市から風評被害をもたらすってクレームが来るかな。(笑)






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軽自動車税

軽自動車税の増税が取りざたされている。いろいろな周辺事情もあるし、軽自動車の位置づけも随分と変わったので単純に増税の善し悪しを決めつけることはできないが、この機会に自動車税全般について見直しを行っても良い時期に来ているのかもしれないと感じたりもする。

もともと普通/小型自動車は贅沢品で、庶民のための軽自動車は生活のための物だったから税率が低く設定されたと言う歴史的な背景もある。しかし現代においてはコンパクトカーと軽自動車の間にはさほどの差異はなく、むしろ環境負荷に於いては軽自動車の方がよろしくないと言うケースもあるぐらいだ。クラスによっては軽自動車とコンパクトカーの間で車両価格の逆転現象も見られるしな。

昭和30年ごろのように1500ccのクラウンが高嶺の花で、360ccの軽自動車ですら庶民にはやっと手が届くかどうかと言う時代なら税金に大きな差があっても良かっただろうが、高校出たての子供が親に買ってもらった軽自動車にゴージャスな内装を施すようなのを見ていると、軽自動車の優遇税制なんて廃止してしまえと思わなくもない。

一方で、交通インフラの整備が不十分で自動車がないと生活できない地域が日本中にあるという事実を見れば、交通インフラを整えなかった政府に自動車の税金なんぞ払ってやる必要はないと感じたりもする。

その辺りも踏まえた上で、細分化された自動車のカテゴリにも対応すべく自動車税制を見直すのは悪くないだろう。


俺の足りない頭でもちょっと考えてみたので付き合ってくれ。

まずは税金の基本線をどこに引くかなのだが、増税ありきの発想は好ましくない。結果として増税になるとしても考えのスタート地点は現状を肯定するところから始めるのが良かろう。

と言うことで、日本のパーソナルな交通手段の中心になった軽自動車の乗用車、年額7,200円と言う数字をそのままに考えてみた。

現在は軽自動車とそれより大きい自動車の税金とでは計算のシステムが全く異なっているが、もうそんな時代でもないので排気量0.1リットル刻みで計算式を立てることにしよう。計算基礎として、仮に排気量係数Nを次のように設定する。

N=(0.1リットル刻みの排気量−0.7)×10

軽自動車の場合0.7になるからN=0、1300ccの車の場合は (1.3-0.7)×10ということでNは6になる。

そして税額は現行の軽自動車の7200円を基準にして、自動車税Tを次のように設定する。

T=7200+((200+(100×(N-1)))×N)

ちょっと複雑っぽいが、計算してみると簡単なはずだ。

1リットル車なら8,400円、1.3リットル車なら11,400円と現行より結構値段が下がる。一方で累進性を持たせる計算式にしてあるので、排気量が2.7リットルを超えたところで現行の自動車税よりも高くなる。

2.7リットルの排気量も2.8リットルの排気量の車も現在51,000円だが、この方式で行くと2.7リットルが49,200円、2.8リットルが53,400円とここでグラフが交差する

3.5リットルなら58,000円が88,400円に、5リットルなら88,000円が196,400円ということになる。排気量を基準にしておけばハイブリッド車やダウンサイジングで環境負荷を減らした車への優遇税制が自動的に行えるし、電気自動車の場合排気量換算の係数で調整が可能だろう。

まぁ、高級車にお乗りのお金持ちには少し負担が増えるかもしれないが、2.5リットルを超えるような高級車の場合それに見合った税負担があっても悪くはないと思う。そして排気量比例(二次関数的ではあるが(笑))の計算式だから、軽自動車が非関税障壁だなどということも言われなくて済むだろうしな。

また、今後登場するであろう超小型モビリティについては、基本EVになるであろうが、排気量を330cc相当と仮定し0.4リットル未満の排気量カテゴリに入れて、上記の計算式に当てはめ、プラスマイナスを逆転させると年額6,000円になる。妥当な線じゃないだろうか。


グロスの税収を見てからでないとこうした計算が有効なのかどうかはわからないが、過不足が出るようであれば定数部分の調整を行えばいくらでも修正はできるし、排気量との関係性と、基本排気量600cc〜700cc未満は7,200円と言う線を崩さなければ不公平感の少ない税制が組み立てられるんじゃないだろうか。






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武器を取れ・・・ただしプロに限る

12月8日、開戦記念日だ。そこでここのところ喧しい秘密保護法などにもちょっとふれた話題を話してみたい。まぁ一部に戦前の治安維持法の再来だなどと騒ぐ向きもあるようだが、これはギャグとして受け流しておく。

と言うことで、まずは結論から言おう。秘密保護法は必要不可欠だし、憲法9条はとっとと廃止して軍備を整えるべきなのだ。何故かと言えば国民を戦禍に巻き込まないためであり若者を戦地に送らないためだ。

まずちょっと考えてみよう。日本は現在戦争のできない国なのだろうか。答えは否である。現在どころか、自衛隊が創設された60年前には外国による攻撃に対応する抗争は自衛戦であり憲法9条とは矛盾しないと言うことになっている。

つまり、外国軍が攻めてきたら戦争やっちゃってOKなのが現在なのだ。但し、敵の長距離ミサイルや足の長い航空兵力の基地、公海上の敵軍艦などに対する攻撃は許されていない。つまり自分の家に土足で踏み込まれても、敵を家の外に追い出すか家の中でやっつけてしまうのが限度で、家の外では手を出しちゃいけないってことだな。

だから「こんな憲法/法律を作ったら日本は戦争のできる国になってしまう。」と言うのはとんでもない事実誤認と甘えによる認識なのだ。今でも戦争はガンガンやれるし、むしろ今の方が戦争になったら若者を徴兵する可能性はうんと高い。

なぜなら今の自衛隊は憲法9条の縛りと予算の関係で充分な兵力を持っていないからだ。戦争になれば取り敢えず前線で死んでくれる若者は不可欠になる。戦争をしたくなくても外国が攻めてきたら応戦をしないと、今度は女性や子供を丸腰で敵の標的にすることになるからだ。まぁ、俺を含めて年寄りはこの際若者の代わりに盾になるとしても、女性や子供はそうはいかない。鉄砲の弾の標的ならまだマシで、女性や子供にいかがわしい武器が使用されるのは歴史が教えている通りだからな。

また、戦争が起こること、敵軍に攻め込まれる可能性を考えることは非常に重要なことで、武装しなければ誰も攻めてこないなどと言うのは大きな間違いである。現在進行形でチベットや東トルキスタン共和国などを見てみれば判る。男性を異郷の地へ連れ出し、侵略民の男性によって女性を妊娠させると言う民族浄化まで受け入れざるを得ない状況に陥ったのは充分な防衛力を持たなかったからなのだ。

そこで、だ。戦争のプロとして訓練を受けた自衛隊員と、泥縄式で兵隊に仕立て上げたニワカ自衛隊員、どっちが効率よく死んでくれるかだな。言うまでもないだろう。平時から志願兵として訓練を受けている自衛隊員が1人増えれば、侵略され始めてから慌てて徴兵した若者10人の命が助かると考えてもまだおつりがくる。

だからこそもっと軍備を増強する必要があると言うことなのだ。もちろん物には限度がある。予算だって有り余ってるわけじゃないしな。それに日本に一番不足している軍備は一番金のかからない物、「自分の国は自分で守る」と言う基本的な意識なのだ。

憲法9条に甘えている連中は、「日本は戦争できません。」と唱えておけば世界中が日本を守ってくれると思っている。とんでもない話だ。戦争の相手にするのに「戦争できない国」ほど格好の標的はないだろう。

日本を守っているのは自衛隊と言う通常戦力に限ればそれなりに強力な軍隊と、人間離れして強力なアメリカ軍人、そして核戦力を含んだ彼らの超火力なのだ。それでも今はまだ日本はアメリカの好意に頼って何とか息ができている。しかしロシアの復権、中国の台頭によってアメリカも日本ばかりを見ているわけにはいかなくなってきたのが現状だ。

そしてマスコミのミスディレクションに見ごとに引っかかって訳も判らず反対するノイジーマイノリティばかりが目立つ今回の秘密保護法。

紙芝居でもやろうか、絵はないけど。(笑)
=====
あるところに日本さんと言う奥さんがいましたとさ。ご近所の状況に疎い日本さんは、町内でも有数の実力者アメリカさんと言う奥さんに「アメリカさんはどうやって上手くやってるの?」と尋ねます。アメリカさんは弱い日本さんをかわいそうに思って「誰にも言っちゃダメよ。」と釘を刺して近所づきあいのコツとかを伝授してくれました。

それを横で聞いていた日本さんの娘、サヨクちゃんは学校で「アメリカさんはこんなこと言ってたよ」とふれまわります。うわさが町中に広まり、アメリカさんは立場が悪くなってしまいました。困ったアメリカさんは日本さんにはこれから何も教えないようにしようと心に決めたのです。日本さんが娘のサヨクちゃんに「自分の秘密だけじゃなくて他人の秘密も軽々しく喋っちゃダメよ」と言うしつけをしなかったために日本さん一家は町内に住んでいられなくなりましたとさ。
=====
ま、そう言うことだ。

これまで日本に秘密保護法がなかったのも驚きだが、今回のこの法律でもまだまだ不充分で、国家の安全保障にかかわる情報についての罰則は、死刑とまでは言わないまでも「20年以上の有期刑または無期懲役」ぐらいに設定したスパイ防止法の制定が望まれるところだ。

そうした情報管理が甘いと、ますますもって外国からの侵略をうけやすくなる。それはつまり昨日まで普通の青春を楽しんでいた若者が最前線で敵の銃弾の標的にされるって言うことに直結すると言うことなのだから。


以前、尖閣諸島での海保の活躍がYoutubeに流された事件があったが、その当時の政権と毎日新聞、朝日新聞

政府の機密事項を漏洩した公務員に対する厳罰規定がないのが問題だ。

と大騒ぎしたことは記憶に新しい。その舌の根も乾かないうちに秘密保護法がダメだと叫んでいるのだから、ある意味本音丸出しで人間上等な連中が踊っているのかなとおかしくなったりもする。
まぁ、今回の秘密保護法の制定についてはその流れが基本にあったから生まれたようなものなので、怪我の功名と言っても良いかな。






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ヘイトスピーチ判決

京都地裁で朝鮮学校の違法行為に抗議した「在日特権を許さない市民の会」の抗議活動について、業務妨害や名誉棄損に当たると言う判決が下されたことはニュース等で広く知れ渡っているだろう。

ただ、昨日テレビなどを見ていて気になったことがあるのでメモ代わりに今日のエントリにしておこう。

事件番号:平成22年(ワ)第2655号

判決の要旨


1:示威行為とその様子の動画の公開が、業務妨害と名誉毀損にあたることを違法性のある事実として認定し賠償を命じる。
(筆者注:つまり「示威活動(街宣行為)によって児童らを怖がらせ、通常の授業を困難にし、平穏な教育事業をする環境を損なった」ことが業務妨害であり、それを動画にして公開したことが「名誉を毀損した」ということのようだ。)

2:特定の被害者のいない差別発言については、民法709条の責任を問えない。
(筆者注:特定の被害者とは個人名や個人を特定する情報が明らかにされた被害者。おそらくは一般児童生徒や教員はこれにあたらず、在特会の責任は問えないということだろう。)
(民法709条:故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。)

3:学校の半径200メートルの範囲で、業務妨害又は名誉毀損となり得る表現行為のみを制限する。
(筆者注:判決文から推定するに、学校のそばにおいて拡声器などを使って大きな声を出したり脅迫的な言葉を言ってはいけないってことだろう。)

4:表現行為そのものを差し止めるものではない。

(筆者注:表現の方法にもよるのだろうが、在特会の主張する「在日特権」の存在やそれの廃絶を願う主張は良いんじゃないかな。まぁ、そもそもそういう抗議行動は子供を相手にやることじゃないが、朝鮮学校が子供を盾に一条校と同じ扱いを要求すると言う非常識な行動をとったのも一因だろう。朝鮮学校に通う子供たちを守るためにも、朝鮮学校の関係者は日本の法律の規定を遵守して一条校になるか、民族教育を優先するなら一条校並みの扱いを要求するような非常識な真似をやめればいいと思う。)


このような内容だったと判決文を直接閲覧した人からの情報を得た。また聞きなので判決文の公開を待ちたいが、この内容を読む限り裁判所はヘイトスピーチなる流行語の定義やそれが行われたかどうかには踏み込んでいない。

裁判所がヘイトスピーチを違法行為と断じたというような論調のマスコミを通じて得られた印象や、これを弾みにヘイトスピーチ禁止法を作るべきだと言う意見の人が多いと言うイメージとはずいぶん違ったのだが、読者諸氏はどのようにお感じになられただろうか。

個人的にはヘイトスピーチ禁止法の制定は人権擁護法の制定と同じく絶対反対である。このような思想信条にかかわる法律は権力者が恣意的に利用した場合、どのような言論弾圧にでも利用できるからだ。






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原子力発電の廃止

久しぶりにマジメな話でもしようか。

この時期の事だから憲法改正の話題が良いのかもしれないが、あれはあっさりしすぎているので、もうちょっと複雑化してから話題にしても良いかなって思う。それでも結局のところ96条は原則改正せず9条ほか問題のある部分だけを改正したほうが良いという結論に落ち着くとは思うが。

なぜなら、せっかく憲法を改正して独立国家として正常な状態を作り出したとしても、先ごろのように変な政党が政権を取ったりしたらあっさり元に戻されたりする可能性が高くなるからだ。強いて言えば96条については手を入れるにしても、現行憲法の規定があいまいな点だけをはっきりさせるだけで良いだろう。逆説的だが改正しなければならない案件が重要であるほど、改正手続きは難しい方がいいとも言える。

まぁ、【 96条を改正 → 9条ほかを改正 → 96条を元に戻す ] と言うアクロバットもアリだがな。(笑)


と言う事で今日も以前から何度か話題に出している原発の話だ。実は年度が変わってからこちら、共産党や社民党などの左翼政党の連中が選挙でもないのに原発に絡むネタでずいぶんにぎやかなのだ。京都は特に左巻きの強いお土地柄だからだろうが、どうも耳障りで仕方がない。

以前から話していることだが、俺自身は311ではっきりしたように今の人間に原発を管理する能力はないことが証明されてしまったので、基本的には原発をなくすことに賛成だ。ただ、共産党や社民党が、最も肝心なことを隠して耳当たりの良い言葉ばかりで原発廃止を訴えているのが気に入らないだけなのだ。

共産党は「直ちに原発ゼロ」、社民党は「2020年までに原発ゼロ」を宣伝している。まぁ、現状では事実上原発の運転はほぼ止まっているので原発ゼロ状態だが、あえてその上に言葉を重ねるのは「原発ゼロ=安全」⇒「それを推進する我が党は正義」と言うイメージ戦略で話しているからだろう。

しかし、原発は運転を止めていても安全ではない。それは福一の使用済み核燃料プールのトラブルを見ても良く判るよな。核燃料として「燃えて」いなくても、「余熱」に相当する崩壊熱とホットな放射線を出し続ける状態が続く。核燃料サイクルで原発を維持した場合ですら3年から5年はプールで冷やしてからでないと再処理に回せない。

念のため言っておくと、放射性物質の崩壊は水で冷やしたら止まると言うものではない。ただ、水で冷やしておかないと崩壊熱で施設をも破壊する現象さえもが発生しかねないから冷やしているだけなのだ。で、水自体が放射線を止める作用も持っている。特に中性子線には有効だ。

そうやってある程度崩壊が進んで放射線量が減ってから再処理に回すと言うわけだ。再処理するとプルトニウムや燃え残りのウランなどを集めることで再び燃料として使えるようになる。しかし原発をゼロにしてしまうということは再処理燃料の使い道がないから半減期24000年のプルトニウムはそのまま地面にでも埋めるしかなくなる。

また原子炉を廃炉にする際の手続きを見てもすぐにできないのは判るだろう。原子炉を廃炉にするには全工程で30〜40年かかる。最初に燃料をすべて抜き取ってから10年ほどは放射能的に「熱い」炉体を冷ますために放置するのだ。つまり、今すぐ止まっている原発から燃料を抜き取りはじめても解体を開始できるのは2025年ごろ、解体が完了するのは2040年代から2050年代になってしまう。なお、この「熱い」状態とは、核分裂に伴う放射線を浴び続けた結果、本来放射能を持たない設備が放射化しているだけで、燃料のようにそれ自体が崩壊してエネルギーを出すことはないから、自然に冷めるのを待てばいい。

しかし、これだけでも安全の面から見た「直ちに原発ゼロ」とか「2020年までに原発ゼロ」ってことは物理的にあり得ないことがわかる。もちろん「直ちに原発をなくすことを決意する」だけなら簡単だろうが。

さらに一番問題になるのはコストの話だ。もちろん原子炉自体は40年と言う寿命があるのでいずれは順番に解体してゆくことになるのだが、それを一気にやった場合のコストはどうするつもりなのか。建設中のものを含めて、現在日本には50基以上の原子炉がある。その中には福一やそれ以前に運転を終了した炉体は含まれていない。でもって、概ね5000億円〜6000億円/基の廃炉費用が必要になるわけだが、毎年2基ずつ廃炉していった場合の1兆円あまりは電力会社も予算に組み込み済みだろう。しかし全部を一斉に廃炉にした場合、当然30兆円ほどの費用が一気に発生する。

同時に代替発電所も一気に必要になるわけだ。現在でこそ旧式の発電所をやりくりして賄っているが、それにも限界がある。日本の原発の発電能力は4800万kWぐらいだが、原発と言う性質上いつも運転しているわけじゃないので、代替施設は半分くらいで間に合うとしよう。仮に火力発電でそれを賄った場合、必要な建設コストは発電機と建屋だけで約2.5兆円ぐらいだ。土地代は想像もつかない。まぁ、遠い未来に原発跡地で穴埋めをすることにして、金利負担の毎年数百億円程度でなんとかなると甘く見通してみよう。

単純に30年かけてってわけにはいかない。スタートダッシュで躓くと電気なしの生活が待っているから、お金は初年度に必要だろう。もちろん国からの補助がないと電力会社が持たない。でも、その金は税金なので最終的に国民に請求が来るわけだ。一人あたり30万円程度の負担ってことになるよな。もちろん昨日死んだ爺さんから明日生まれる赤ちゃんにまで公平に割り振られることになる。

もし国がバックアップして30年の均等割りにしたとしても、金利は発生する。住宅ローンにかんがみても年割にして毎年一人あたり2万円くらい。ちょっと痛いぞこれは。


ではどうすればいいのか。ぶっちゃけ現在の技術では妙手がないと言わざるを得ない。これは素人考えの想像に過ぎないが、一つ言ってみれば核燃料サイクルで生まれるMOX燃料の上手い使い方を考えるしかないのだろうと思う。

使用済み核燃料に含まれるプルトニウムは、最も多い質量数239の同位体の場合、半減期は24000年である。これは何万年と言う単位でそれを管理するか垂れ流して捨ててしまうかしかないと言う意味にもつながる。

一方、これを原子炉で燃やしてしまうと、出てくる放射性物質の半減期は30年ぐらいになる。このことは福一事故でずいぶん報道されたから記憶に新しいだろう。もちろん、MOX燃料の燃え残りにもプルトニウムが含まれ、それは再々処理が難しいと言う技術的なハードルがあるものの、それを超える方法も見つかりつつある。

そこで、だ。とりあえず可能な限り安全性を担保した上で、現行の原子炉はMOX燃料を最大限使用するプルサーマル方式で運転する。でもって、40年の寿命を迎えた炉から新たな原子炉と交代させる。そうすれば、40年後にはすべて新しい炉になると同時に、今年寿命を迎えた炉の置き換えは41年後に廃炉になる。そこから40年かけて解体すれば81年後には今最も古い原子炉の廃棄は完了する。一方、今年出来立ての原子炉は2回交代を行わせれば120年後にきれいになくなる勘定になる。平均で100年。

おそらくこの期間では日本に蓄えられたプルトニウムを燃やし尽くすことはできないだろうが、核兵器に転用できないMOX燃料なら輸出もできるだろうし、これから原発を輸出する際燃料もセットでお安く販売して減らしてゆくしかないのかもしれない。


最終的に22世紀の半ばから23世紀の初めごろには日本から原発を完全になくすことも不可能ではないだろう。そのぐらいのスパンで政治家は理想像を描いてほしい。目の前の美味しいところだけを振り回して国民の目を欺くのはもう勘弁だ。

原発ゼロは取るべき目標だが、実現は一世紀以上先。でもそれを実現するために今からレールを敷くのが仕事ってものだろう。今すぐ全部の原発を止めて云々は「危険性の政治利用」にすぎず、極めて無責任な発言と言わざるを得ない。

原発を安全になくしてゆくために、少なくともあと二世代は原発の新設を継続すると言うジレンマが発生するが、そうであっても廃棄物処理やさらなる安全性の確保、さらに安全な核技術の開発などに予算の面で保証を与え、一世紀後の日本に対しても責任を負うべきなのは論を待たない。政治家が実現すべき理想と方向性をはっきりと指し示し、官僚がそれに沿って無駄なく間違いなく実務を行うのが責務なのだ。






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他山の石

また3月11日がやってきた。東北から遠く離れた京都では実感が少ないが、神州を襲った天災地変の中でも、核エネルギーをも破壊力に加えてしまったかの震災は有史以来最悪の物であったのではないかと感じる。

かの地震は沖合も100キロ以上離れた海の底が震源であった。それだけに津波被害が大きかったのだが、阪神淡路のように都市直下を震源とする地震だったらどうなっただろう。

阪神淡路はM7.3、東日本はM9.0。単純にエネルギー比較なら350倍弱ってぐらいになるだろう・・・計算あってるかな? あるいはそのエネルギーが都市直下じゃなく原発直下で解放されたらどうなるのか、広島型原爆50万発分のエネルギーである。もしかすると原発の心配どころの騒ぎじゃなくなってるかもしれないがな。

三回忌に際して、今一度考える機会になればとも思う。

しかし、実は今日の話題はそっちじゃないのだ。黄砂がやってきて、連動してPM2.5の話題もにぎやかになってきた。

ちょっと気になるのは一部の報道機関などで「日本はPM2.5の環境基準の策定が遅かったから、日本国内にもPM2.5の原因がある。中国からやって来たものばかりではない。それが証拠に昨年も一昨年もPM2.5の濃度上昇が観測されている。」という論調の報道がなされている事だ。

結論から言うと、その内容は完全な誤りである。と言うか、中国を利するための意図的な虚偽報道である。中国共産党から利益を受けている報道機関だと断じても良いだろう。

まずはPM2.5についての基礎知識だ。PMってのは粒子状物質の略、2.5ってのは2.5μm(マイクロメートル:ミリメートルの1000分の1)のことである。2.5μmの粒々って言う意味じゃなくて、ちょうど2.5μmの粒子が半分、2.5μm未満の粒々が1/4以上、2.5μm超の粒々が1/4未満混じった大気汚染物質の事である。なお、国際的な環境基準にはもう少し粒の大きいPM10と言うのも対象物質になっている。PM2.5はほぼ全部が人工的な発生源によるものだと言えるようだが、PM10には黄砂など自然現象によるものも含まれる。

で、日本のPM2.5の環境基準策定が今世紀に入ってからと遅かったのは事実だ。しかし、アメリカですら人間の肺に届かないぐらい大きな粒子も含んだ全浮遊粒子を環境基準の数値として用いていた40年以上前に、日本は既にSPMと言う基準を設けて大気汚染の防止に力を入れていた。現在の数値に換算するとPM6.5ぐらいの値になるので、当時の欧米のみならず、現在でもまだPM10だけを微粒子による大気汚染の基準にしている韓国などより、40数年前の日本の環境基準ははるかに厳しかったと言える。

アメリカは20世紀の終りになってPM10とPM2.5を基準にする方式に改めたが、日本は既にかなり小さなPM6.5相当のSPMを基準にしていたので、特に改定する必要もなく21世紀に入ってから欧米に合わせるためPM2.5を導入したのである。だからPM2.5の数値が導入された際にも日本国内ではさほど問題になる発生源はなかったのだ。

しかし、既にその頃から中国の汚染物質が飛んで来ていて、黄砂情報などに紛れがちであったが、懸念する声は研究者を中心に上がり始めていた。ただ、折悪しくそのころに政権交代があったのが原因かどうかは判らないが、国から発表されることはなかった。

と言う事で、日本を汚染しているPM2.5については100%に近い数字で中国に原因を求めてもさほど誤りとは言えないだろう。もちろん「他山石可以攻玉」として日本の環境をさらに良くすることに反対するものではないが、「中国ばかりが原因じゃない」と言う論調にそう言った誠意は感じられない。

まぁ、中国河北省の省都石家荘(北京のお隣)の平均的PM2.5汚染濃度は「混雑した喫煙室」程度だそうだから、お役所言葉で言えば「直ちに健康に影響はない」と思う。タバコの煙はPM2.5に該当する部分が多い。ただし、365日24時間その中にいたら健康を害するであろうことは想像に難くないがな。(笑)

中国のPM2.5汚染について興味のある人はこちらのリンクでリアルタイム情報を見ることができる。但し「中国の観測機関」による数値なので正確さは保証できない。特にテレビニュースなどでも報道されたように中国の公式機関の観測機器は500μg/m3までしか測定できないので、400超の数値はかなり少なめに表示されていたり、500を超える数値はイナカ町で適当にでっちあげている可能性があるからその辺りは勘定に入れておいてくれ。

また、地政学的な問題から中国での大気汚染は日本の環境に直結する。さすがに風向きまでは中国に責任を求められない。だから今こそ日本の資金と技術を中国の環境改善に投入すべきという考え方が開陳されるケースも見受けられるが、それは誤っている。既に一兆円単位での環境改善資金を投入しているのになんらの改善もなく、その資金がどこに消えたのかもはっきりしないからだ。おそらくゴビ砂漠にでも吸い込まれたのだろうが、ゴビ砂漠の端から中南海(中国の永田町)までは250キロもないので、そっちに吸い込まれた可能性もあるな。w

データを見ると、俺が良く出かけていた威海市でも350μg/m3(日本の環境基準の10倍)を超える事が結構あるみたいだが、現地の友人は環境汚染があることすら知らなかった。むしろリゾート地でもある威海市は空気が良いと確信している節すら見受けられる。

中国に何かを期待するのは無理っぽいので、我々は気象情報などを参考に自衛する、それしかないのがちょっと物悲しい。






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スポーツマンシップ

 大阪市立桜宮高校の体罰事件から体育系学科の入試が中止になった件だ。

 入試が中止になったのは体育系学科だという事だな。スポーツにおいてルールに違反すればペナルティが課される。それはイエローカード一枚からスポーツ界永久追放まで様々な形がある。でもって、公立学校においては体罰を行ってはいけないと言う厳然たるルールもあるのは周知の事実だ。

 件の顧問の教員はそのルールに違反したのだからペナルティが課されるのは当然だ。しかも間接的とは言え生徒に死をもたらしたのだから、最低でも諭旨解雇程度のペナルティはないといけない。普通の教員に比べて異常なまでに長い期間転勤していないのだから、顧問を外すとか別の学校に転勤させるだけではペナルティにならないだろう。

 学校側にも管理監督の責任がある。いわばチームとしての責任だな。チームに対するペナルティにもいろんな形があるが、今回の当該学科の入試中止ってのはきわめて軽い処分と言える。

 だから体罰の善悪や生徒への愛情の有無、これまでの実績などは一切勘案する必要はない。

 聞けば部活動は体育系学科・普通科の区別はないらしい。だから本来ならこの学校全体で新入生の受け入れ停止を行うぐらいが適当なのだが、そこはまぁ大人の事情で形式的な処分にとどめたのは明白だな。運動部の主力が体育系学科の生徒であったことも理由かもしれない。

 だからこんなことについて生徒や保護者が文句を言う方がおかしい。むしろ形式的な処分にとどめてくれたことに感謝するのが筋と言うもんだ。

 そもそも試合中の判定に不満があってもルールと審判、あるいは競技管理団体の判定に従い、悔しくてもそれを次につなげる努力の糧にするのがスポーツマンじゃないだろうか。

 マスコミなどではOBからも批判の声が上がっているが、彼らは3年間何を学んだのだろう。この学校で自分の欲望のためならルールを捻じ曲げても良いと言う教育を受けたのだろうか。

 同様にこういう事でマスコミに登場したりネットで文句を垂れている生徒に対しては、全員それなりの処分を行うのが体育系を売りにしている高校のあるべき姿だろう。明らかにスポーツマンシップに反しているからな。

 こんな生徒や保護者たちのわがまま勝手を放置していてはいけない。もしルールに例外を作ったらスポーツが成り立つのかどうかを考えれば答えは自明だ。

 これまでの実績がある選手だから反則してもペナルティは軽く。来年入団する選手がかわいそうだから所属チームへは反則に関するお咎めはなし。

 そんなのはスポーツとは言わない。


 学校そのものをいきなり廃校にするなら在校生や次の受験生にかわいそうなところも多少はあるが、体育系学科の定員を全部普通科に割り当てて入試を行うんだから、在校生はもちろん受験生にも何らの不都合もない。

 体育系に行きたかった子も普通科で受験して入学し、次年次以降体育系学科の入試が再開されたら転科を希望すればいいだけだ。それだけの可能性を残してもらっていて文句を言う受験生の親や本人は、普通科での受験では合格の見込みがなくなったから怒ってるのだろうか。

 それならその子は気の毒だが、こんな事件がなくても普通の受験では大阪市立桜宮高校に合格する実力がなかったと言うだけである。

 世は実力社会、しかもスポーツの世界ではより一層それが厳しいだろう。今後体育系学科が復活するかどうかは未知数だが、安全安心安定を求めるのであれば、そもそも体育系学科を選択しない方が良いんじゃないか。おそらく普通科の方がはるかに安定度は高いと思う。


 いずれにせよ世間は喧しいが、そんなに大騒ぎするほどのことはない。教育委員会の決定通り次の入試は中止でいいし、教員の総入れ替えなどは橋下市長の意向の通りで正しい。大騒ぎは橋下市長を叩きたいだけのマスコミが作ったブームであることは子供が見ても判るだろう。

 まぁ、橋下市長は頭が良いから、世間には前提となる考え方が理解できない人も多いことを忘れているってのも騒ぎの原因かもしれないな。彼は市長職にある以上もっと誰にでも理解できるように前提を噛んで含めて話さないといけない。

 物事について相手に理解させるのは主張する側の責任、納得するかしないかは聞く側の責任だ。生徒や保護者に納得させる責任は橋下市長や教育委員会にはないが、前提条件を理解させる責任はあるだろう。

 一応意見を書いている以上俺も論点を整理しておこう。

 まず、教員がペナルティを受ける理由は「ルールに繰り返し反したから」である。学校がペナルティを受ける理由は「教員がルールに反することを看過・黙認・容認」したからである。万が一「積極的に容認」や「学校の方針としての体罰」が一回でもあったのなら学校へのペナルティは廃校しかなくなる。

 副次的に通常の転勤の時期を大きく逸脱して教員が長期間同一校に在籍する異常事態が露見したのでそれは修正されなければならないだろう。件の教員は、定期異動の時期を待たず、一旦教育委員会付に転勤させて、ゆっくり事情聴取と処分を行えばいい。

 ペナルティの内容は教育委員会と市長がルール違反によって発生した事象や、今回の件で明るみになった過去のルール違反についても勘案して決定し、それに基づいて行われればいい、ってことになるかな。


 まぁ、体罰を完全な悪とするのには俺もためらいがある。むしろある程度の体罰は普段の授業ででも有効なんじゃないかとも思える。しかし、今回の問題はそういう次元の話じゃないのだ。

 仮に体罰を容認したとしてもこの教員と学校は処罰されなければならないと言う事だ。処罰は「体罰」に対してではなく「ルール違反」に対して行われるべきものだからである。






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ステマとかヤラセとか

最近話題の、ペニーオークション詐欺の片棒を担いだのではいないかと言われる芸能人ブログ。様々な対応や居直りや怒りの声が渦を巻いているようだ。

よく知らないと言う人は、このリンクで検索してみてくれ。

インターネット、特に無料ブログなんかを利用していると自分のブログやサイトに勝手に広告が入る。もちろんその管理責任はシステム側にあるのだし、このブログのように自分で掲載している広告の場合でも、内容が選べないGoogleなんかの場合もシステム側に管理責任があるから大丈夫だろう。

それでも、ちょっと不安になることがある。

Google広告の場合、自分で広告をクリックすることは禁じられているのでどんな会社の広告なのか、内容を確認することはまずない。ところが、先日読者の方から「変な広告が出てる」とメールを頂いた。

Googleの最適化広告のシステムのせいで、そもそも同じ広告が俺のところに表示されないので、教えて頂いたURLへ直接行ってみた。

う〜ん・・・Googleが審査しているだろうから違法ではないんだろうが、かなりグレーなイメージの広告だった。

タトゥーペイントはまぁいいとして、

往診車(点滴処置室可能改造済)でのデリバリーや待合せで、簡単な問診表記入(匿名可能)でその場で処方なのだそうだ。

何をと言うと・・・

ヒアルロン酸やプラセンタなどの注射、ピアシングの実施ってことのようだ。さらには最初だけスカイプで医師による問診を受ければ、あとは定期的にバイアグラ、アフターピル、性病治療薬などの通販購入ができるらしい。

施術を受ける場合の問診票ですら匿名が可能なのだから、電話問診なんてどこまでいい加減なのかわかりやしない。

もし医療事故(医療と呼んでいいのかも疑問だが)が起こった場合、ウチのブログで見たって言われたらヤだよな。

まぁ、うちの場合広告である旨の表示はしてあるから、最低限のルールは守っていると言えるだろう。それでもなんとなく変な広告は出てくれるなよって思ってしまう。

リスクってのはどこにでも転がってるもんなんだねぇ。






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