春日大社 その他の神蹟と自然

最終日は主に樹木を中心とした自然や、これまでに紹介しきれなかった神蹟をいくつか紹介して締めくくろう。

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ご神木・影向之松(ようごうのまつ)

伝説によると、春日の神様がこの切り株のところに降臨され萬歳楽(まんざいらく・有名な慶賀の舞曲)を舞われたそうだ。後ろの松は後継者なのだろう。

現在能舞台の鏡板に描かれている松は、この影向の松だということである。




無患子(むくろじ)の大木

駒札には樹高15.5m、幹周4.58m(地上1.3m地点)とある。無患子は神社によく植えられている木であるが、このように孟宗竹に貫通されているものは見たことがない。

ヲタネタで恐縮だが、夏目友人帳第1期第10話「アサギの琴」で、蒼琴(架空の楽器、月琴と琵琶を混ぜたような形をしていた。)を造る際に「頭を出したばかりの筍に貫かれた切株」で琴の胴を作るという話があった。この木を見てふとそんなのを思い出してみたり。(笑)





林檎の木(りんごのき:手前側)

幣殿奥が林檎の庭と呼ばれるようになった由来の木。元は第80代高倉天皇のご献木だったらしいが、現在のものは昭和に植えられたものとのこと。

社頭の大杉(しゃとうのおおすぎ:奥側)

樹高25m、幹周8.7m(目通り高さ)の大木。14世紀初めに描かれた春日権現験記にすでにその姿があることから樹齢は800年以上と推定されている。




銘木・砂ずりの藤(すなずりのふじ)

なんか塩コショウで焼いて酒のアテにしたくなるような変わった名前だが、実は花穂が非常に長く育って、地面に届きそうになるところからこの名前がある。大杉と同じく春日権現験記に記載があるところから樹齢は800年以上なのだろう。

今年2014年はここ10年以上で最も長い花が付き、その花穂の長さは173cmだったと記されていた。




天然記念物・春日大社境内竹柏樹林

ほとんどが梛(ナギ:竹柏)の林だ。原生林が多い奈良の神社であるが、ここは本当の意味での天然林ではなく8世紀奈良時代に献木されたものが育ち広がったとされている。ま、1300年も経っていれば原生林扱いしてもいいかも知れないが。

なお、天然記念物に指定されたのは大正12年、今から91年も前の話だ。




若宮紅梅(わかみやのこうばい)

同じ奈良県の桜井市初瀬町にある長谷寺から、有名な梅の木の穂木を接ぎ木したものを16世紀に献木されたものだそうだ。

穂木の親木は9世紀に

人はいさ 心も知らず ふるさとは
     花ぞ昔の 香ににほひける


と紀貫之によって歌われたモデルの木である。




神蹟・護摩壇(ごまだん)

弘法大師が護摩を焚いて降雨祈願をされた場所という説明があった。




神蹟・龍王珠石(りゅうおうじゅせき)

善女龍王がその尾石を納めた場所と言うことだが、これだけでは何のことかよくわからない。尾石は龍王の神秘的な力を示す宝珠のようである。

善女龍王と言う小さな龍王は、この地で弘法大師の願いを聞き入れて雨を降らせた後、現在の宇陀市にある室生龍穴神社に移ったそうだ。その折にこの地に神威を残すために行った行為だろう。




若宮大楠
(わかみやのおおくす)


伝説によると神功皇后のお手植えになる木だということだから、樹齢は1800年以上ってことになるんだろうか。なんでも三本の苗木が合着して大木となったそうだ。

江戸時代享保の大雪で折れて現在のような背の低い状態(それでも24mあるが)になったとのこと。目通り高さの幹周も11m以上あるらしい。




これは名もない参道沿いの木だが、吉兆とされる根上がり状態になっていたので撮影してきた。




水谷神社の寄生木(みずやじんじゃのやどりぎ)

ちょっとわかりにくいが、杉の木を伊吹柏槇の木が取り巻いている状態なのだ。あるいは伊吹柏槇の木の洞に杉の木が生えているというべきなのか。

変わった関係の木なので古くから有名になっていると駒札の説明にあった。。



でもってここからはオマケ



このお菓子・・・一般的にはどら焼きなのだが、関西では三笠・三笠饅頭・三笠焼きなどと呼ぶことが多い。

もちろん、この春日大社の神奈備である御蓋(三笠)山に由来する名前なのである。笠を伏せたようななだらかな山容からのネーミングである。




まぁ、関東や他の地方でも、有名な文明堂が三笠山の商品名でどら焼きを売っているから知っている人も多いだろうな。






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春日大社 文化財

春日大社は権力者との繋がりも深かったため、見事な建造物や文化財が奉納され、それが現代まで大切に保存されている。それを見るだけでもなかなかに楽しいものだ。それが公的機関の指定を受けているかどうかにかかわらず、今日は俺が紹介したいと思ったものをいくつか見てもらおう。

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表参道にある石灯籠。それこそ無数にあるが、現在ではこのように二基ずつセットにして置かれている。おそらく当初は参道を挟んで向かい合わせだったのだろうが、現在の参道は非常に広いためこのような形に置き直されたのだろうと思う。一の鳥居から二の鳥居までの間は整地された未舗装路ながら、多分10メートルはあろうという道幅なのだ。

そして大小様々の石灯籠があるが、おおむねこの二種類の形式のどちらかに当てはまるようだった。上が神前灯籠と呼ばれる神社共通の汎用型、下は春日灯籠と呼ばれるこの春日大社向けに作られ始めた石灯籠だということだ。




これは大宮の回廊。春日大社は神奈備である御蓋山の中腹に建っているが、神奈備とはすなわちご神体である山のことなので、神社を建造するためであっても山を削るのは禁忌に当たる。そのため、このように回廊も斜面に沿って建てられているのだそうだ。




しかし、斜面に回廊を設けることになると、平面に建てるのとは異なり各部にねじれや傾きの構造が必要になる。この斗組の部分を見ても棟木や梁の断面に工夫がされているのが見えるだろう。




回廊には無数の吊灯籠が奉じられている。だいたい銅の地金に金鍍金で、最初は金色をしているが次第に緑青を吹いてこのような色になる。

神職の方が指し示しておられるこれは西暦1600年ごろの奉納で、もっとも古い部類に入るそうだ。




左上に金が少し残っているが、注目してほしいのは銘文である。読めるだろうか。

御立願成就如意處也
慶長五年庚子極月吉日
越後国直江山城守息女敬白


神様にお願いしたことが叶いました。
西暦1600年12月吉日
直江兼続の娘


あの「愛」の前立で知られる戦国武将が娘に命じて奉納したものである。ただ、ちょっと疑問なのは1600年12月と言えば直江兼続の主君、上杉景勝が出羽の合戦で敗退せざるを得なくなった時である。なぜにこのような奉納が行われたのだろうか。

もしかすると敗戦の折、前田慶次郎利益に諌められて自害を思いとどまり、見事な撤退戦を行えたことに感謝したのであろうか。いろいろ想像するとそれはそれで楽しいかもしれない。




三つ葉葵の御紋が入ったこれは桂昌院さまの奉納になる灯籠で、金属製の物では春日大社最大の物と言われる。五代将軍綱吉公の母君、玉の輿のお玉さんである。




捻廊(ねじろう)

向かって左側の内侍殿から内侍たちがご本殿に昇殿するための階段。もともとは登廊というストレートな階段だったものを、女性用の階段なので着物の裾捌きをしやすくするために江戸時代の名工、左甚五郎がこのように斜めの階段に改造したそうだ。




直会殿(なおらいでん)。

大きな神社であればどこの神社にもたいてい存在する直会(神事の最後に神饌のお下がりを参加者一同で飲食する儀式)を行うための建物である。この建物が特徴的なのは、斜めに育ってしまった伊吹柏槇の木を切らずに残すため、屋根を貫通させるように建てられていることだろう。

この辺りにも山を侵す禁忌を避けているのがよくわかる。




御本殿第二殿と第三殿の裏側。
屋根の美しさが少しは見えるだろうか。




二の鳥居の手前にある車舎(くるまやどり)

いわゆる賓客用の牛車の車庫である。幾度も改修を重ねられてはいるものの、簡素な構造なので9世紀の建造物が今でも残されているようだ。




これは一般参拝客用の参拝所になっている幣殿を御本殿側から見たところ。前の白砂は林檎の庭と呼ばれる、舞楽や神楽の奉納が行われる場所である。




大宮回廊、外側

中央の緑色の部分が連子窓(れんじまど)になっていて、内外の回廊がたがいに見える。




大宮回廊・内側

上の外側の写真と見比べてもらうとわかるが、どちらも天井に棟が通っている。では外から見るとM字型になっているのかと言うとそうでもない。上から大棟をかぶせてあるので、外から見ると連子窓の真上に棟が通っているように見えるのである。

この構造は12世紀に造られたものだそうだが、希少なので重文指定されているらしい。




回廊内側には吊灯籠がたくさんあるので通れないのかと言うとそうでもなく、このように柱の外側にもちゃんと通路部分があるのだ。金色に見えるのは最近奉納された灯籠で、まだ金鍍金の色が美しい。




回廊西側に三つあるうちの一番南側、慶賀門である。石灯籠は春日型のバリエーションで、ちょっと形状が異なっているのも面白い。




これは若宮殿正面の細殿と神楽殿




細殿内部




神楽殿内部

若宮での祭事の折、ここで神楽などが奉納されるそうだ。




著到殿(ちゃくとうでん)

貴人や勅使などが参拝に訪れた際、ここで着衣を参拝のための物に整えるための建物である。

さて、文化財は以上だが、明日は樹木やその他の神襀を紹介して締めくくりにしたい。奈良の神社は京都の神社に比べると建築物において一歩譲るところがあるが、逆に神社の本質である原生林などが確実に保存されていて、神の御威光を感じずにはいられないことが多い。そのあたりを紹介できればいいな。






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今日の七十二候 9月18日 白露末候:玄鳥去
(げんちょうこ / つばめさる)




            

春日大社 末社群

春日大社の公式の案内によると、春日大社には61社の摂末社があると言う。既に入口の祓戸神社と赤乳・白乳神社、そして若宮十五社の18社を紹介したので残りは43社。さらに御本殿と同じ瑞垣の中にあって直接参拝できない神社がある。

お名前だけ紹介すると、佐軍神社(さぐんじんじゃ)・杉本神社(すぎもとじんじゃ)・海本神社(かいのもとじんじゃ)・栗柄神社(くりからじんじゃ)・八雷神社(はちらいじんじゃ)・飛来天神社(ひらいてんじんじゃ)・手力雄神社(たぢからおじんじゃ)の7社だ。

従って、あと36社あるはずなのだが、歩き回ってお参りできた18社を紹介する。残り18社は境外摂末社なのか、それとも御社殿が分かりにくい状態なのか、いずれにせよ見つけることはできなかった。

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まずは一の鳥居をくぐってほどなく左手に見えてくる末社・壺神神社(つぼかみじんじゃ)

御由緒書きなどはないが、一般に壺神さまと言うと素盞嗚尊さまが八岐大蛇を退治する際に使った酒の入った壺を神格化したものではないかと思われる。

実際、そういう謂れの壺神様を祭る神社は出雲地方を中心に、中国・九州にいくつかあるらしい。




こちらは大宮の中にある大杉の根元に祀られる末社・岩本神社(いわもとじんじゃ)。ご祭神様は住吉三神である表筒男命(うわつつおのみこと)さま、中筒男命(なかつつおのみこと)さま、底筒男命(そこつつおのみこと)さまだ。

一般に交通安全の神様としての御神徳を謳われる住吉さまだが、ここでは和歌の神様・お祓いの神様とされていた。




末社・風宮神社(かぜのみやじんじゃ)

ご祭神様は級長津彦命(しなつひこのみこと)さま級長津姫命(しなつひめのみこと)さま。いずれも風の神様である。




末社・多賀神社(たがじんじゃ)。社名から察するに滋賀県の多賀大社からの勧請だと思われるが、この末社のご祭神様はなぜか男神様の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)さまだけである。

長寿の御神徳が謳われているため、周囲には延命長寿を願う幟幡の奉納がたくさん見られる。




末社・椿本神社(つばきもとじんじゃ)

ご祭神様は角振大神(つのふりのおおかみ)さま。かつて安芸の国にあった角振神社のご祭神様で角振隼総別命(つのふりはやぶさわけのみこと)さまのことであると思われる。

ご由緒によると、大宮のご祭神様の眷属神にして天魔退散・攘災の神であるとされていた。




ここから四社も大宮の中だが、いわゆる前庭部分にある末社だ。まずは末社・青榊神社(あおさかきじんじゃ)。ご祭神様は青和幣(あおにぎて)さま




そして対になる末社・辛榊神社(からさかきじんじゃ)。ご祭神様は白和幣(しろにぎて)さま

この二つのご祭神様は天岩戸隠れの折、天太玉命(あめのふとだまのみこと)さまが岩戸の前に天香具山の榊を植え、その一番下に剣のシンボルとして青と白の和幣を掛けたことに由来する社名だろう。

ご由緒書きには訴訟ごとで勝利する御神徳が謳われているが、これは素盞嗚尊さまを断罪した折に和幣を用いたことに由来するのかとも思う。




末社・穴栗神社(あなぐりじんじゃ)。御祭神さまは穴次大神(あなつぎおおかみ)さま




そして末社・井栗神社(いぐりじんじゃ)。ご祭神様は高御産霊大神(たかみむすびのおおかみ)さまだ。この神様は造化の三神(ぞうかのさんじん)さまの一柱で、日本の原初神であらせられる。

ところで先の3社と合わせての4社であるが、おそらく春日大社から南に3kmばかりの場所にある穴栗神社からの勧請ではないかと思う。ただ、勧請元においては穴栗神社のご祭神様が高御産霊大神さまで伊栗神社(こちらでは井栗)のご祭神様は天太玉命さまとなっている。どこでどう入れ替わったのかはわからないが、勧請元のほうにも青榊社・辛榊社があるので、消去法的に対応すると穴次大神さまとは天太玉命さまのことということになるのかもしれない。




摂社・榎本神社(えのもとじんじゃ)。いわゆる地主神社で猿田彦尊(さるたひこのみこと)さまをお祀りする神社である。地主神さまによくあるパターンだが、現在の神さまが御鎮座になった後、一旦この地を離れられていたのを、再び地主神さまとして神社にお戻りいただいたのだそうだ。

御社殿は本宮回廊の外側、南回廊の西端に鎮座されている。




末社・船戸神社(ふなどじんじゃ)。御祭神さまは衝立船戸神(つきたてふなとのかみ)さまである。久那土の神、すなわち道祖神さまとされることが多いようで、ここでも交通安全の神さまとして車のお祓いをされている。




末社・総宮神社(そうぐうじんじゃ)

御祭神さまは総宮大神(そうぐうおおかみ)さまで、お名前の通り数多くの神さまの御神徳を併せ持っておられる。

御由緒書きに従うと
天照大神さま
八幡大神さま(誉田別命さま、比売神さま、神功皇后)
春日大神さま(武甕槌命さま、経津主命さま、天児屋根命さま、比売神さま)
白山大神さま(石川県白山比弯声劼竜突姫命さま)
三光宮さま(宮城県青麻神社の天照大神さま、月読神さま、天之御中主神さま)
二上権現さま(富山県射水神社の瓊瓊杵尊さま)
窪弁財天さま(奈良県興福寺の弁財天さま)
北向荒神さま(滋賀県荒神山神社の火産霊神さま、奥津日子神さま、奥津比売神さま)
睡神社さま(倉稲魂命さま)
である。(カッコ内は管狸人による推定)

住居の守り神とされていて住居を与えてくださり、居宅安全・家内和合をお守りくださるそうだ。




末社・一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)

以前紹介した葛城一言主神社からの勧請なので、御祭神さまや御神徳はそちらを参照してくれ




末社・水谷神社(みずやじんじゃ)

御祭神さまは素戔嗚尊(すさのおのみこと)さま大己貴命(おおなむちのみこと)さま奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)さまである。

御神徳として疫病退散が謳われているが、素戔嗚尊さまの疫神様としての側面と、その時のパートナーの組み合わせなのできわめて自然な感じだと思う。




末社・聖明神社(せいめいじんじゃ)

御祭神さまは聖明神(せいめいのかみ)さま。各地にこのお名前でお祭りされる神さまがおられるが、そのご本体は天照大神さまであったり金山彦命さまであったり、さらに様々な神さまがおられるのではっきりしない。

御由緒書きによると陰陽師の信仰が篤かったそうだから、読み替えで安倍晴明さまなのかもしれないと思ったりもした。春日大社の前の道をまっすぐ南に20km余りの地点には安倍氏ゆかりの土地もあるし。




末社・愛宕神社(あたごじんじゃ)

御祭神さまは火産霊神(ほむすびのかみ)さま、すなわち神産みの段において伊弉冉尊さまの死因となったやけどの原因、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)さまである。

京都の愛宕神社若宮から御祭神さまを勧請したのだろう。




末社・天神社(てんしんしゃ)

御祭神さまは天常立尊(あめのとこたちのみこと)さま。御由緒書きには京都北野天神を勧請とあるが、これは何かの間違いだろう。

天常立尊さまは原初神第二ステージに当たる別天津神の最後の神さまであり、北野天満宮の御祭神である菅原道真公とはかけ離れた存在だからだ。天神様という名前からの混同と思われる。



末社・浮雲神社(うきぐもじんじゃ)

御祭神さまは御本殿第三殿の天児屋根命(あめのこやねのみこと)さま。御由緒書きによると御蓋山頂上の浮雲峰にある本宮神社と同体とも考えられるそうだ。雨乞祈願が行われた記録もあるらしい。

さて、末社の紹介は以上。明日は建造物や文化財について紹介したいと思う。






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春日大社 若宮十五社巡り

さて、春日大社。今日は昨日の大宮(本宮)に続いて若宮社を中心とする境内社を紹介しよう。これは若宮十五社巡りと称して巡拝するのが習わしになっているようだ。

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こちらが十五社巡り第一納札社・若宮(わかみや)だが、ご本殿と同じく写真撮影が禁じられているので、ぎりぎり覗えるレベルでの撮影にとどまってしまう。ちょっと残念だ。社殿は一棟だけだが、ご本殿と同じ春日造の壮麗なご社殿である。

ご祭神さまはご本殿第三殿のご祭神さま、天児屋根命(あめのこやねのみこと)さまの御子神様である天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)さまだ。智恵と生命の神様として崇められている。




続いて十五社巡り第二納札社・一童社(いちどうしゃ)。

同じ奈良の大神神社のご配神さまである少彦名命(すくなひこなのみことさまを勧請した、子供の成長を守って下さる神様だそうだ。




十五社巡り第三納札社は兵主神社(ひょうすじんじゃ)

勇気を授けてくださる大貴己命(おおなむちのみこと)さまがご祭神さまである。




第四は南宮神社(なんぐうじんじゃ)

記紀では鉱山の神様とされているが、京都の御金神社のご祭神さまと同様、財宝の神様としてのご神徳を謳われている金山彦神(かなやまひこのかみ)さまをご祭神さまとしている。




第五番・廣瀬神社
第六番・葛城神社は、ご社殿修造のため遷座されていてお留守のようだった。

両社の間にある社号標は赤乳白乳両社遥拝所(あかちちしろちちりょうしゃようはいじょ)である。これは十五社巡りには含まれないが、この社号標の東数キロの地点にある赤乳神社と白乳神社を遥拝するためのものだ。

両社は婦人病治癒のご神徳があり、赤乳神社は腰から下、白乳神社は腰から上にご利益があるとか。




こちらがご遷座先。

廣瀬神社のご祭神さまは衣食住の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さま。神社によるご祭神さまの説明書きには「おいなり様」と書かれていた。一番わかりやすい紹介だと思う。

葛城神社は以前奈良の神社紹介でエントリにした葛城一言主神社からの勧請で、夢をかなえてくださる神様として紹介されている。ご祭神さまは一言主大神(ひとことぬしおおかみ)さまだ。




第七番三十八所神社(さんじゅうはっしょじんじゃ)

大きな数のお名前だが、ご祭神さまは三柱。

神産みの親神様である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)さま伊弉冉尊(いざなみのみこと)さま。そして神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと:初代神武天皇)さまである。




ご社殿におおきなカラスがいた。ご祭神さまの関係から三本足を期待したが、ちょっと大柄だが普通のハシブトガラスだった。ビミョーに残念。(笑)




第八番・佐良気神社(さらけじんじゃ)

福運の神様として蛭子神(ひるこのかみ)さまをお祀りしている。




若宮十五社巡りの第九納札社・春日明神遥拝所

社殿は存在せず、九つの石で構成された居石(すえいし)を信仰対象とし、ひらめきの神様としてのご神徳が謳われている。

鎌倉時代には、南都六宗の一つ華厳宗の高僧、明恵上人がここから春日大社のご本殿を遥拝したという記録があるそうだ。





第十番は宗像神社(むなかたじんじゃ)

宗像三女神さま全員ではなく、そのうちの一柱、弁財天様と習合された市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)さまを学問・芸能の神様としてお祀りしている。




第十一番・紀伊神社(きいじんじゃ)

この神社が十五社巡りの一番奥になる。ここからは若宮の方へ戻る方向で巡拝してゆくのだ。

新たな生気を頂く神様としてお祀りされているのは五十猛命(いそたけるのみこと)さま大屋津姫命(おおやつひめのみこと)さま抓津姫命(つまつひめのみこと)さまである。素戔嗚尊さまの御子神様八柱のうちの三柱さまだ。




十二番・伊勢神宮遥拝所

これは夫婦岩を模したものだろうか。




十三番も遥拝所だ。元春日・枚岡神社遥拝所(もとかすが・ひらおかじんじゃようはいじょ)

大阪府東大阪市にある枚岡神社はその創建が神武天皇即位の三年前と社伝に記される全国有数の古い神社だが、春日大社はこの神社からご祭神さまを勧請して創建された神社なのだ。




道すがらこんな標を見てどきっとしたが、よく見ると狸じゃなくて裡(うち)だったので一安心。(笑)。

禁裏のことを禁裡とも書くそうで、後醍醐天皇がこの地に避難された折に鏡を奉安されたことからこの名があるそうだ。




それがこの十四番・金龍神社(きんりゅうじんじゃ)である。

ご祭神さまは金龍大神さまとあるが、記紀にあるような具体的なご名義は不明である。しかしながら金運授けのご神徳で大変な信仰を集めているようだ。


そうそう、ご本殿や若宮さまで写せなかった春日造のご社殿の構造だが、この神社のものを見てもらうとよくわかるだろう。

まず切妻屋根で、屋根のラインがカーブしている。そして妻入(棟に直交する側が正面になる)で、そちら側の妻にだけ屋根と一体化した庇が取り付けられている。

さらに、もともと床を高く張るのが神社建築のお約束だが、ほかの様式に比べて春日造のものは特に床が高い。

そして大きなご社殿になると正面に階が設けられ、正面扉には御簾が掛けられるのだ。この神社では屋根は銅葺だが、ご本殿や若宮さまは桧皮葺で、屋根には千木と鰹木が置かれる。

一方、他の末社に見られるような見世棚造に簡略化したもの(厳密に言えばこの社殿も階がないので見世棚といえなくもない。)では、屋根と千木が一体化していることが多く鰹木や御簾は省略されることが多い。





昨日のエントリで中国人が多いという話をしたが、絵馬にもその傾向が見られる。中国語が多く、英語やそのほかの横文字系(何語かわからなかった)、そしてハングルのものも少し。

工作順利・財源滾滾来 銭包非常飽!!

ってのは、

仕事が順調に行って、余分なお金で財布がパンパンになりますように!!

っていう意味だ。正直でよろしい。(笑)


でも、日本人としちゃ負けてられないよな・・・




またやらかしてきてしまった。^^;




そして最後は十五番・夫婦大黒社(めおとだいこくしゃ)

ご祭神さまは大国主命(おおくにぬしのみこと)さまとその正妻である須勢理姫命(すせりひめのみこと)さまだ。

ご神徳はもちろん夫婦円満、家内安全。そして老後の守護も加わっている。


さて、十五社めぐりはこれで完了。明日はこのほかにも数多く存在する末社群を紹介することにしよう。






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春日大社 大宮参拝

久しぶりに奈良の神社だ。二十二社のうち上七社の一、春日大社(かすがたいしゃ)を紹介しよう。

二十二社とは、よく紹介している式内社の基準となった延喜式神名帳の制定に遅れること約一世紀、国家の重大事に朝廷から特別の奉幣を受ける神社として定められた神社のことである。本来ならばさまざまなご神威に対して全国にあるさまざまな神社の総本社に祈願するべきなのだが、いかんせん交通網の存在しなかった時代のことであるから朝廷から物理的距離が近い畿内の神社が選ばれている。

二十二社はさらに上七社、中七社、下八社に分類され、それが千年以上続いているので現代においても格式が高い神社という風に評価されているといえよう。その上七社のうち五社は京都府下にあり、すでに全部参拝取材と紹介を終えている。

石清水八幡宮
賀茂御祖神社賀茂別雷神社
(あわせて賀茂社)
松尾大社
平野神社
伏見稲荷大社


だ。

そして当然のごとく、どの分類においても最も社格の高い伊勢神宮は畿内の神社ではないが上七社の筆頭に数えられている。まだ紹介はしていないがいずれお伊勢さんにも参拝して紹介はしたいと思っている。しかしながら、あまりにも広大な神社なので何泊かして参拝取材、そして少なくとも10回以上の分割エントリになるだろうから、当分は無理だろうな。

稲荷山のエントリで甲子園球場22.5個分の神域参拝は大変だと書いたが、お伊勢さんは甲子園球場1500個分だし。^^;

ということで、今紹介できる上七社、春日大社に参拝取材に行ってきた。それでも結構広くて写真の数も多くなったから数回に分けて紹介しよう。道順に紹介すると散漫になりそうなので、テーマごとに分類してエントリにしたい。

今日はまず大宮(本宮)の参拝から。

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国道169号線、一の鳥居前T字交差点を東に望むと目の前に一の鳥居がある。大きな神社の割に比較的コンパクトな鳥居だ。しかしながら一般的な明神鳥居ではなく、春日鳥居と呼ばれる特異な形状なのはぱっと見にはわかりにくい。

実は明神鳥居と大きく異なるのは島木(上の横棒の下のほう)の部分なのだ。簡素なものを除いて、一般に明神鳥居の系統の島木は両サイドが斜めに切り落とされているのだが春日鳥居は垂直に切られているのである。

ま、微々たる差のようだが、トリビアとして知っておいても損はないかも。




一の鳥居から東へ約1.2km、神鹿がゆったり過ごしている参道を進むと二の鳥居が。ここからが神社の中心エリアになる。






狛犬さん。台座には春日大社の神紋「下り藤」が刻まれている。




社号標。もちろん近年のものだがなかなかにいい感じの社号標だ。鹿は附属品ではなくたまたまいただけである。(笑)




伏鹿手水所(ふせしかのてみずしょ)

二の鳥居をくぐるとすぐにある。写真の左端に「ご参拝の方々へ」と書かれた駒札が写っているが、ここには手水で清めたあと、左手にある祓戸神社で穢れを祓ってから本殿に向かうよう案内されている。




これがその末社・祓戸神社(はらえどじんじゃ)

ご祭神さまは祓戸四神(はらえどのよはしらのかみ)さまの筆頭、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)さまである。

西暦770年のご鎮座と伝えられ、春日大社における大祓、夏越祓や例大祭へ遣わされる勅使の祓もこの神社の前で行われるという由緒正しき神社である。

にもかかわらず、この神社にお参りする人の姿は全く見受けられなかった。観光バスで来たのであろうご年配の一団も、手水で手を清めたらさっさとご本殿の方へ向かってしまう始末だ。何か所も案内が書かれているのに、ちょっと残念な気がした。




大宮南門。楼門形式のこの門は大宮を囲む回廊の正門にあたる。




幣殿

春日大社に拝殿はない。一般の参拝はこの幣殿前から行うようになっている。ご本殿前まで進んで参拝するには初穂料500円をお納めして中に入らせていただくようになっているのだ。




祓串

初穂料をお納めして中に入らせて頂くと、最初にこれが置いてあるところを通る。ご本殿前に行く前にこれを振ってさらに穢れを祓いましょうと案内されていた。

・・・が、初穂料を払って、神職さんのご案内でいろいろ教えていただいて見学し、ご本殿前に進んで拝礼したわけだが、そのルートにこの前がなかったので使わずじまいだった。つか、この祓串の存在を知ったのは帰りがけだったりする。(笑)




御本殿瑞垣と神門、春日大社では御廊(おろう)と中門(ちゅうもん)と呼ぶ、そして大宮型と呼ばれる灯籠。

瑞垣の上に千木が見えているが、向かって右が第一殿、左が第四殿のものだ。春日大社のご本殿は切妻妻入片庇で屋根に曲線が用いられた春日造と呼ばれる独特の形式である。春日大社はこの春日造の四殿四棟を御本殿としているのだ。

第一殿と第二殿、第三殿と第四殿を接続して四殿二棟のご本殿を持つ、同じ上七社の平野神社のご社殿とは似てはいるもののちょっと異なる。それでも平野造は比翼春日造とも呼ばれるので、春日大社の方がメジャーなのかも。

このようにご社殿が四棟並んでいるわけだが、多くの場合複数社殿の併設型になる御本殿は、奇数社殿の場合中央・左(向かって右)・右(向かって左)の順。偶数社殿の場合、中央寄り左(向かって右)・中央寄り右・外側左・外側右の順で、格式の順位を付けていることが多い。

しかし、この春日大社や平野神社は最も左(向かって右)を第一殿として主祭神様をお祀りし、そこから右へ進んでゆく形式を採っている。


この神社ではご本殿正面の写真撮影は禁じられている。春日造の大変美しい神殿を紹介したかったが、こればかりはやむを得ない。

御本殿はこの瑞垣などとは異なり水銀朱(本朱)塗なので鮮やかな赤色である。そして前に掛けられた御簾は代々皇后陛下からの奉納であると神職さんが言っておられた。

ご祭神さまはご本殿ひとつに一柱の四柱の神様がおられる。

第一殿
相撲の元祖にして雷神の
武甕槌命 さま
たけみかづちのみこと


第二殿
刀剣の神である
経津主命 さま
ふつぬしのみこと


第三殿
天孫降臨の随伴者であり出世の神である
天児屋根命 さま
あめのこやねのみこと


第四殿
天児屋根命さまの奥様、天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)さまである
比売神 さま
ひめかみ


の四柱だ。いずれも藤原氏の守護神とされていて藤原氏とのかかわりが深い神様方である。だから日本神話における神様の属性は上に紹介したようなものが多いが、春日大社の公式の案内では武甕槌命さま・経津主命さまは諸神と平和裡に交渉して日本に秩序ある治世をもたらした神様、天児屋根命さまは神事と政治の守り神、比売神さまは平和と愛の神さまとして紹介されている。




これは南門を内側から見たところ。回廊の一部が御神籤やお札の授与所になっているのは大きな神社でよく見かける形式だ。

たくさんの参拝客がいるが、おそらくほとんどが中国人。聞こえてくる言葉の八割までが中国語普通話だ。でもって、ぶっちゃけ俺に理解できる範囲でもロクなことを言っていない。なんで紙切れがこんなに高いのかだとか、小さな鹿の木彫りなんか暴利だとか、そんなことばっかり言ってる。

やっぱり彼らは神様を拝むことを共産党に禁止されたせいでお金を拝むようになったようだ。たまに西洋の言葉でも中国語でもない響きに気づき、日本語かなと思って内容に耳を澄ますと理解できない・・・どうやら韓国語のようだった。orz

正直日本人の数が少ないだけでなく、中国人や韓国人の声の大きさに押されて日本語は耳に届きにくいような気がした。




南門を出ると石灯籠がたくさん並んでいる、長年にわたる奉納の積み重ねがこの景色をもたらしたようだ。




こちらの灯籠群に沿って若宮社の方へと道を取る。明日は若宮社とそれを取り巻く神社神蹟の十五社めぐりを紹介しよう。




これは若宮社へ向かう途中にある本宮神社遥拝所

この春日大社は御蓋山(みかさやま:三笠山とも書く)の頂上、浮雲峰に武甕槌命さまが白鹿の背に乗って天下られたという伝説に端を発していることから、御蓋山を神奈備山としている。毎月一日にはここに御神饌をお供えするそうだ。

この伝説、春日大社の創建と言えるわけだが公式の案内では年号を特定していない。平城京の建都と同時期ということなので8世紀初めという理解でいいだろう。現在の茨城県になる常陸国の一宮、鹿島神宮から武甕槌命さまにおいでを願ったところ上のようにお越しいただけたと言うことだ。

そして西暦768年、現在の千葉県に当たる下総国の一宮、香取神宮から経津主命さまを勧請したとある。だから御祭神さまの第一殿と第二殿さまは関東出身の神さまなのだ。

だからと言うわけでもなかろうが、同時期に大阪府は河内国の一宮である枚岡神社から天児屋根命さまとその妃神である比売神さまを勧請、現在の春日大社の姿の築造を行って第三殿と第四殿にお祀りしたらしい。

だから勧請元の神社がいずれも紀元前7世紀の創建であるのに対して春日大社は8世紀の創建と1400年前後の開きがあるのにもかかわらず、以降現代にいたるまで春日大社のほうが上位に列格されているのは、皇室に次ぐ大きな家系である藤原氏の実力のたまものと言うことなのだろう。






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葛城一言主神社

久しぶりに奈良の神社だ

どうも最近上手く行かないことが多くって・・・つか、最近でもないな、この一年ぐらいって感じだろうか。で、困った時の神頼み・・・神様ごめんなさい。^^;

ってことで、元は名乗りの言葉「吾是雖悪事而一言雖善事而一言言離之神」(吾は悪事[まがこと]も一言、善事[よごと]も一言、言離[ことさか:託宣]の神である。)から、後に一言だけならどんなお願いでもかなえて下さる神さまとして親しまれている神様にお願いに行ってきた。

神社の名前は葛城一言主神社(かつらぎ ひとことぬしじんじゃ)である。

画像はクリックで別窓拡大する。


山麓線と呼ばれる県道からちょっと外れたところに参道入り口はある。先にも駐車場はあるが、この一の鳥居の横にある駐車場に車を停めて歩くことにした。

で、のっけから意外と珍しい鳥居。石造りの台輪鳥居だ。稲荷鳥居の一般形であるこの鳥居は、柱の腐食防止のために島木との接合部に台輪を入れた物と言われている。腐食の恐れがない石鳥居に用いられるのはあまり見かけないケースだと思う。

まぁ、平成に入ってからの建立なので、形状だけを引き写したのだろうとは思うが。




ほどなく境内の下にたどり着く。

社号標には式内大社・葛城一言主神社とある。

10世紀の神社リスト、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載のある式内社およそ2900社の一社であると同時に、その中でもトップに列格した名神大社(みょうじんたいしゃ)220社あまりに数えられる高い社格を持った神社と言う事だ。




手水舎。千社札がちょっと目立つ。




拝殿

見ての通り、向拝は銅葺だが建屋は瓦葺なので、ここまで由緒ある神社のご本殿ではないだろうと思う。

この神社はもともと山上にあったものを現在地に遷したそうだが、見る限りではご本殿は見えない。ただ、拝殿の奥の扉の向こうにも建物らしきものが窺えるので、それがご本殿なのだろう。

この拝殿は東を向いて建っているが、西の方の山中には磐座があり、そこが一言主大神さまの顕現の地(神降:かみたち)だとして信仰対象になっているそうだ。




向拝正面の鬼瓦には半菊に一の字の神紋が見える。

ご祭神さまは

一言主大神 さま
ひとことぬしおおかみ


である。記紀によると、5世紀ごろ狩りを楽しんでいた第21代雄略天皇の前に顕現されたそうだ。そのため相殿さまとして

大泊瀬幼武尊 さま
おおはつせわかたけるのみこと


すなわち雄略天皇もお祀りされている。

また、伝承によるとこの辺りは第2代綏靖天皇の葛城高丘宮(かつらぎたかおかのみや)でもあったそうだ。




摂末社への鳥居、このレイアウトはもちろん・・・




境内社・一言稲荷神社

「ひとこと」なのか「いちごん」なのかはわからなかった。もちろん倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さまを主神とする稲荷神さまをお祀りしているだろう。




平入二間社の境内社。向かって左が八幡社、右が神功皇后社


一般には八幡神さまの一柱に神功皇后も含まれるのだが、わざわざ別にお祀りしているのはなぜなんだろうな。





春日造りの境内社三社。手前から

底筒男命(そこつつのおのみこと)さま、中筒男命(なかつつのおのみこと)さま、表筒男命(うわつつのおのみこと)さまの住吉三神(すみよしさんじん)さまをお祀りする住吉社(すみよししゃ)

菅原道真(すがわらみちざね)公をお祀りする天満社(てんまんしゃ)

市杵嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)さまをお祀りする市杵島社(いちきしましゃ)




境内社・祓戸社(はらえどしゃ)

このお社だけはちょっと離れたところにあった。ご祭神さまはおそらく、瀬織津比売(せおりつひめ)さま速開都比売(はやあきつひめ)さま気吹戸主(いぶきどぬし)さま速佐須良比売(はやさすらひめ)さま祓戸四神さまだろうと思う。




樹齢1200年のご神木、乳銀杏(ちちいちょう)




大きな老木ゆえに、このように多くの気根が形成されていて、これを乳房に見立てて子供が授かりお乳が良く出ると言う信仰につながったようだ。

現在では県の保護木に指定されていて、枝打ちなどで木を整える際にも事前の届け出が必要らしい。




源平咲きの八重の花桃もあった。

源平ではあるが、この色の咲き分けを決定づける遺伝子は

桃アントアシアニン着色強化 遺伝子
Peach Anthocyanin Colouration Enhancement  Gene

ってことで平和遺伝子(Peace gene)と命名されているそうだ。

人間も植物に見習いたいよねってことなんだろうが、無理に二文字目をeにして英語にしなくても、学問の名前なんだからPace で良いんじゃないだろうか。ラテン語で「平和」と言う意味になるし。




これは来るときに登った階段を上から見下ろしたところ。




この階段を下りた脇にも祓戸社があった。ご祭神さまは同じだろうと思う。なぜ二つあるのかは不明。




亀石

奈良の亀石と言えば明日香の亀石が有名だが、これもなかなか・・・ただご由緒などは判らない。




近くには石仏さまと、これは道祖神さまかな?




参道にはこんな道標もあった。一応、至一言主神社と彫りこまれてはいるが、上のプレートの方が目立つのでそっちに眼が行く。




そのプレートにあるQRコードを拾ってみるとこんな解説が見られた。






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今日の二十四節季 4月20日 穀雨 (こくう)
「春雨降りて百穀を生化すれば也」


今日の七十二候 4月20日 葭始生
(よし、しょうじはじむ)




            

大和神社

久しぶりに奈良の神社を紹介する。写真がそれほど多くないので前後編分割はしないが、ちょっと解説が多いかもしれないので時間のある時にでも読んでくれると嬉しい。と言う事で、今回は

大和神社
おおやまとじんじゃ

である。これも知らないと読めないよなぁ。

画像は全部クリックで別窓拡大する。



天理市中心部から桜井市に向かって国道169号線を南下してゆくと、途中左側にこんな石碑が見える。その交差点が大和神社前になるので、これを右折だ。道を挟んで向かい側に駐車場の広いローソンがあるので目印になるかも。

この石碑は商業界の有志310名が寄進して昭和52年に建てたとあるが、願主総代は京都の人と刻まれている。




細い道をまっすぐ入ってゆくと、ほどなく参道入り口に着く。この鳥居を抜けた左側に10台余りの駐車場があるのでそこからは徒歩だ。

一の鳥居は明神式の石鳥居。創建の年代や経緯からして神明式になるのが自然ではあるが、中世に衰微した際一度社領をすべて失っているので、再興の時に明神式の鳥居を建てたのだろう。




鳥居の横には、官幣大社・大和神社の社名碑が立っている。




表参道。

一の鳥居から二の鳥居までの距離は260メートル余り。あとで述べるが、多少こじつけ気味とは言えちょっと意味のある数字なのだ。




二の鳥居。一の鳥居と同じ作りである。




手水舎

平成10年に台風で全壊したが翌年再建されたそうだ。




建物はそんな事情で新しいが、手水石(水盤)には貞享二年(1685年)三月吉日の文字があった、江戸時代前期だな。日付はコントラストの関係でうまく写せなかったので解説だけ。






狛犬さん

後に日本最古の看板があるが、社伝によると紀元前90年ごろに創建されたそうだ。創建の地はもう少し東の方だったらしく、その社領も伊勢神宮に次ぐ広大なものだったらしい。

現在地への遷宮は記録が残っていない。




拝殿


この神社ではこの拝殿の手前にある素屋根の下でお賽銭を入れ鈴を鳴らしてお参りする。




拝殿を通して向こうには神門と透塀。少しだけご本殿の屋根も見えている。




ご本殿

これは拝殿向かって右側から見たところ。奥の左上に千木が見えているのが中殿、写真中央右寄りの緑の向こう側に左殿がある。

この神社のご神体は本来、

八尺瓊玉
やさかにのたま


広矛
ひろほこ

八握厳稲
やつかいつしね


であったそうだが、12世紀から14世紀の戦乱で失われたらしい。現在は明治の初めごろ宮中から奉納された玉・剣・鏡をご神体としているそうだ。




拝殿向かって左側から見たご本殿

写真中央が右殿、右に見えているのが中殿である。社殿は檜皮葺春日造が三棟ある。

ご祭神は

中殿
日本大国魂大神
やまとのおおくにたまのおおかみ

さま。もとは宮中にて天照大神(あまてらすおおみかみ)さまと共に同殿共床で奉斎されていたそうだ。

第10代崇神天皇の時代、世が荒れたことで同殿共床が原因の神威を畏れた天皇が、二柱の神様をそれぞれ違う場所にお祀りするべく二人の娘に命じたのが紀元前92年と伝えられている。

皇女・豊鍬入姫命
(とよすきいりひめのみこと)さまは、現在の桜井市などを中心に、この神社より少し南の方にあったのではないかとされる笠縫邑(かさぬいむら)に天照大神さまをお祀りされた。そこからあとを引き継いだ豊鍬入姫命さまの姪にあたる倭姫命(やまとひめのみこと)さまは祭祀の最適地を求めて遷宮を繰り返し、最終的に現在の伊勢神宮に鎮座されたたらしい。

一方、どちらが姉かはわからないが、豊鍬入姫命さまと姉妹の皇女・渟名城入媛命(ぬなきいりひめのみこと)さまが日本大国魂大神さまの祭祀を命じられて任に就いたものの、ほどなく身体は痩せさらばえ、髪は抜け落ちて祭祀を執り行う事さえできなくなったと言う。

その後、夢のお告げに従って市磯長尾市(いちしのながおち)と言う倭国造(やまとのくにのみやつこ)の祖とされる重臣が祭祀の責任者となり市磯邑(いちいそむら)にこの大和神社としてお祀りしたところ世の中も祭祀も上手く行ったそうだ。

バチあたりな話だが、この伝記を読んで頭をよぎったものがある。

正しい能力を持つ人が祭祀を行えば大きな力を授けて下さり、そうでない人が祭祀を行えば上手く行かないばかりか、当人は身体が衰弱してやせ細り
髪が抜け落ちる。

何かと似てないか?

現代の市磯長尾市は誰なのか、早く現れて欲しいものだな。




そして、御本殿が三棟あるところから判るように、あと二柱のご祭神がおられる。

左殿
八千戈大神
やちほこのおおかみ


さま、すなわち大国主命(おおくにぬしのみこと)さまと、

右殿
御年大神
みとしのおおかみ


さまである。御年大神さまは稲荷神さまの甥にあたる穀物を司る神様だ。




摂社・祖霊社

祖霊社に摂社と言う扱いをしているのは珍しいと思う。また、通常は神社関係者の霊を祀るものであるが、この祖霊社のご祭神の筆頭は大国主命さまとされているのも特筆すべきだろう。

この神社は明治時代、官幣大社に列せられたわけだが、官幣大社とは宮中・政府から幣帛料が与えられる、天神地祇・皇祖神をお祀りする神社の中でも最上位の神社のことなので、境内に地元の氏子や神官の霊などをお祀りする祖霊社を建てることは許されなかった。

その中で唯一、この神社の祖霊社だけは境内に建てることが許されたのだそうだ。


そしてもう一つ、この祖霊社には伊藤整一(いとうせいいちのみこと)さまを筆頭に3721柱の英霊もお祀りされている。

そう、海軍中将(戦死後海軍大将)伊藤整一第2艦隊司令長官の神格である。





戦艦大和の艦内にはこの神社の分霊が祀られていた。帝国海軍の戦艦には旧国名を用いる慣習があったので、同型一番艦は大和、二番艦は武蔵、三番艦は信濃と命名されている。その名前の縁から、戦艦にこの神社の分霊を勧請したと言う。(なお、信濃は建造途中で空母に設計変更された。また、四番艦は建造開始はしていたものの完成せず名前は与えられていない。)

昭和28年、戦後体制が一区切りした際に大和の乗員の英霊が祖霊社に合祀された。さらに昭和47年には大和と行動を共にした艦船の英霊たちも合祀されたとある。

ご由緒書には巡洋艦矢矧(やはぎ)他駆逐艦8隻とあるが、その艦隊構成からして第二水雷戦隊のことであろう。

艦隊は軽巡洋艦矢矧を旗艦に、駆逐艦潮(うしお)・磯風(いそかぜ)・浜風(はまかぜ)・雪風(ゆきかぜ)・初霜(はつしも)・霞(かすみ)・涼月(すずつき)・冬月(ふゆつき)の9隻である。


大和の乗員の英霊2736柱、第二水雷戦隊9隻の英霊985柱、数字の上ではそれだけだ。

艦隊司令長官伊藤海軍大将が俺と同い年、大和の艦長であった有賀幸作大佐(戦死後中将)ですら40代の若さ。兵や下士官、士官学校出の尉官ならずいぶん若い人たちも多かっただろう。もちろんひとり軍人だけに限った話ではないのだが、こうした人々の命の上に今の日本は立っているということを忘れないでおきたいものだ。




摂社・高龗神社

貴船神社と同じ水神・高龗大神(たかおかみのおおかみ)さまをお祀りしている。正面鳥居は神明式の変形だ。島木はなく貫は柱を貫通していないが、柱にころび(傾き)があり、扁額がかかり、根巻に相当する黒塗りが施されている。




ご社殿は春日造。妻入りになる春日造の社殿に対して拝所が切妻平入りと言うのも面白いような気がする。

妻入り:建物の棟に対して直角方向の短い辺(妻)に建物の正面が来る形式。
平入り:建物の棟に対して平行方向の長い辺(平)に建物の正面が来る形式。




摂社・増御子神社(ますみこじんじゃ)

ご祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)さま、天鈿女命(あめのうずめのみこと)さまの二柱である。




末社・朝日神社

ご祭神は朝日豊明神さまであるが、読み方が定かでない。「あさひとよあき」さまなのか「あさひとよあかり」さまなのか。また媛神さまだと言う資料も結構あるのだが、出典が判らない。さらには天照大神さまの別名とする説にも出会ったが、豊明神さまと豊受大神さまとの類似性に着目したのだろうか。

殖産・交易の神様で、この前の街道を通る商人たちは必ず詣でたそうだ。




末社・事代主神社

ご祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)さま。ゑびす神さまとしての位置づけのようだった。




末社・厳島大神

ご祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)さま。この神社はご本殿から摂末社に至るまで全部春日造のご社殿なのに、ここだけ流見世棚造なのが興味深い。何か謂れがあるのかな?




境内に戦艦大和関係の奉納物を展示した小さなプレハブがあったので見せて頂いた。中にはいくつかの大和の模型や絵画、そのほかの奉納品が展示されていたが、照明も点いておらず、やむなくストロボ撮影。ちょっと寂しかった。

一番大きな模型を写したのだが、ぱっと見に1.8メートル余り、多分1/144スケールなのだろう。せっかくだからクリック拡大する写真は10メガピクセルの大きなものにしておいた。♪

そうそう、最初に表参道の長さに言及したが、この表参道の長さは戦艦大和の全長とほぼ同じなのだそうだ。それを知って帰り道、二の鳥居から一の鳥居を眺め、現在に至るまで世界最大の戦艦であった大和の巨大さを思い知った。







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石上神宮 後編

さて、昨日の続きだ。

この神社の拝殿は国宝だが、もうひとつ国宝に指定された拝殿がある。

画像はクリックで別窓拡大する。


摂社・出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)

この摂社の本殿は国宝指定などは受けていない。

御祭神は出雲建雄神(いずもたけおのかみ)さま。 草薙剣(くさなぎのつるぎ)に宿った神霊の荒魂(あらみたま:神霊の恐い方の側面)である。

石上神宮のご本殿のご祭神の一柱、布都斯魂大神さまは神剣・天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿った神霊であり、素戔嗚尊さまがこの剣で八岐大蛇をぶった切った際に尻尾から出てきたのが三種の神器の一つ・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、すなわち草薙剣である。

そんな関係から、江戸時代にはこの出雲建雄神さまは布都斯魂大神さまの御子神さま(若宮さま)とされていたこともあるようだ。




これが社殿。春日造りの落ち着いた佇まいである。摂社として石上神宮に組み込まれているが、延喜式に名前を見ることのできるれっきとした式内社である。




これは、この摂社の拝殿である。上の鳥居は階段の上にあるが、拝殿は階段の下にある。そしてこの拝殿こそが国宝指定を受けた貴重な建物なのだ。




全体像。中央部に通路を持つ割拝殿構造である。

かつて石上神宮の近くには法相宗(のちに真言宗)の金剛乗院内山永久寺と言う大寺院があった。江戸時代には西の日光と呼ばれたほどであったと言う。その大寺院の中の鎮守に住吉社があった。

しかし、明治の神仏分離・廃仏毀釈の流れにあってお寺は廃絶、鎮守社も放置されていたが明治の中ごろ鎮守社の本殿も放火で失われ、拝殿だけが残った。それを惜しんだ当時の人たちが、この摂社の拝殿としてこの地に移築したのがこの建物なのだそうだ。

拝殿は12世紀に建立され、13、14世紀頃に幾度かの改築を経て現在の形式になったそうで、遺構と言う時代レベルで貴重な存在であり国宝指定を受けている。




これは江戸時代のものと思われる内山永久寺の境内図。かつてこの拝殿が寺領にあったことも描かれている。ハイライトした部分がこの建物である。




末社・猿田彦神社

上の鳥居の写真で、向かって右側の柱の後ろにある小さな祠だ。小さいが石組の上に設えられた春日造りで瑞垣もきちんと回らされている。

主祭神はもちろん

猿田彦神 さま
さるたひこのかみ


であるが、ご配神として

底筒男神 さま
そこつつおのかみ

中筒男神 さま
なかつつおのかみ

表筒男神 さま
うわつつおのかみ


住吉三神、さらには

息長帯比売命
 さま
おきながたらしひめのみこと


すなわち神功皇后と、水の女神様である

高龗神 さま
たかおかみのかみ

を配されている。上で紹介した内山永久寺の鎮守社から御祭神をこちらに合祀したと言う御由緒書きがあったので、住吉三神さまはそうなのであろう。だが、二柱の女神さまもそうなのかどうかは不明である。




摂社・天神社(てんじんしゃ)

天神社と言う名前だが、天満宮とは違う。天神地祇の天神である。ご祭神は

高皇産霊神 さま
たかみむすびのかみ

神皇産霊神 さま
かみむすびのかみ

と言う、日本の神様の中でも原初神と言われる造化三神のうちの二柱が坐しておられる。




摂社・七座社(ななざしゃ)

現在、単に神殿と呼ばれる宮中三殿の一つはかつて八神殿と呼ばれ、天皇を守護する八神が祀られていた。その第一殿には神皇産霊神さま、第二殿には高皇産霊神さまと、上の天神社の神様が坐しておられる。そして、第三殿から第八殿までの神様がこの七座社に祀られているのだ。

右から

大国主命の息子にして天皇を守護する地祇、第八殿の
辞代主神 さま
ことしろぬしのかみ

君臣の関係を良好に保ち、帝のお心を和ませる、第六殿の
大宮能売神 さま
おおみやのめのかみ

豊かさと充足をつかさどる、第五殿の
足産霊神 さま
たるむすびのかみ


日々の活動を止まることなく活き活きと続かせる、第四殿の
生産霊神 さま
いくむすびのかみ


魂と身体の結びつきを司る、第三殿の
魂留産霊神 さま
たまつめむすびのかみ


食べ物を司る、第七殿の
御膳都神 さま

みけつかみ


宮中鎮魂祭で八神さまと同時に祀られ、禍事、穢れを改め直して下さる
大直日神 さま
おおなおびのかみ


である。

参考までに「みけつかみ」と言う名前は三狐神とか御狐神と書かれて稲荷神の別名のように思われることが多いが、微妙に勘違いである。

みけつかみ(御膳都神・御饌津神・御食津神)さまとは文字通り食べ物を司る神様の総称で、稲荷神の倉稲魂命さまはもちろん、伊勢神宮外宮の豊受大神さまや保食神の大宜都比売さまなどが御食津神さまとされる。女神さまであることが多いようだ。




ここからは境内を眺めてみることにする。こちらは脇参道




境内にある鏡池。ここにはコイの仲間で絶滅危惧種ワタカと言う魚が生息しているそうだ。




鏡池をめぐる遊歩道。




鳥居の根元には奉納の石碑が。

奉納 銅□ □□

と書かれているが、随分古いものらしく□の部分は判読できなかった。




境内概容。




カエデは緑も美しい。




樹齢数百年と言う大杉のご神木。




なぜか青銅製の臥牛。摂末社にも天満宮はなかったと思うのだが・・・




さらになぜか数十羽の鶏が境内を闊歩して、四六時中時を告げている。w




尾長鶏っぽいが、長いとは言ってもびっくりするような長さではない。



これは東天紅かな。結構ロングトーンで啼いていた。




烏骨鶏。♪

食べたら罰が当りそうだよな。^^;






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石上神宮 前編

さて、せっかく大型連休なので奈良の神社を紹介しよう。

奈良にも神社は多い。それだけでなく、京都の神社よりもっと神代に近い雰囲気があるので、新しいカテゴリを作ってこれからたまには奈良の神社を紹介することも行ってゆきたい。奈良市や大和郡山市、天理市なら京都から車で1〜2時間圏内だしな。


さて、前回白峯神宮のエントリで紹介した通り、神宮号の宣下を受けた神社は国内と租借地合わせて全部で28、現存するのは25であるが、その中で最も古いのがこの

石上神宮
いそのかみじんぐう

である。古事記にも日本書紀にもこの石上神宮と伊勢神宮の二宮のみが登場するが、正史とされる日本書紀によると石上神宮の創建は紀元前82年、伊勢神宮の内宮が紀元前4年、外宮が西暦478年なので、この石上神宮が日本最古の神宮と言って差し支えないだろう。

ただ、どうしてもその後の歴史上、長い間京都に都があったためだろう、社格としては二十二社の中七社となる。もちろん明治になってからの社格は問答無用で官幣大社である。


所在地は奈良県天理市

大きな地図で見る

天理市と言えば天理教のおひざ元だから当然こうなるわけだが・・・^^;

まぁ、天理教は幕末三大新宗教で教派神道が発祥だから神社とはお友達ってことで。むしろお寺さんとかなんとかの証人の方が。(笑)


さて本題に入ろう。

画像は全部クリックで別窓拡大する。


県道に面した参道入り口に立つ社名碑。

隷書で書かれたこの文字は、明治の初め頃30代でこの神社の少宮司に任ぜられた有名な文人画家、富岡鉄斎師の手になるものだ。




こちらは脇参道と表参道の交差点に立つ社名碑。昭和になってからの建立らしい。




正面鳥居

白木の檜造り、明神鳥居だ。この鳥居は昭和3年、即位の礼を記念して建てられたもので台湾産のヒノキ材が使われたと言う。そして一昨年、腐朽が進行したのでカナダ産のヒノキ材を使用して修造が行われたらしい。国内ではもうこのサイズのヒノキ材が入手困難だったと書いてあった。




扁額には神社の名前ではなく、主祭神のお名前があった。詳しくは本殿のところで述べよう。




手水。建物はなく露天である。水盤にはこの神社の古名のひとつ布留社の文字が刻まれていた。




楼門。700年ぐらい前の建築で、現在は重要文化財に指定されている。




楼門の左右は回廊になっている。




こちらは楼門の中。回廊の端になる場所はお守りなどの授与所として使われていた。




楼門の大棟についていた鬼瓦。




楼門の扁額。山縣有朋卿の手になる文字で、萬古猶新と書かれている。

萬(よろず)、古きは猶(なお)新たなり。

まぁ、日本版温故知新というのは乱暴に過ぎるだろうが、古いものが現代まで残っているのはそれに対して学ぶべきことが多いからだとでも解釈したらいいのかな。




国宝指定されている拝殿。現存する最古の拝殿だそうで、900年以上前の建造物だそうだ。この神社にはもともと本殿がなく、この拝殿の向こう側にある禁足地を二振りの神剣が埋斎されている場所として信仰対象としてきた。

明治になって発掘調査が行われた際、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)と布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)が出土、その後本殿を建立してお祀りしてあるそうだ。

この神社のご祭神は、

布都御魂剣に宿るご神霊
布都御魂大神 さま
ふつのみたまのおおかみ

を主祭神に

布都斯魂剣に宿るご神霊
布都斯魂大神 さま
ふつしみたまのおおかみ


十種神宝に宿るご神霊
布留御魂大神  さま
ふるのみたまのおおかみ


布都御魂剣を奉祭された
宇摩志麻治命 さま
うましまじのみこと


太古にこの神社で祭祀を行っておられた第11代垂仁天皇の第二皇子
五十瓊敷入彦命 さま
いにしきいりびこのみこと

この神宮を篤く信仰された
白河天皇
しらかわてんのう

この神宮の社家の祖である
市川臣命 さま
いちかわおみのみこと

を配されている。






これは拝殿内部。国宝なので許可がないと昇殿できない。






ご多聞にもれず屋根の一部しか見えないがこれがご本殿。千木、鰹木は取り付けられているが建築様式は不明だ。

この石上神宮は古く朝廷の武器庫であったともされ、有名な国宝七支刀はこの神宮に伝世した物である。

また、主祭神の御霊が宿るとされた布都御魂剣は神武東征の折、危機に陥った軍勢を霊力で救った神剣だ。

さらにもうひとつの出土品である布都斯魂剣は素戔嗚尊さまが八岐大蛇をぶった切った天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)の別名である。

どれもファンタジーやゲームなどによく使われる名前だが、単なる歴史や神話の記録じゃなく、ちゃんと現物が今も存在してるところがエクスカリバーとは異なるところなんだよな。(12世紀ごろのイタリアのヤツは別としてだが。)

と言うことで続きはまた明日。






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