7月は京都は祇園祭のシーズンとなる。京都の町家には写真のような粽が掲げられている家も多い。これは祇園祭で頒布される厄除けお守りなのだ。

 

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うちは長刀鉾で頂いてくるのでこういうタイプだが、山鉾ごとにデザインも異なる。なんでも最近ではメルカリなどで転売する不心得者も散見されるとか。まぁ、こわい神様だからねぇ、転売で売る奴はもちろん、買う奴も天罰には気をつけたほうが良いと思うぞ。

 


 



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夏越の祓

昨日6月30日は夏越の祓の日だった。城南宮さんで茅の輪をくぐって、今年前半の穢や厄を落としてきた。

 

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時間が早かったのでまだガラガラ。城南宮さんについては、10年前のエントリがあるのでそれを見てもらおう。

 


 

もちろん京都のならわしとして「水無月」も食べた。





でもって、今日は新築中の家にユニット搬入が行われる。昔の柱建てと棟上げをまとめたようなものなので、上棟御札(むねふだ)を頂いてきた。

 


 



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超強力消毒液

コロナどころか穢れまで祓えそうな消毒スプレーとして、先日Twitterに載っていたヤツを俺も撮ってきた。

 

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昨日の花を撮りに行ったついでに撮ったのだが、晴明桔梗紋一つで、無敵感バリバリだな。w

 


 



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北野天満宮 2021

梅の季節ということで北野天満宮に行ってきた。

 

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今出川通沿いに大きな鳥居があるが、いわゆる「一の鳥居」はこっちだ。狛犬さんなどと一緒に境内の参道に立っている。


 

楼門、これを入ると神域だ。


 

楼門を入ってすぐのところにある花手水。今は利用できないので鑑賞するだけだ。この奥に宝物殿があるがそれはまたの機会にしよう。



 

これは中門に当たる三光門。御本殿があるエリアの入口になる。月・日・星のシンボルが描かれているところから三光門と呼ばれているそうだ。



 

北野天満宮は福岡県の太宰府天満宮と並ぶ「天神さまの総本社」とされている。もちろんご祭神さまは菅原道真公である。

 

ご祭神さまが皇族ではないのに宮号で呼ばれる天満宮は、もともと御霊信仰で菅公が祟り神と恐れられたことに由来する。一方で、時代が室町時代ぐらいまで下がると、御霊信仰の色は薄れ、学問の神様としての性格が強くなってきたようだ。

 

いわゆる御本殿と呼ばれる建物の正面側が上の写真だが、実際に見えているのは拝殿部分である。この神社の御本殿は権現造と呼ばれる複雑で壮大な造りだ。


 

これは飛梅伝説で知られる梅の木の大元となった梅の古木である。まだ咲いていなかった。


 

これは裏側から見た御本殿である。上に屋根が見えているのが厳密な意味での御本殿だ。



 

これが側面から見た御本殿。←が拝殿、→が御本殿、間に石の間という建物がある。さらに楽の間というものも付帯していて、それらが広い意味での御本殿を形成しているのだ。


 

天神さんといえば臥牛。撫牛とも言われる。この牛さんを撫でるのがしきたりなのだが、なにせこのご時世手で触れるものには対策が必要だ。

 

アルコールも置いてあったし、牛さんそのものに抗菌・抗ウイルス加工が施されている。もちろんSIAAの認証マーク(ISO22196・21702)も付けられていた。




先に少し触れたが、宝物殿は最近建て直されたそうで、なんとチタン葺の建物になっている。しかしコロナのせいで閉鎖されているのが残念だった。

 

平安時代には疫病や災害を引き起こすご祭神さまを鎮める「北野御霊会」という祭礼が、比叡山延暦寺と合同で開催されるようになったのだが、応仁の乱で中止されて以来行われてこなかった。しかし、ここに来て新型コロナウイルス感染症の蔓延を受け、昨年9月、550年ぶりに北野天満宮と比叡山延暦寺の合同祭礼として執り行われた。もちろん国家の安寧とコロナの世界的流行の早期終息が祈られたことは言うまでもない。

 


 



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與杼神社 2021

與杼神社は「よどじんじゃ」と読む。京都競馬場の近くにある神社だ。

 

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社号標にある通り、明治の旧社格においては郷社に列せられている。官社ではなく諸社の一つなので上位ではないものの、社格をもっているだけで中位の存在だから、まあまあ中の上ぐらいだと言っていいだろう。

 

また、式内とあるのは延喜式神名帳に記載のある古い神社ということだ。おおむね西暦1000年以前に神社として成立していたということだな。




 

神社の大注連縄。銀杏の葉っぱがある季節ならもうちょっと豪華に見える。




 

国の重要文化財に指定されている拝殿。1607年に作られたとある。




 

銅葺三間社流造の御本殿。もともと御本殿も重要文化財に指定されていたが昭和の時代に火災で焼け落ち、これはその際に再建されたものだ。火災の原因が子供の花火遊びだったことから、燃えやすい萱葺から銅葺に変わったとか

 

御祭神様は豊玉姫命さま(とよたまひめのみこと:神武天皇のお祖母さん)・高皇産霊神さま(たかみむすびのかみ:天地開闢の時に現れた現初神の一柱)・速秋津姫さま(はやあきつひめ:神産みで生まれた神様のうちの一柱)の三柱である。姫神様二柱と、性別を持たない原初神一柱というのが面白い。


 

上の建物は幣殿とご本殿を含むご本殿建屋だが、中を覗くと御本殿正面が見える。扉は閉じられていた。


 

こっちは境内社である。特に摂社・末社の区別はされていないようだった。




これは境内から見える隣の神社。神社としては珍しく瓦葺きだ。それに唐破風屋根と切妻を組み合わせたのも少数派かもな。神社は稲葉正成公をご祭神としてお祀りしている。歴史好きの人じゃなくても、歴史ドラマの好きな人であれば知っているかも知れないな、春日局のご亭主だ。

後世、稲葉家は山城国淀藩主として明治維新まで続いたので、淀城跡の敷地内にあるこの場所に宗家として祀られているのだろう。

 


 



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上御霊神社 2021

今回は俺の産土神様である上御霊神社を紹介する。

 

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正面鳥居と西側にある楼門。社号標には「御霊神社」とあるが、これは宗教法人名。京都御苑を挟んで南側にある下御霊神社と呼応する形で上御霊神社と呼ばれるのが一般的だ。

 

鳥居の向かって左側の足元には「花御所八幡宮」の石碑がある。実際には室町幕府の花の御所はこの神社より少し南にある同志社大学のあたりにあったそうだ。そこにあった鎮守社八幡宮をこの神社の末社としてお迎えしたのでこの碑があるらしい。


 

割合人気の観光スポット、この石碑だけだが。w

 

応仁の乱の緒戦となった御霊合戦は、当時広大な敷地を擁していたこの神社を舞台に戦われたので、この神社が応仁の乱勃発の地とされている。



 

門を入ると左手に手水舎がある。現在はアルコールスプレーが置かれていて、手水舎には花が活けられている。



 

真っ直ぐ進むと拝殿がある。神楽や生花などが奉納されることが多い。



 

これは御本殿を斜め前方から見たところ。銅葺きの入母屋造で、向かって左側へ幣殿などが接続され周囲を瑞牆が囲っている。

 




 

これが御本殿正面。この唐破風屋根の下でお参りできる。

 

この神社は由緒ある割に旧社格は府社と決して高くはない。一方でご神階は正一位という最高位だ。これにはこの神社の成立に秘密がある。この神社はいわゆる御霊信仰に基づくものなのだ。御霊とは「生前の不遇や怨念をもって都に祟りをなす怨霊」と言う恐ろしい存在を、「お鎮まり頂いて都を守護する存在」に祀り上げたものだ。天神さんである菅原道真公も御霊様のカテゴリーかな。

 

もともと朝廷の信仰が篤かったため、室町時代には正一位の神階を受けているのだ。一方で、御祭神様が記紀(古事記と日本書紀)に登場する生粋の神様ではなく、元人間だったので明治の社格に置いては府社にとどまったのだろう。御祭神様は八柱おられる。

 

早良親王
井上大皇后
他戸親王
藤原吉子
橘逸勢
文室宮田麻呂
火雷神
吉備真備

 

だ。下の二柱はサポーター的な存在で、上の六柱が御霊様と考えられることもあるようだ。




 

賽銭箱の前から奥を望む。一番奥の白い幕のところが御本殿正面である。献酒や随神さまから、手前の椅子の向こう側までが幣殿になる。



 

この神社には境内社がたくさんあるので、代表を一つ選んで紹介。福寿稲荷神社である。数十基の鳥居の奥に社殿がある。もちろんご祭神様は豊穣の女神、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)様だ。




御社殿は一間社流造で、お稲荷さんカラーである。
 

 


 



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鎌達稲荷神社 2021

Twitterで予告していた通り、神社紹介を再開しようと思う。まずは小規模ながら由緒ある「鎌達稲荷(けんたついなり)神社」から。

 

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京都市南区の、東寺と西寺跡の中間にあるこの神社は、非常に小規模ながら飛鳥時代の創建と伝えられる。そして遅くとも徳川家康の時代には安倍晴明の末裔である土御門氏による祭祀となったらしい。





苔むした手水鉢はコロナ禍の影響でしばらく使用禁止になっていたが、殺菌洗浄剤を準備した上で使用が再開されていた。



 

本殿前の幕には神紋として稲穂と火焔宝珠が描かれている。しかし、稲荷神社の一般的な神紋である抱き稲ではなく、抱き稲に違い鎌と言う珍しいデザインだ。鎌達稲荷様という名前にも関係するのかな?火炎宝珠は本来仏教系の紋だが、お狐様がしっぽに乗せていることもあるのでご縁があるのだろう。一方、なぜかご神使は命婦狐ではなく普通の狛犬さん。

 

お祀りされているのは稲荷神のセンターポジション、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)さまと陪神の猿田彦命(さるたひこのみこと)さまである。




これは境内に唯一ある摂社の白菊稲荷大神(しらぎくいなりおおかみ)さまだ。

 

白菊稲荷大神さまは伏見稲荷大社の稲荷山神蹟、三ノ峯下之社にお祀りされている神様である。

 

 


 

ご本殿の脇には石碑が3つ祀られている。一つは神仏習合時代の土着神をお祀りするもの、もう一つは打ち捨てられていた僧侶の顕彰碑を昔の神職がお祀りし直したもの、そしてもう一つのものは由来がわからない。

 

さて、簡略型ではあるがこんな感じで神社紹介を再開しようと思う、よろしくな。

 


 



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葵祭

西暦567年から続くと言われる賀茂大社の例祭、賀茂祭(通称:葵祭)の路頭の儀が、今年は新型コロナウイルス感染症の蔓延によって中止になってしまった。本来5月15日に行われるものだから、今日はかつて撮った写真を載せて気分を味わいたい。撮影は2012年、御所から下鴨神社へ向かう途中である。

 

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先導の京都府警・平安騎馬隊。
 

 
乗尻(のりじり):公式の先導隊。
 

 
検非違使志(けびいしのさかん)とその下役。

 

 
検非違使尉(けびいしのじょう)とその下役。

 

 
検非違使尉の鉾持ち。

 

 
山城使(やましろのつかい):国司庁の次官。(ここまで第一列)
 

 
御幣櫃(ごへいびつ):御所から神社に届けるお供え物が入っている

 

 
内蔵寮史生(くらりょうししょう):お供え物担当の役人

 

 
走馬(そうめ)。
 

 
走馬。
 

 
走馬。
 

 
馬寮使 (めりょうのつかい):走馬の担当者

 

 
牛車。
 

 
牛車。
 

 
牛車。

 

 
交代要員の牛。(ここまで第二列)

 

 
和琴「河霧」。

 

 
舞人。
 

 
勅使:本当は、行列中最も位の高いこの人が葵祭の主役である。

 

 
勅使随臣:黄色いのはしっぽではなく太刀の鞘である。

 

 
牽馬:勅使の帰りの足。
 

 
風流傘:毎年新しいものが用いられる。(ここまで第三列)
 

 
陪従(べいじゅう):楽器担当の武官

 

 
陪従の服の柄:葵祭特有の柄で、動物モチーフが用いられる。 

 

 
陪従の服の柄。 
 

 
陪従の服の柄。 
 

 
小舎人童(こどねりわらわ):雑用係の少年。

 

 
内蔵使(くらのつかい):奏上文を運ぶ係
 

 
風流傘。第四列ここまで、主列ここまで。
 

 
命婦(みょうぶ):一般女官。
 

 
女嬬(にょじゅ):食事担当の女官。
 

 
腰輿(およよ):斎王代の乗り物。
 

 
斎王代(さいおうだい):事実上、この祭の主役。
 

 
騎女(むなのりおんな):斎王代に付き従い、神事を司る巫女(みかんこ)。
 

 
蔵人所陪従(雅楽担当の文官)とその楽器。
 

 
采女(うねめ):各地の豪族から献上された美女で、日常の雑役をこなしていた。
 

 
女房車:斎王の牛車。(ここまで斎王代列)
 

 
ゴミ回収担当のスタッフ
 

 

来年には新型コロナも収まって、路頭の儀が復活してくれることを祈りたい。今年は7月の祇園祭の山鉾巡行も中止になったしな。

 

 


 



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笹持って来い

十日ゑびすにお参りしてきた。

 

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もちろん京都ゑびす神社。三大ゑびすの一つだが、兵庫県の西宮神社とはご祭神様が異なる。西宮神社は、蛭子命(ヒルコノミコト)さまをご祭神様と仰ぐ全国の戎神社の総本社だ。

 

一方、この京都ゑびす神社と大阪の今宮戎神社は事代主神様をご祭神様としてお祀りしている。

 

事代主神様をお祀りする神社の総本社はこのどちらでもない。この二つは単にえびす神社としてメジャーと言うだけだ。事代主神様をお祀りするえびす神社の総本社は島根県の美保神社だ。



 

早朝なのでまだ人は少なく、ゆっくりお参りできた。福笹の授与は開始されてるのかな・・・


 

おなじみ冷凍マグロの奉納。京都ゑびすではお賽銭を貼り付けることはできない。

 





神社の斜め向かいには摩利支尊天堂があって、こちらも縁日が開かれている。

 


 



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今宮神社の鳥居

先日Twitterでも少し紹介したが、今宮神社参道の一の鳥居が撤去された。

 

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上は6年ほど前に今宮神社を紹介した時の写真だ。



 

そして、これが昨日撮ってきた同じ場所。お盆前に撤去工事をやると言う看板は目にしていたのだが、きれいに撤去されていた。




下の方の一部を残して切断され、それに銅の素屋根が掛けられている。もしかしたら新しい鳥居を設置するのかな。鳥居はかなり深くまで根元が埋めてあるから、この程度は残しておかないと引っこ抜きにくいと思う。

 

老朽化が進んでいて、春ごろにはつっかえ棒がしてあったのだが、かの「らき☆すた」の聖地、鷲宮神社の鳥居のように倒壊する前に撤去できて良かったと思う。
 

 


 



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2019-05-15更新 



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